日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

阿部和重と伊坂幸太郎の夢の共作! / 『キャプテンサンダーボルト』阿部和重 伊坂幸太郎

 伊坂幸太郎阿部和重の共作小説。エンタメと純文学を代表する作家のコラボということもあって、期待に胸を膨らませて読んだ。単行本が発売された当初から話題になっていて読みたかったが、結局文春文庫になっても読まずに新潮文庫の新装版になってから読むことになった。

阿部和重の陰謀的な要素と伊坂幸太郎ストーリーテリングが合わさって面白いエンタメに仕上がっている。伊坂作品をベースにして比較すると伏線回収の量はそこまでないが、陰謀や謎の組織の計画など気になる謎に引っ張られて一気に読んだ。また本編には「村上病」という感染症が登場するのだが、新型コロナのこともあってタイムリーに感じた。「魚が跳ねた」あたりからの怒涛の展開には、ページをめくる手が止まらなくなった。

 

 

『キャプテンサンダーボルト』の物語構造の考察

キャプテンサンダーボルトって「小説から遠く離れて」で言及されている「双子」が「依頼」と「代行」によって「宝探し」をするという物語構造に収まる気がする。

 

 

フランツ・カフカが好きな人にオススメのカフカっぽい作家

 

気がかりな夢から目をさましたら虫になっていたでおなじみのフランツ・カフカ。

代表作の不条理文学『変身』を筆頭に、官僚機構のナンセンスさを描いた『城』や訳の分からない裁判に巻き込まれる男が主人公の『審判』など名作を残していた。カフカの影響もあってか、官僚機構に関わる複雑だったり、煩わしかったりするようなことをカフカエスクと言ったりする。

カフカは生前評価されず、今の世界文学としての地位を確立したのはカフカの死後のことだ。カフカの文学は広く読み継がれ、カフカの影響を受けた作家は数多く存在する。

現在でも、カフカのような不条理や、官僚機構やシステムのナンセンスさを描いている作家は何人かいる。カフカのような、カフカっぽい作家を紹介する。カフカエスクな作家とでもいうのだろうか?

 

 

 

 ブッツァーティ

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

 

幻想的な小説や、不条理を描いた小説から「イタリアのカフカ」と称されているブッツァーティ。カフカほど重苦しい雰囲気がなく読みやすい。オススメは、いつ来るかわからない敵を待ち続ける 『タタール人の砂漠』と『神を見た犬』。

 

 

 残雪

突囲表演 (河出文庫)

突囲表演 (河出文庫)

  • 作者:残雪
  • 発売日: 2020/09/05
  • メディア: 文庫
 

残雪は「中国のカフカ」と称される作家だ。

 

 

 安部公房

壁 (新潮文庫)

壁 (新潮文庫)

 

日本を代表する前衛文学を代表する作家・安部公房。カフカの文学はシュールレアリスムだと言われたりするが、安部公房の作品も超現実的だ。カフカでは人が虫に返信するが、安部公房の作品では、人が壁や棒や赤い繭になってしまう。虫という有機物になるカフカに対して、棒のような無機物になる点に安部公房の特徴がある。安部公房の作品でも官僚的というか役所的なものの弊害が描かれている 。安部公房のオススメ作品として推したいのは、人が壁になってしまう『壁』と、砂漠の中の穴に閉じ込められる男を描いた『砂の女』、失った顔を取り戻そうとして仮面制作に取り組む男を描いた『他人の顔』だ。

 

 

三崎亜記

三崎亜記は、公共事業としての見えない戦争を描いた『となり町戦争』でデビューした作家だ。三崎亜記は不条理をテーマにした作品を数多く執筆している。人が失われるなどの理不尽な不条理を前にした時の人間を描くのが上手い。また、いわゆる「お役所的な」縦割りなど、官僚的ナンセンスを表現した作品も多く描いている。三崎亜記のオススメは、となり町との見えない戦争を描いた『となり町戦争』、本物とニセモノの妻に関する話の『ニセモノの妻』、鼓笛隊が日本に襲来する様子や彼女の痕跡が展示された展覧会の話など短編を集めた『鼓笛隊の襲来』だ。

 

 

 砂川文次

砂川文次は自衛隊出身の異例の作家だ。自衛隊にいたということもあってか、自衛隊が関係する話はもちろん、官僚的な組織の不条理を描いた小説を数多く描いている。

『臆病な都市』 では謎の感染症に振り回される世間と組織の不条理が描かれている。また芥川賞候補にもなった小隊では、自衛隊小説と組織の不条理を掛け合わせた会心の一作だ。戦争に参加したこともない自衛隊員が自衛隊という官僚的な組織のメカニズムに身を任せて戦争を行う話だ。砂川文時のオススメは、新興感染症によるパニックを描いた『臆病な都市』と、突如北海道でロシア軍との衝突を余儀無くされる『小隊』、芥川賞を受賞した『ブラックボックス』だ。

 

 

新しい定番になるか?教科書に載っている村上春樹作品のまとめ

中高生の国語の授業で扱う小説といえば、中島敦の『山月記』や芥川龍之介の『羅生門』、夏目漱石の『こころ』があるだろう。

国語の教科書に載っている小説って昔の作家が多い印象だが、そうでもない。現代日本を代表する村上春樹の小説も新しい定番として国語の教科書に登場しつつある。

僕が高校生の時も、国語の授業で村上春樹の「カンガルー日和」を扱ったのが印象に残っている。今回は、国語の教科書に採用されている村上春樹の小説をまとめてみた。

 

 

青が消える

「青が消える」という短編は、タイトル通り「青」が世界から消えていく話だ。青とオレンジのストライプのシャツから、青い海から、青色が消えていく。

この「青が消える」という短編だが、文庫本には収録されておらず、全集にしか収録されていない。なので教科書以外では読むのが少し難しい小説だ。

plutocharon.hatenablog.com

 

 

 「」という小説は、『カンガルー日和』という短編集に収録されている10ページほどの短い短編だ。『カンガルー日和』に収録されている小説は短編とショートショートの中間ぐらいの分量なので、ちょうど良いのか教科書によく採用されている。「鏡」という短編は、来客が怖い話を語り合う会で、主催者が最後に自分の話を語るという体裁になっている。

主人公が語る「鏡」についての話は、こんな内容だ。語り手の「僕」は高校を卒業したあと肉体労働をしながら放浪生活を送っていた。その事件は中学校に夜警の仕事をしていた時に起こった。その日の夜、「僕」はいつもはない違和感を覚える。夜3時の見回りをした時に、「僕」は暗闇の中で何かの姿を見かける。それは鏡の中の「僕」だった。

しかし、鏡の中の「僕」は単なる鏡像ではなく、「僕」とは異なるものだった。そう、鏡の中の僕は僕ではなかったのだ。「僕」は恐怖に駆られ、鏡を割って逃げてしまう。しかし、そんな鏡は中学校にはなかった。その影響で「僕」の家には鏡が置かれていないという。

鏡に映ったのは何かと言う点で授業が展開されそう。

 

plutocharon.hatenablog.com

 

 

カンガルー日和 

同じく短編集『カンガルー日和』から表題作「カンガルー日和」。この短編は、僕が高校生に授業で扱ったので、とても印象に残っている短編だ。恋人以上夫婦未満のような微妙な距離感の男女が動物園にカンガルーを見に行くと言う話だ。僕が高校生だった時は、二人の関係性がどうなのかとか、村上春樹独特の表現について理解を深めるみたいな内容を扱っていた。遠い過去の記憶だが。

 

plutocharon.hatenablog.com

 

 

とんがり焼の盛衰

とんがり焼と言う謎の食べ物が題材の小説。とにかく、「とんがり焼」が何を意味するかよく分からず、不思議な内容だ。村上春樹本人のコメントを元に読み解くと、村上春樹の文壇批評として解釈することができる。下の記事で詳しく説明しているので、気になる人はぜひ読んでみて下さい。

 

plutocharon.hatenablog.com

 

 

バースディ・ガール 

 『バースデイ・ガール』は特別な誕生日に起こった不思議な出来事を描いている。この短編はもともと『バースディ・ストーリーズ』という誕生日に関する小説を村上春樹自身が集めたアンソロジーに収録されたものだ。

『バースディ・ガール』で描かれているのは、ある女性の二十歳の誕生日に起こった特別な出来事だ。主人公の女性は、ひょんなことでこの特別な誕生日にレストランで働くことになる。最初、主人公はシフトを入れていなかったが、同僚が寝込んでしまい、誕生日に働くことになる。

客足はあんまりなかったけれど、マネージャーが突然の腹痛で病院に運びこまれるというトラブルが発生する。主人公はマネージャーから一つお願い事を託される。それは、レストランが入っているビルに住むオーナーに晩御飯を届けるというものだ。簡単な仕事に思えるが、この出来事が彼女の誕生日を特別なものに変える。

 

 

レキシントンの幽霊

 

 

他にも教科書に載っていた村上春樹作品があればコメント欄などで教えてください!

 

 

関連記事

plutocharon.hatenablog.com

plutocharon.hatenablog.com

組織の不条理と戦争 /『小隊』 砂川 文次

芥川賞候補作の砂川文次「小隊」は組織の不条理を描いた戦争小説だ。「小隊」は、北海道にロシア軍が上陸し、日本の自衛隊と衝突するという架空の戦争を描いている。

 

まず著者が自衛隊出身ということもあってか、小説のリアリティに圧倒された。専門用語が頻繁し、読んでいる自分も自衛隊として戦場にいるかのような錯覚を抱く。読者である自分も戦場に駆り出されたかのように。文学版の『ダンケルク』と言ったらイメージしやすいだろうか。

 

軍事的なことは僕自身よく分からないのだけれど、「小隊」で描かれているロシア軍の攻め方はかなりリアリティがあるらしい。戦争が始まるぞ!みたいな開戦ではなく、静かに開戦していく様は妙にリアルである。実際の戦争もこんな感じで始まるのだろうか。

 

主人公の安達は戦争を経験したことがなく、開戦した当初は戸惑っているが、組織での役割に突き動かされ滞りなく戦争を遂行していく。官僚的な組織の弊害と、個人の意思ではなく、組織での役割や組織の論理で戦争を遂行していくさまはカフカ的だなと感じた。

 

冒頭での、自衛隊に退去勧告者か伝える「守ってくれるんでしょ」という言葉は、日本とアメリカの関係を暗示しているように思える。

 

小隊

小隊

  • 作者:砂川 文次
  • 発売日: 2021/02/12
  • メディア: 単行本
 

 

 

第164回芥川賞受賞作を全力で予想してみた!

第164回芥川龍之介賞受賞作を予想してみた!

1月といえば芥川賞受賞作発表の月だ。今回の候補作品を全部読んでみて芥川賞受賞作を予想してみた。今回の候補作はどれもレベルが高く甲乙付け難かった。今回の候補作は、クリープハイプ尾崎世界観の『母影』や、アイドルを推すこと題材にした『推し、燃ゆ』など話題作が多い。

さらには、今回の候補作は、「新潮」・「群像」・「文藝」・「文學界」・「すばる」の五大文芸誌からそれぞれ選出されている。これって意外と珍しい。純文学雑誌バトルロイヤル感があってゾクゾクする。まず先に僕の予想を書いておく。

 

芥川賞

乗代雄介『旅する練習』と宇佐見りん『推し、燃ゆ』のW受賞と予想!

 

この2作はコロナ禍やアイドルを推すという文化など、今の時代を反映した内容となってる。僕は芥川賞の受賞作の役割には、その当時の時代を反映しているというものがあると思っている。その点で、この2作はぴったりじゃないかと思う。

 

次にそれぞれの作品の選評的なものを書いておく。選評って何様だよと思った方も多いだろうが、生暖かい目で見守ってもらえたら幸いだ。

続きを読む

「歩く、書く、蹴る」の練習の旅 /『旅する練習』 乗代 雄介

中学入学を前にしたサッカー少女と小説家の叔父。 
2020年、コロナ禍で予定がなくなった春休み、 ふたりは利根川沿いに、徒歩で 鹿島アントラーズの本拠地を目指す旅に出る。 

新型コロナウイルスが流行してから、日常の景色が一変した。マスクは必需品になったし、密な場所やイベントは随分と減った。今振り返ると、コロナ流行前の何気ない日常がこんなにも愛おしいものだったのかと思う。

乗代雄介の『旅する練習』は、新型コロナウイルスが流行する直前とその後から日常を描いた小説だ。ちょうど最初の緊急事態宣言が出る前の2020年の3月の話である。

タイトルに旅と入るように、サッカー少女・亜美(あび)と小説家である叔父が利根川沿いに鹿島アントラーズの本拠地を目指すという内容だ。千葉の我孫子からスタートし鹿島アントラーズの本拠地を目指し、その道中で二人は「練習」に励む。サッカー少女・亜美はドリブルやリフティングをしながら歩き、叔父は行く先々の名所の描写に励む。「歩く、書く、蹴る」の「練習の旅」だ。なぜ鹿島アントラーズの本拠地に行くのかというと、亜美が近所の合宿所から持ち帰ってしまった本を返すためだ。

乗代雄介の小説は、書物の題名や引用、エピソードが読み込まれるのが特徴だ。その特徴は『旅する練習』でも健在で、柳田國男小島信夫それに加えてサッカー選手のジーコの引用やエピソードが挿入される。さらにはおジャ魔女どれみ真言宗も重要なモチーフとなっている。

『旅する練習』は、叔父が語り手として亜美との「練習の旅」を描くという構造になっている。「練習の旅」の時点で描いた名所の描写に、後から当時の様子を細かく描いたという体裁だ。『旅する練習』はこの構造にちょっとした仕掛けがある。語りの工夫によって、『旅する練習』は最初に読んだ時と2度目に読んだ時とでは印象が異なる小説に変貌する。僕は1度目に読んだときは衝撃を受けて、読み返したときは語りに隠された真実に心を揺さぶられた。

下記では、内容の詳細に触れ『旅する練習』について読み解いていこうと思う。未読の人はネタバレに気をつけて。

 

 

新型コロナウイルス感染拡大のために臨時休校→「練習の旅」へ

 

亜美の中学受験が無事に終わったところからこの小説は始まる。亜美はサッカーが大好きで、強豪校に行くために中学受験をした。無事に中学受験が終わったので、亜美と叔父は鹿島アントラーズの試合を見にいこうとする。試合だけが目的ではなくて、返すのを忘れていた本を合宿所に返すためでもある。

しかし、新型コロナウィルスの感染拡大で、亜美の計画は狂ってしまった。記憶にも新しいと思うが、あの頃は感染の拡大初期で、学校は休校になっていた。新型コロナにより日常が一変したことを、この小説は丹念に書き込んでいく。

鹿島アントラーズの試合もなくなり、計画も中止になりそうであったが、語り手の叔父があることを思いつく。それは、千葉の我孫子から利根川沿いに鹿島アントラーズの本拠地まで歩くというものだ。ただ歩くだけではない。亜美はドリブルとリフティングの練習を、叔父は情景描写の練習をする。「練習の旅」だ。

 

この『旅の練習』という小説は、「練習の旅」のことを後に振り返り、書き上げたという体裁になっている。『旅の練習』の本文には、「練習の旅」の時に叔父が書いた情景描写が挿入され、その当時を振り返りながら叔父が筆を進める。情景描写には、亜美のリフティングの回数も書き込まれていて、なんだか微笑ましい。

 

基本的には利根川沿いに歩くのだけれど、叔父が行きたいと思った場所に立ち寄り、情景描写の練習を行う。「滝井孝作仮寓跡」や「鳥の博物館」などだ。何気ない日常を描写しているが、コロナ禍の影響で「鳥の美術館」が閉館しているなど、新型コロナウィルスがもたらした日常の変化が時折顔を出す。もうあの日常は失われてしまったのだ。

 

亜美と叔父は寄り道をしながらも旅を続ける。旅には思いもがけない出会いがあるというが、亜美と叔父は、同じく鹿島への旅をしているみどりさんと出会う。意気投合して三人は一緒に鹿島に向かうことになる。

 

 

「練習の旅」を通じて亜美は成長する

この練習の旅を通じて亜美は成長した。サッカーの面でもそうだし、精神的な面でもだ。みどりさんが旅の途中にいなくなってしまった時も、亜美の言葉がみどりを救った。みどりは内定が決まっていたのだが、新型コロナの影響で内定先から辞退しないかと言われ、悩んでいたのだ。そんなみどりを救ったのは亜美の言葉だった。

 

「この旅のおかげでわかったの。本当に大切なことを見つけて、それに自分を合わせて生きるのって、すっごく楽しい」

 

この言葉がきっかけで、みどりは内定を辞退し、自分が好きな鹿島の街で生きることを決意する。旅のおかげでみどりも成長できたし、亜美も成長できた。『旅の練習』は「練習の旅」を通じた亜美の成長譚だと思っていた。最後のページを読むまでは...

 

 

叔父はなぜこの文章を書いたのか?

 

話が変わるが、なぜ叔父はこの文章を書いたのだろうか?練習のためだろうか?キーワードは「忍耐」だ。後半にいくにつれてこの小説には「忍耐」というワードが頻出する。

叔父は一体何に忍び耐えて文章を書き上げたのだろうか?本文中にこんな一節がある。

ただ大事なのは発願である。もう会えないことがわかっている者の姿を景色の裏へ見ようとして見えない、しかしどうしようもなく鮮やかに思い出されるものがある。その感動を正確に書き取るために昂ぶる気を抑えようとするこの忍耐も、終わりに近づいてきた。

 叔父はもう会うことができない者への思いを抑えながらこの文章を書いていたのだ。しかし、完全に抑えることができず、地の文に思いが染み出していた。それは終わりに進むにつれて顕著になる。亜美を慈しむような文章が時折挟まれていたが、後半になってその意味に気づく。叔父は亜美にもう会うことができないのだ。気持ちを抑えて描き続けた叔父のことを思うと胸が熱くなる。

私がこの目で見た亜美の姿が、同じように流れる言葉が、あの時はこらえていたはずの感動が、あの浜へ私を飛ばして手が止まる。そのたびにまた会えるけれど、もう会えない。この練習の息継ぎの中でしか、我々が会うことはない。

最後には抑えきれない思いが溢れ出ていて、涙を誘う。

亜美が生まれて初めてただ一冊、楽しんで読んだ本の題名を訊いておけばよかった。この旅で何度呼んだか知れない名前の由来を教えてやればよかった。

叔父は、死んだ亜美への思いを抑えながら「練習の旅」の記憶を書いていたのだ。亜美を失ってから、叔父はなぜなの時こうしていなかったのかという思いに押しつぶされる。新型コロナウィルスが流行った後になって、以前の生活がどんなに幸せなものだったかを認識した私たちのように。亜美は「練習の旅」の後、交通事故で唐突に命を落としてしまったのだ。

新型コロナが流行し、唐突に日常を失った自分にも重なるように感じた小説だった。

 

 

旅する練習

旅する練習

  • 作者:乗代 雄介
  • 発売日: 2021/01/14
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

推しに愛される妄想が現実を変える / 『コンジュジ』 木崎 みつ子

芥川賞候補にもあがっていた木崎みつ子の『コンジュジ』を読んだ。

木崎みつ子はこの『コンジュジ』ですばる文学賞を受賞しデビューしている。『コンジュジ』で芥川賞を受賞すれば、すばる文学賞受賞作で芥川賞受賞という金原ひとみ以来の快挙となる。『コンジュジ』だが、かなり面白いし構成・文章とレベルが高い。芥川賞とるぐらいのレベルにはあると思った。文章もこなれていて、ユーモア溢れる表現は魅力的だ。次の作品が楽しみな作家だ。

『コンジュジ』はポルトガル語で配偶者を意味する。実父から性暴力を受ける現実、架空のバンドの緻密な自伝、好きなバンドのボーカルに愛されているという妄想、の3つの物語が交錯する重層的な小説になっている。親からの性暴力という出口のない辛い現実を、好きなミュージシャンに愛されているという妄想(フィクション)で塗り替えて生きていく「せれな」の姿を描いている。フィクションの大切な役割の一つに、辛い現実から避難所という意味合いがあるのではないかと考えさせられた。

 

 

実父からの性的虐待という辛い現実パート

せれなの父親は、仕事を失い、妻にも愛想をつかされて家を出ていかれる。父親はそのショックからリストカットするなど精神が不安定だった。せれなは家事を行ったりと精神不安定な父親を支えていた。ある日、泥酔した父はブラジル人の女を連れ帰ってくる。翌日に父から「今日からのこの家のお母さん」だと紹介され、ブラジル人の女性との共同生活が始まる。
 
そんな崩壊気味の家庭で過ごすせれなの楽しみは、今は亡きリアンの追っかけをし妄想を膨らますことだ。リアンはイギリスのロックバンド「ザ・カップス」のボーカルだ。せれなは、テレビの追悼番組でリアンのことを知った。リアンは三十二歳で既にこの世を去っていたが、せれなはリアンに想いを膨らましていく。CDを読んだり、自伝を読んだりとリアンの追っかけを始める。そして、せれなはリアンの付き人となりツアーに同行する妄想を始める。
 
せれなの父親だが、ブラジル人の女性とも関係が上手くいかず、ブラジル人の女性はついには出て行ってしまう。そこから、父は気がおかしくなったのかせれなに手を出すようになる。せれなは父親に犯されてしまう。辛い現実に直面したせれなを救ったのはリアンだった。

 

リアンの自伝パート

せれなの現実のパートの間には、自伝の形でザカップスのリアンの生い立ちについて語られている。バンドの結成秘話から、バンドの全盛期、メンバー間の確執、リアンの乱れた私生活など緻密に描かれている。バンドのエピソードがかなり面白く、文章もユーモアに溢れていて読んでいて楽しい。バンドマンにありがちだが、リアンは女性関係がだらしなく不倫したり色んな女性と関係を持っていた。これがせれなを傷つけることになるのだが。

 

 

リアンが現実に登場する現実と妄想が入り混じったパート

せれなが父に犯されてから、リアンは妄想として登場するようになる。出口のない暴力から精神を守るために、せれなは現実と妄想をごちゃ混ぜにするようになる。リアンが実在するかのように振る舞うのだ。父親が死んだ後、せれなは一人暮らしをはじめリアンとの「同棲」を始める。リアンの女性関係などを巡って二人は言い争い(現実にはせれなの一人芝居なのだが)、リアンが出て行ってしまう。

引っ越してからせれなは父親からの性的虐待の記憶がフラッシュバックし苦しめられることになる。リアンとツアーに同行していた時の妄想の裏では、性的虐待が行われていたことが明かされる。辛い現実に耐えるために現実を捻じ曲げていたのだ。

苦しむ中でせれなはリアンも父親から性的虐待を受けていたことを知る。終盤ではせれなとリアンの人生が重なり、現実と妄想が収斂していく。

 

 

静謐なラストシーン

最後にせれなは空想の中で、リアンのお墓を訪れる。せれなはお墓を掘り返し、リアンの棺の中に入る。現実には仕事に追われる一日が待ち受けていることを知りながらも、せれなはリアンとともに棺に入り埋められることを望むのだ。これはリアンの葬式であると同時に、せれなとリアンの結婚式であるように思えた。過去のトラウマで、体の半分を奪われたも同然のせれなは自身を空想のリアンとともに埋葬したのだ。

たかが空想でも、出口のない辛い現実からの避難所にはなる。フィクションの役割について再確認できた良作だった。