日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

「歩く、書く、蹴る」の練習の旅 /『旅する練習』 乗代 雄介

中学入学を前にしたサッカー少女と小説家の叔父。 
2020年、コロナ禍で予定がなくなった春休み、 ふたりは利根川沿いに、徒歩で 鹿島アントラーズの本拠地を目指す旅に出る。 

新型コロナウイルスが流行してから、日常の景色が一変した。マスクは必需品になったし、密な場所やイベントは随分と減った。今振り返ると、コロナ流行前の何気ない日常がこんなにも愛おしいものだったのかと思う。

乗代雄介の『旅する練習』は、新型コロナウイルスが流行する直前とその後から日常を描いた小説だ。ちょうど最初の緊急事態宣言が出る前の2020年の3月の話である。

タイトルに旅と入るように、サッカー少女・亜美(あび)と小説家である叔父が利根川沿いに鹿島アントラーズの本拠地を目指すという内容だ。千葉の我孫子からスタートし鹿島アントラーズの本拠地を目指し、その道中で二人は「練習」に励む。サッカー少女・亜美はドリブルやリフティングをしながら歩き、叔父は行く先々の名所の描写に励む。「歩く、書く、蹴る」の「練習の旅」だ。なぜ鹿島アントラーズの本拠地に行くのかというと、亜美が近所の合宿所から持ち帰ってしまった本を返すためだ。

乗代雄介の小説は、書物の題名や引用、エピソードが読み込まれるのが特徴だ。その特徴は『旅する練習』でも健在で、柳田國男小島信夫それに加えてサッカー選手のジーコの引用やエピソードが挿入される。さらにはおジャ魔女どれみ真言宗も重要なモチーフとなっている。

『旅する練習』は、叔父が語り手として亜美との「練習の旅」を描くという構造になっている。「練習の旅」の時点で描いた名所の描写に、後から当時の様子を細かく描いたという体裁だ。『旅する練習』はこの構造にちょっとした仕掛けがある。語りの工夫によって、『旅する練習』は最初に読んだ時と2度目に読んだ時とでは印象が異なる小説に変貌する。僕は1度目に読んだときは衝撃を受けて、読み返したときは語りに隠された真実に心を揺さぶられた。

下記では、内容の詳細に触れ『旅する練習』について読み解いていこうと思う。未読の人はネタバレに気をつけて。

 

 

新型コロナウイルス感染拡大のために臨時休校→「練習の旅」へ

 

亜美の中学受験が無事に終わったところからこの小説は始まる。亜美はサッカーが大好きで、強豪校に行くために中学受験をした。無事に中学受験が終わったので、亜美と叔父は鹿島アントラーズの試合を見にいこうとする。試合だけが目的ではなくて、返すのを忘れていた本を合宿所に返すためでもある。

しかし、新型コロナウィルスの感染拡大で、亜美の計画は狂ってしまった。記憶にも新しいと思うが、あの頃は感染の拡大初期で、学校は休校になっていた。新型コロナにより日常が一変したことを、この小説は丹念に書き込んでいく。

鹿島アントラーズの試合もなくなり、計画も中止になりそうであったが、語り手の叔父があることを思いつく。それは、千葉の我孫子から利根川沿いに鹿島アントラーズの本拠地まで歩くというものだ。ただ歩くだけではない。亜美はドリブルとリフティングの練習を、叔父は情景描写の練習をする。「練習の旅」だ。

 

この『旅の練習』という小説は、「練習の旅」のことを後に振り返り、書き上げたという体裁になっている。『旅の練習』の本文には、「練習の旅」の時に叔父が書いた情景描写が挿入され、その当時を振り返りながら叔父が筆を進める。情景描写には、亜美のリフティングの回数も書き込まれていて、なんだか微笑ましい。

 

基本的には利根川沿いに歩くのだけれど、叔父が行きたいと思った場所に立ち寄り、情景描写の練習を行う。「滝井孝作仮寓跡」や「鳥の博物館」などだ。何気ない日常を描写しているが、コロナ禍の影響で「鳥の美術館」が閉館しているなど、新型コロナウィルスがもたらした日常の変化が時折顔を出す。もうあの日常は失われてしまったのだ。

 

亜美と叔父は寄り道をしながらも旅を続ける。旅には思いもがけない出会いがあるというが、亜美と叔父は、同じく鹿島への旅をしているみどりさんと出会う。意気投合して三人は一緒に鹿島に向かうことになる。

 

 

「練習の旅」を通じて亜美は成長する

この練習の旅を通じて亜美は成長した。サッカーの面でもそうだし、精神的な面でもだ。みどりさんが旅の途中にいなくなってしまった時も、亜美の言葉がみどりを救った。みどりは内定が決まっていたのだが、新型コロナの影響で内定先から辞退しないかと言われ、悩んでいたのだ。そんなみどりを救ったのは亜美の言葉だった。

 

「この旅のおかげでわかったの。本当に大切なことを見つけて、それに自分を合わせて生きるのって、すっごく楽しい」

 

この言葉がきっかけで、みどりは内定を辞退し、自分が好きな鹿島の街で生きることを決意する。旅のおかげでみどりも成長できたし、亜美も成長できた。『旅の練習』は「練習の旅」を通じた亜美の成長譚だと思っていた。最後のページを読むまでは...

 

 

叔父はなぜこの文章を書いたのか?

 

話が変わるが、なぜ叔父はこの文章を書いたのだろうか?練習のためだろうか?キーワードは「忍耐」だ。後半にいくにつれてこの小説には「忍耐」というワードが頻出する。

叔父は一体何に忍び耐えて文章を書き上げたのだろうか?本文中にこんな一節がある。

ただ大事なのは発願である。もう会えないことがわかっている者の姿を景色の裏へ見ようとして見えない、しかしどうしようもなく鮮やかに思い出されるものがある。その感動を正確に書き取るために昂ぶる気を抑えようとするこの忍耐も、終わりに近づいてきた。

 叔父はもう会うことができない者への思いを抑えながらこの文章を書いていたのだ。しかし、完全に抑えることができず、地の文に思いが染み出していた。それは終わりに進むにつれて顕著になる。亜美を慈しむような文章が時折挟まれていたが、後半になってその意味に気づく。叔父は亜美にもう会うことができないのだ。気持ちを抑えて描き続けた叔父のことを思うと胸が熱くなる。

私がこの目で見た亜美の姿が、同じように流れる言葉が、あの時はこらえていたはずの感動が、あの浜へ私を飛ばして手が止まる。そのたびにまた会えるけれど、もう会えない。この練習の息継ぎの中でしか、我々が会うことはない。

最後には抑えきれない思いが溢れ出ていて、涙を誘う。

亜美が生まれて初めてただ一冊、楽しんで読んだ本の題名を訊いておけばよかった。この旅で何度呼んだか知れない名前の由来を教えてやればよかった。

叔父は、死んだ亜美への思いを抑えながら「練習の旅」の記憶を書いていたのだ。亜美を失ってから、叔父はなぜなの時こうしていなかったのかという思いに押しつぶされる。新型コロナウィルスが流行った後になって、以前の生活がどんなに幸せなものだったかを認識した私たちのように。亜美は「練習の旅」の後、交通事故で唐突に命を落としてしまったのだ。

新型コロナが流行し、唐突に日常を失った自分にも重なるように感じた小説だった。

 

 

旅する練習

旅する練習

  • 作者:乗代 雄介
  • 発売日: 2021/01/14
  • メディア: 単行本