村上春樹の新作長編小説『街とその不確かな壁』が発売された。『一人称単数』といった短編集は出版されてきたが、新作の長編小説は久しぶりということもあり、発売当初は大きな注目を集めた。
発売から時間が経ったので、読んだ人も多いのではないだろうか。この記事では、『街とその不確かな壁』の理解を深めるためにおすすめの村上春樹作品を紹介したい。『街とその不確かな壁』に内容が近い村上春樹作品がいくつかあるので、読解の参考になるのではないかと思う。
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いつもの恒例行事として5大文芸誌の内容を見ていたのだが、文學界の6月号のラインナップがとても豪華だったので紹介したい。
注目したいのは、乗代雄介「それは誠」、九段理江「しをかくうま」だ。
乗代雄介と九段理江ともに芥川賞候補になっている注目の若手作家だ。
乗代雄介は「旅する練習」や「本物の読書家」といった作品を出版している。
今回文学界で発表した「それは誠」は下記の内容であるようだ。
地方の高校生・佐田は修学旅行で訪れた東京で同級生とある冒険に挑む。青春のきらめきを描く、著者の集大成
高校生たちの冒険ということで、前作の「皆のあらばしり」がおもい出される。
この作品は芥川賞候補の最有力作品になりそうだ。
九段理江「しをかくうま」も内容が気になる。
乗れ。声はどこからともなく聞こえた。乗れ。過去、現在、未来と続いていく、馬と人類の壮大な歴史絵巻
壮大な歴史絵巻ということで、前作よりもスケールアップしてそうな期待がある。前作の「School girl」がかなり好みだったので、こちらも非常に楽しみである。
どちらも芥川賞候補になりそうな力作であるような気がするのだが、一つの雑誌から候補作が複数出ることは果たしてあるのだろうかというところが疑問である。まあ、芥川賞を主宰している文藝春秋から出ている文學界の掲載作品なので、問題はないかと思い直した。
また文学界では、村上春樹『街とその不確かな壁』の批評記事が乗っている。全般的に今回の出版では『1Q84』ほど盛り上がっていないと思うのだが、文学界はちょっと特集をやっているみたいだ。批評を担当するのが、上田岳弘ということでこちらも楽しみだ。
久しぶりに文芸誌を買おうかなという気分になった今日この頃だった。
映画はストーリーに入り込むことで、驚きや楽しみ、ワクワク、ドキドキ、などの色んな感情を体験できる優れたエンターテイメントだ。だが、時間に追われる現代社会では2〜3時間の映画を見ている余裕がないという人も多いだろう。なので大体90分程度で観れる映画をテーマに合わせて紹介していきたいと思う。今回はセンスが抜群のおしゃれな映画を紹介したい。
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『マッチポイント』を観た後に鑑賞したので、こちらもシリアスなサスペンスかと思いきや、シニカルなユーモアに溢れたいつものウディ・アレン作品だった。まさにコミカルなウディ・アレン流サスペンス。主演女優は『マッチポイント』に引き続き、スカーレット・ヨハンソン。スカーレット・ヨハンソンは『マッチポイント』・『タロットカード殺人事件』・『それでも恋するバルセロナ』と立て続けにウディ・アレン作品に登場している。スカーレット・ヨハンソンはこの頃のウディ・アレンにとって新たなミューズだったのかもしれない。ここ最近では『マジック・イン・ムーンライト』・『教授のおかしな妄想殺人』でエマ・ストーンが起用されている。
映画の舞台はロンドン。ジャーナリズムを専攻する女子大生サンドラ(スカーレット・ヨハンソン)は、鑑賞したマジックショーでシド(ウディ・アレン)のマジックの手伝いをすることになる。マジックボックスの中に入ったサンドラは、その中で幽霊となって現われた有名ジャーナリストと遭遇する。その幽霊はタロットカード連続殺人事件の犯人の名前を告げるのであった。なりゆきでコンビを組むことになったサンドラとシドは真相解明に向けて調査を始めるのであった。
まず、幽霊が現れて犯人の名前を告げる時点で、普通のミステリー映画ではない香りが漂う。その後、調査が進むと思いきやサンドラは容疑者に恋しちゃうし、シドも適当すぎて捜査にならないし、幽霊がヒントをくれるしと、普通のミステリー映画としてみると突っ込みどころが多い。ゴリゴリのミステリーというよりも、脱力して楽しめるコメディタッチのミステリーとなっている。とにかくサンドラとシドの掛け合いがユーモアに溢れていて面白い。
主演のスカーレット・ヨハンソンがとにかくセクシー!特にプールサイドでのシーンでは明らかに狙ったようなセクシーなカットがある。このシーンだけでも見る価値あり。コミカルタッチな作品が好みなので、『マッチポイント』や『それでも恋するバルセロナ』とスカーレット・ヨハンソンが出演しているウディ・アレン作品の中でもこの『タロットカード殺人事件』が一番好きだな。スカーレット・ヨハンソン演じる女子大生とウディ・アレン演じるマジシャンとのコミカルな会話がいい味出している。
ウディ・アレン作品は普通には終わらない。『マッチポイント』でも予想を超えるエンディングを持ってきたけど、この『タロットカード殺人事件』でも普通とは違う一ひねり効いたエンディングが待っている。ウディ・アレンらしいブラックユーモアが効いたシニカルなエンディングは予想外すぎて、笑ってしまった。『タロットカード殺人事件』はウディ・アレンらしいユーモアに溢れた会話に、適度などんでん返しのあるストーリーと、脱力して楽しめるミステリー映画としておススメ。
映画はストーリーに入り込むことで、驚きや楽しみ、ワクワク、ドキドキ、などの色んな感情を体験できる優れたエンターテイメントだ。だが、時間に追われる現代社会では2〜3時間の映画を見ている余裕がないという人も多いだろう。なので大体90分程度で観れる映画をテーマに合わせて紹介していきたいと思う。今回はセンスが抜群のモノクロ映画を紹介したい。
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村上春樹の最新作『街とその不確かな壁』を読み終えた。早く読みたい気持ちとじっくりと味わいたい気持ちがせめぎ合う中での読書だった。
村上春樹の最新長編を発売直後にリアルタイムで読むのは、何気に初めてかもしれない。『騎士団長殺し』の時は数週間遅れて読んだように記憶している。リアルタイムで読むことである種のお祭り気分を味わえた。出版不況といわれて久しい中、数多くの小説で発売日をカウントダウンして楽しめる作家というのは村上春樹ぐらいしかい。たまには、こういう祭り(フェト)があってもいいのかもしれない。
話を元に戻そう。読了し終わったばかりで、とっ散らかっている部分があるが、『街とその不確かな壁』について感想を書こうと思う。ラフスケッチのようなものだ。
最初の部分はネタバレなしで書いて、後半はネタバレ有りで書いている。ちょっとした考察のようなものも書き足している。
『街とその不確かな壁』を読んでまず思ったのが、「街と、その不確かな壁」が長い時を経てようやく完結したんだなという感慨深さだった。
事前情報として『街とその不確かな壁』というタイトルが公開されてから、村上春樹の幻の中編小説「街と、その不確かな壁」との関連性が話題になっていた。
村上春樹「街と、その不確かな壁」は1980年『文學界』9月号に掲載された作品だ。「街と、その不確かな壁」は、単行本や文庫本、全集にも収録されていない幻の作品である。
物語の結末が村上春樹本人にとって納得のいくものではなかったようで、村上春樹自身「あれは失敗」であり、「書くべきじゃなかった」とも語っている。失敗作ということで収録されていないのだ。
失敗作と言われた「街と、その不確かな壁」だが、その内容は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終り」パートに引き継がれた。
今回の『街とその不確かな壁』は「街と、その不確かな壁」のリメイクだ。村上春樹本人も、『街とその不確かな壁』のあとがきでそのいきさつを語っている。
確かに、「街と、その不確かな壁」では不十分だった部分が保管され、物語の厚みがましていた。僕が読んだ時にこの部分は深堀した方が良いんじゃないかと思っていた点が『街とその不確かな壁』では補充されていた。
『街とその不確かな壁』を読み終わった時は、シン・エヴァを見終わった時のように「完結したんだな」という気持ちが強かった。
エヴァで例えると、昔の「街と、その不確かな壁」がTV版エヴァ最終回で、今回の「街とその不確かな壁」がシン・エヴァのように感じた。もっと詳しく書くとエヴァQ+シン・エヴァが今回の作品に近い印象だ。
3部構成になっているのだが、さらにエヴァで例えると、第一部がエヴァQで、第二部がシン・エヴァの中盤の日常生活パート、第3部がシン・エヴァの最終決戦といった感じだ。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』とは違って、『街とその不確かな壁』では作品全体に静謐な雰囲気が漂っていた。静的な物語世界に浸り、村上春樹ワールドを十二分に楽しむことができた。村上春樹のおなじみの要素が登場して、村上春樹作品を数多く読んできた読者にはすごく楽しめるのではないかと思う。ファン向け作品といったところか。
ここから下はネタバレありで内容に触れて感想を書いている。
僕が読む前に予想していたのだが、『街とその不確かな壁』では「街と、その不確かな壁」では十分に描写されていなかった「僕」と「彼女」のなれそめや関係性について深堀されると考えていた。「街と、その不確かな壁」では、なぜ「僕」は現実世界を捨ててまでも「街」に行ったのかについても説明が少なく、必然性が感じられなかった。村上春樹が「街と、その不確かな壁」を作り直すにあたって、この点は修正してくるだろうと感じていた。そもそも二人の関係性の書き込みが無ければ長編小説に発展させるのは厳しいのではないかという考えもあったが。
『街とその不確かな壁』では、予想通り「僕」と「彼女」のなれそめや関係性について言及があった。「街と、その不確かな壁」では語られなかった二人の関係性は面白く読めたし、物語の厚みが増していたように思う。幼いころの恋愛が人生に決定的な影響をもたらすというのは『国境の南、太陽の西』でも語られていたモチーフだ。最近の映画で例えると新海誠の『秒速5センチメートル』といったところか。「僕」と「彼女」の恋愛が重要な要素となっている『街とその不確かな壁』は、セカイ系の作品と言ってもいいだろう。まあ、セカイ系の作品群の元と言われているのが村上春樹なのだが。
あと予想では、『街とその不確かな壁』では「街」での暮らしと脱出、現実世界での「僕」と「彼女」の過去の記憶がパラレルに進行していくのではと思っていたが少し違った。実際は、「街」からの脱出は第1部で完了しており、第二部では「街」から脱出後の福島での暮らしが描かれるという展開だった。ここでの福島の暮らしは何故か「シン・エヴァンゲリオン」での居住地区でのシンジくんが思い浮かんだ。
あと、「街」から脱出するのか残るかの選択については、まったくもって予想外であった。
『街とその不確かな壁』では、「僕」がどのようにして過去の恋愛の呪縛から解放されるかについて描かれていたように思う。『街とその不確かな壁』はコミットメントではなく、自分の内面に向き合った極めてデタッチメントな物語であった。
『国境の南、太陽の西』で描かれ、他作品では『秒速5センチメートル』でも描かれていたように、過去の100%の女の子との恋愛からどのように立ち直るかという部分に焦点が当てられていたように思う。
作品のモチーフは過去の村上春樹作品に登場したものが多く登場していて、村上春樹ファンなら楽しめるないようになっている。異世界との往復は村上春樹の基本的な物語構造であるし、「彼女」の描き方は『ノルウェイの森』の直子を彷彿とさせる。
図書館が舞台という点で『海辺のカフカ』を思い浮かべた人も多いかもしれない。
上で少し書いたが、『街とその不確かな壁』は過去の村上春樹作品のリミックスとなっている。『騎士団長殺し』のように村上春樹のベストアルバムといった感じだ。ただ、『街とその不確かな壁』の方がその傾向が強いかもしれない。そのため、『街とその不確かな壁』を読んでいると他の村上春樹作品が思い浮かぶことが多かった。個人的に関連性がありそうな村上春樹作品を列挙してみよう。
まずは、「街と、その不確かな壁」だがこの作品は言うまでもないだろう。
「街と、その不確かな壁」をリメイクした『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』も関連している村上春樹作品に上がるだろう。
「街」から脱出するかどうかの選択は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と同じであった。ただ、今作品では脱出した側と残った側の二つに分かれるという展開になっている。
『街とその不確かな壁』では、「僕」がどのようにして過去の恋愛の呪縛から解放されるかについて描かれていたように思う。その点において、『国境の南、太陽の西』を思い浮かべずにはいられない。
また、図書館が舞台という点で『海辺のカフカ』を思い浮かべた人も多いかもしれない。僕もすぐに『海辺のカフカ』が思い浮かんだ。
また、作品の後半でイエローサブマリンの少年が登場するのだが、僕にとっては『スプートニクの恋人』に登場する「にんじん」という少年を思い浮かべずにはいられなかった。『スプートニクの恋人』において「にんじん」という存在は喪失感にさいなまれる主人公を救済するような役割を担っている。主人公を救済するという点において、イエローサブマリンの少年が「にんじん」に重なってみえたのである。
村上春樹ファン(村上主義者)として楽しめた本作だが、疑問点というかひっかる点が二つほどある。それは、「街」と現実世界の時間の流れと、「疫病」の扱いについてだ。
「僕」が「街」に行って帰ってきた時、会社で捜索願が出されているといった描写は観られなかった。なので、「街」で流れる時間と現実世界で流れる時間は異なっていて、現実世界ではほとんど時間がたっていなかったために「僕」の周りでは騒動が起こらなったと理解している。
しかし、「イエローサブマリンの少年」が「街」に行った際には、家族総出で捜索するなど騒動になっていた。
「僕」が「街」に行った際には現実世界で騒動にならず、「イエローサブマリンの少年」が「街」に行った際には現実世界でも問題になったのはどう解釈すればいいのだろうか。
現状は下記の解釈を考えている。①「僕」は「街」から現実世界に戻ってきたので、異世界にワープしても、時間の流れの違いから現実世界の時間軸ではほとんど時間が過ぎておらず問題にならなかった②イエローサブマリンの少年は「街」の世界に定住することを決め、現実世界に帰ってこなかったため、存在が消失して問題になった。
後半の方で壁は「疫病」から街を守るために存在するというくだりがあるのだが、この部分はいるのかというのが率直な意見だ。「疫病」と強調されると新型コロナとの関連を考えないわけにはいけないのだが、作品の中で「疫病」について触れられる部分は一部しかなく深堀がなされていなかった。個人的には取って付けた感が否めない。
疫病と書き込むのであれば、もう少しやり方があったのではないかと思う。僕個人としては、ストーリー的にも「疫病」への言及は要らなかったと思うし、必然性を全く感じなかった。個人的には無くてよかったのではと思う。
Twitter上で色んな人が言及していたが、『街とその不確かな壁』では真っ向から「老い」が描かれていなかった。まあ、別に作家が老いたからと言って「老い」を描かなければならないというルールはないのだが。でも、川端康成や谷崎潤一郎といった作家は年齢とともに「老い」をテーマにした作品を書いているし、村上春樹にも「老い」をテーマにした作品を書くのでは思うところはある。
比較的最近に発表された短編集『一人称単数』でも、全面的に「老い」がテーマになってはいないものの、主人公が人生の後半に差しかかった人物として描かれていた。特に「ウィズ・ザ・ビートルズ」では、「老い」というものに向き合った作品になっているのではと思う。それもあって個人的には、『一人称単数』からの流れで、『街とその不確かな壁』では全面的に老いがテーマとして扱われるのではと思っていた。個人的には、文学好きとして村上春樹が老いをテーマにするのを読んでみたかった気持ちがあるのだが、村上春樹好きとしてはいつもの村上春樹を読みたかった。ちょっと複雑な心境だ。
今回の『街とその不確かな壁』は、批評家・評論家受けは悪いと思うのだが、村上春樹ファン受けは非常によいのではないかと思う。『街とその不確かな壁』には村上春樹ファンが求める要素(壁抜け、異世界への冒険譚、春樹的な展開)がてんこ盛りだった。文学的な挑戦というのは多くなく、村上春樹を愛読するファン向けにかかれた作品だなと思う。村上春樹には世界中に数多くのファンがいる。多くのファンの期待に応えるのは並大抵のことではないのだなと『街とその不確かな壁』を読んで感じた。
僕は『街とその不確かな壁』は、村上春樹ファン(村上主義者)として非常に楽しめた。僕が村上春樹に求めているものがあったからだ。僕的には、コミットメントと呼ばれる作風の頃よりも、デタッチメント的な作風と言われる初期作品の方が好きなので、満足できた。
ただ、村上春樹の今後の長編小説には、『1Q84』の時のような新しい挑戦は期待できないのかなと思うと少し寂しくもある。『騎士団長殺し』や『街とその不確かな壁』のような村上春樹ベストアルバム的な作品もいいけれども、新境地も見てみたいなとも思う。ただ、村上春樹ファンに求められているのは村上春樹ワールド全開の『騎士団長殺し』や『街とその不確かな壁』なのかなとも思う。
まとまってはいないが、感想をつらつらと書いてみた。
まとまった休みが取れたので、思うところを一気呵成に書いたので、論旨がずれている所も多いかと思う。後々直していこうと思う。
また、『街とその不確かな壁』の考察記事も書いていこうと思うのでまた見てほしい。
まあ、とりあえずベッドに長い葱を2本置こうと思う。やれやれ。
東野圭吾は、ガリレオシリーズや加賀恭一郎シリーズでお馴染みの大人気ミステリー作家だ。知らない人は恐らくいない。
東野圭吾は、ガリレオシリーズの『容疑者Xの献身』で直木賞を受賞している。『容疑者Xの献身』は本当に傑作だ。他に有名な作品を列挙してみると『白夜行』とか『秘密』がある。映画化もよくされていて、『真夏の方程式』や『ラプラスの悪魔』が公開されている。
そんな大人気作家・東野圭吾だが、世間的にはマイナーだけど面白い小説を紹介していこうと思う。本格ミステリが好きな人に特におすすめしたい。
八人の男女が集まる山荘に、逃亡中の銀行強盗が侵入した。外部との連絡を断たれた八人は脱出を試みるが、ことごとく失敗に終わる。恐怖と緊張が高まる中、ついに一人が殺される。だが状況から考えて、犯人は強盗たちではありえなかった。七人の男女は互いに疑心暗鬼にかられ、パニックに陥っていった…。
どんでん返しの名作としてよく話題に上る『仮面山荘殺人事件』。どんでん返しにこだわった、クローズドサークルものだ。きっと貴方も騙される。この仮面山荘の面白いところはクローズドサークル(閉ざされた空間での殺人)が生まれる状況にこだわり、より必然的にクローズドサークルが生じるようにしているところだ。吹雪で閉じ込められたり、孤島に閉じ込められるというのはクローズドサークルのお約束だが、パターンが決まっているし設定に穴が多いのもある。都合よく吹雪起こりすぎじゃねとか、頑張ったら逃げれるとかツッコむところが多いものもある。まあ、クローズドサークルはミステリー好きには堪らない設定だけど。
この仮面山荘では古典的なミステリーの設定をそのまま使うのではなく、八人の男女が集まる山荘に逃亡中の銀行強盗が侵入したために外に出られなくなったという斬新な理由でクローズドサークルになる。そして衝撃のどんでん返し!ミステリー密度の濃い一冊。
早春の乗鞍高原のペンションに集まったのは、オーディションに合格した男女7名。これから舞台稽古が始まる。豪雪に襲われ孤立した山荘での殺人劇だ。だが、1人また1人と現実に仲間が消えていくにつれ、彼らの間に疑惑が生まれた。はたしてこれは本当に芝居なのか?驚愕の終幕が読者を待っている!
『ある閉ざされた雪の山荘で』も『仮面山荘殺人事件』と並んで、どんでん返しの名作と言われている。仮想の雪の山荘でのクローズドサークルという異色の設定が使われたミステリー。実際に殺人が起きているのか、それとも芝居なのか分からないという、斬新なクローズドサークルになっている。最後にはほんのり感動する。余談だけど同じトリックがフランスの前衛文学にも使われていたりする。
ミステリは様式美や形式美を重んじるジャンルだ。古臭いし現実味がないけれど、密室やクローズドサークル、見立て殺人などの道具立てはロマンあふれるものだし、ミステリの醍醐味である。
そんな本格ミステリの形式に真っ向から喧嘩を売ったのが東野圭吾の『名探偵の掟』だ。東野圭吾は今は大衆向けの作家だけれど、昔は本格ミステリ物を多く書いている。『名探偵の掟』は、東野圭吾の本格ミステリへの愛情で溢れていると思う。じゃないとミステリの「お約束(ノックスの十戒など)」を破り、タブーに挑んだこの本を書くことが出来ないと思う。『名探偵の掟』では、密室や見立て殺人などのミステリの「お約束」にどんどん切り込んで、パロディ化していく。東野圭吾先生ここまでやっていいんですか?と読者の側が心配になってしまう。本格ミステリが好きな人、普通のミステリに飽きた人に薦めたい。