日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

推しに愛される妄想が現実を変える / 『コンジュジ』 木崎 みつ子

芥川賞候補にもあがっていた木崎みつ子の『コンジュジ』を読んだ。

木崎みつ子はこの『コンジュジ』ですばる文学賞を受賞しデビューしている。『コンジュジ』で芥川賞を受賞すれば、すばる文学賞受賞作で芥川賞受賞という金原ひとみ以来の快挙となる。『コンジュジ』だが、かなり面白いし構成・文章とレベルが高い。芥川賞とるぐらいのレベルにはあると思った。文章もこなれていて、ユーモア溢れる表現は魅力的だ。次の作品が楽しみな作家だ。

『コンジュジ』はポルトガル語で配偶者を意味する。実父から性暴力を受ける現実、架空のバンドの緻密な自伝、好きなバンドのボーカルに愛されているという妄想、の3つの物語が交錯する重層的な小説になっている。親からの性暴力という出口のない辛い現実を、好きなミュージシャンに愛されているという妄想(フィクション)で塗り替えて生きていく「せれな」の姿を描いている。フィクションの大切な役割の一つに、辛い現実から避難所という意味合いがあるのではないかと考えさせられた。

 

 

実父からの性的虐待という辛い現実パート

せれなの父親は、仕事を失い、妻にも愛想をつかされて家を出ていかれる。父親はそのショックからリストカットするなど精神が不安定だった。せれなは家事を行ったりと精神不安定な父親を支えていた。ある日、泥酔した父はブラジル人の女を連れ帰ってくる。翌日に父から「今日からのこの家のお母さん」だと紹介され、ブラジル人の女性との共同生活が始まる。
 
そんな崩壊気味の家庭で過ごすせれなの楽しみは、今は亡きリアンの追っかけをし妄想を膨らますことだ。リアンはイギリスのロックバンド「ザ・カップス」のボーカルだ。せれなは、テレビの追悼番組でリアンのことを知った。リアンは三十二歳で既にこの世を去っていたが、せれなはリアンに想いを膨らましていく。CDを読んだり、自伝を読んだりとリアンの追っかけを始める。そして、せれなはリアンの付き人となりツアーに同行する妄想を始める。
 
せれなの父親だが、ブラジル人の女性とも関係が上手くいかず、ブラジル人の女性はついには出て行ってしまう。そこから、父は気がおかしくなったのかせれなに手を出すようになる。せれなは父親に犯されてしまう。辛い現実に直面したせれなを救ったのはリアンだった。

 

リアンの自伝パート

せれなの現実のパートの間には、自伝の形でザカップスのリアンの生い立ちについて語られている。バンドの結成秘話から、バンドの全盛期、メンバー間の確執、リアンの乱れた私生活など緻密に描かれている。バンドのエピソードがかなり面白く、文章もユーモアに溢れていて読んでいて楽しい。バンドマンにありがちだが、リアンは女性関係がだらしなく不倫したり色んな女性と関係を持っていた。これがせれなを傷つけることになるのだが。

 

 

リアンが現実に登場する現実と妄想が入り混じったパート

せれなが父に犯されてから、リアンは妄想として登場するようになる。出口のない暴力から精神を守るために、せれなは現実と妄想をごちゃ混ぜにするようになる。リアンが実在するかのように振る舞うのだ。父親が死んだ後、せれなは一人暮らしをはじめリアンとの「同棲」を始める。リアンの女性関係などを巡って二人は言い争い(現実にはせれなの一人芝居なのだが)、リアンが出て行ってしまう。

引っ越してからせれなは父親からの性的虐待の記憶がフラッシュバックし苦しめられることになる。リアンとツアーに同行していた時の妄想の裏では、性的虐待が行われていたことが明かされる。辛い現実に耐えるために現実を捻じ曲げていたのだ。

苦しむ中でせれなはリアンも父親から性的虐待を受けていたことを知る。終盤ではせれなとリアンの人生が重なり、現実と妄想が収斂していく。

 

 

静謐なラストシーン

最後にせれなは空想の中で、リアンのお墓を訪れる。せれなはお墓を掘り返し、リアンの棺の中に入る。現実には仕事に追われる一日が待ち受けていることを知りながらも、せれなはリアンとともに棺に入り埋められることを望むのだ。これはリアンの葬式であると同時に、せれなとリアンの結婚式であるように思えた。過去のトラウマで、体の半分を奪われたも同然のせれなは自身を空想のリアンとともに埋葬したのだ。

たかが空想でも、出口のない辛い現実からの避難所にはなる。フィクションの役割について再確認できた良作だった。