日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

「青」が意味するのは何か? / 「青が消える (Losing Blue)」 村上 春樹

村上春樹の中で短編集に収録されておらず、全集にしか収録されていない短編小説がある。それが「青が消える (Losing Blue)」だ。「青が消える」という短編は、タイトル通り「」色が世界から消えていく様を描いた、ちょっとSF風味のある小説だ。例えば、青とオレンジのストライプのシャツから、青い海から、青色が消えていくといった感じだ。

この「青が消える」は全集にしか収録されていないレアな短編小説なのだが、国語の教科書に掲載されているようで、読んだことがある人は意外と多いのかもしれない。この小説における「青」が何を意味するのかを考えるのは、いかにも国語の授業でありそうな内容だ。

「青が消える (Losing Blue)」は、1992年にスペインのセビリアで開催された世界博覧会「EXPO'92」を特集した雑誌のために書かれた。

ちなみにこの小説は、『村上春樹全作品 1990~2000 第1巻 短編集Ⅰ』に収録されているので、読んだことない人はぜひチェックしてみて欲しい。この短編だけのために全集を買うのはしんどいかもしれないが、図書館に行けば全集は置いてあるだろう。だって、世界のハルキムラカミだもの。

この記事ではこの短編の「青」が何を意味するのか考えてみようと思う。

 

 

 

「青」が消えた1999年の大晦日の夜

小説の舞台は、1999年の大晦日の夜だ。新しい時代の幕開けの前に、「青」色が突如として世界から姿を消してしまう。シャツから青色が消えて白色になったり、写真に映る海が白色になったりと、身近なところから青色が全て消えてしまうのだ。

僕は、「青」が消えてしまったことに気づき、なぜ青が消えてしまったのか理由を探し求める。けれど、新しい時代の幕開けを前に、町の人は浮かれていて、「青」が消えてしまったことに誰も関心を払っていない。ただ一人、僕を除いては。多くの人が関心を払っていないところで「青」が消滅し、世界が変わってしまったのだ。

ミレニアムに対して冷めた目で見ている僕は、色んな人に「青」が消えたことを聞いて回るのだけれど、取り合ってくれないし、回答をはぐらかされてしまう。なんとも不思議な小説だ。世にも奇妙な物語にありそうな話だ。

 

 

「青」は何を意味するのか?

では、「青」というのは何を意味しているのだろう。個人的には、「青」というのは歴史の中流れの中で大きな権力に消されていくものの象徴じゃないかと思っている。「青」は自然消滅した訳ではなく、大きな力によって消されたというのが僕の読解の立場だ。

 

話を脱線すると、小説の解釈は読者に委ねらねると思うので、個人的な解釈であればなんでもいいのではないかと思うところではある。この小説を最初に読んで思いついたのは青=未来という解釈だった。未来のことを青写真(Blueprint)と呼ぶので、このような解釈を思いついた。決して本文に基づいているという訳ではないので却下したが。

他にも強引な解釈を考えると、青色という連想から海を連想して、「マイクロプラスチックによる海洋汚染に警鐘を促している」というSDGs的なメッセージを受け取ってもいいし、赤色が共産主義を意味するから青は資本主義を意味してると解釈してもいいかもしれない。いや本文に基づいていなくて、強引すぎる。現代文のテストでやったら減点されるやつだ。

他のブログで、青は資本主義を意味しているみたいなことを書いているのがあったが、「資本主義の象徴の色は青色」とは一般的に言わない。消えたのが「」であれば、赤色=共産主義の色として定着しているので、共産主義の崩壊のメタファーだと言えると思う。けれど、赤色の反対の色は青色だから青=資本主義をと読み解いてしまうのはどうなんだろって思った。そもそも赤のついになる色って青でいいのかって思ったりする。

 

 

政治的に消された「青」

話をもとに戻そう。まず「青」がどうやって消えたのか見てみよう。

「青」だが、突然自然現象のように消えてしまったような印象がある。しかし、青は自然消滅した訳ではなく、故意に消されたのだ。そのことが本文中に仄めかされている。それはブルーラインの駅員に「青」が消えたことについて尋ねるシーンだ。その部分を引用してみよう。

 

「青はいったいどうしたんですか?」、切符売り場の近くで機械の修理をしていた白い駅員に僕は聞いてみた。「青にいったい何が起こったのですか?」
政治のことは私に聞かないでください。私はただの駅員です」と駅員は早ロで言った。
「ということは、 これは政治のせいだと言うんですか? 政治のせいで青がなくなったんですか?」と僕は聞いてみた。

「だから政治のことは私に聞かないでくれと言っているじゃありませんか」と彼は言った。

 

僕の方は「政治」という言葉を発していないのに、駅員は挙動不審な様子で「政治」のことは聞かないでと言っている。これはどう考えても、「青」は「政治的な圧力」によって消されたんじゃないかと勘繰ってしまう。そして駅員は「政治的な圧力」で口止めされているかのようだ。

この様子を見ると、「青」はどうやら政治的に消されたようだ。みんなの関心が新しいミレニアムに向いている間に。

 

この出来事から疑問を持った僕は、政治のトップ・総理大臣と対話することができる「中央コンピューター」に疑問をぶつけてみることになる。総理大臣と対話できる中央コンピューターってすごく近未来感がある。

僕は総理大臣に「青」が消えたことに尋ねてみるが、総理大臣は「政治家的な」回答で、のらりくらりと答えをはぐらかしてくるのだ。

「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」という若山牧水の短歌を引用してみたりと、回答をはぐらかしてくるのだ。なんとも政治家的。ちゃんと政治家を再現した人工知能で優秀だなって思ってしまう。

また最後にはこんな感じで話を切り上げられてしまう。

 

「それが歴史なのですよ、岡田さん。好き嫌いに関係なく歴史は進むのです。石油だってなくなります。ウラニウムだってなくなります。 コミュニズムだってなくなります。オゾン層だって、 二十世紀だって、ジョン・レノンだって、神様だってなくなります。 スイング・ジャズだって、 レコードだって、人力車がってなくなります。岡田さん、どうして青がなくなってはいけないのですか、 岡田さん。明るい面に目を向けなさい。何かがひとつなくなったら、 また新しいものをひとっ作ればいいじゃありませんか。 その方が経済的だし、 それが経済なのですよ、岡田さん」

 

このはぐらかした回答を見ていると、何かあって「青」は消されたのかなと読めてしまう。政治的な圧力か、大きな権力か。ここでは大きな権力に対して弱い立場の個人が描かれているように思う。これは『ねじまき鳥クロニクル』にも書かれているようなテーマで、それもあって主人公の名前が岡田になっているのかなとも思った。

 

 

消えていくものへの眼差し

時代の流れの中で大きな力のせいで消えていった「青」だが、主人公は愛着を持っている。

新しいミレニアムがやってきたのだ。誰も消えた青のことなんか気にしてはいなかった。でも青がないんだ、と僕は小さな声で言った。そしてそれは僕が好きな色だったのだ。

自分にとって「青」のように大切にしていたけど消えていった物ってなんだろうってふと思った。あなたにとっての「青」ってなんですか?

 

栞の一行

でも青がないんだ、と僕は小さな声で言った。そしてそれは僕が好きな色だったのだ。