日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

文体がウィットに富んでいて面白い小説家まとめ

どんでん返し系の小説の帯に「2度読みたくなる」と書かれているのをよく見るけれど、結局のところ何回も読みたくなる小説って文体に魅力がある小説じゃないかなと思う。やっぱり、文章自体に魅力がないと何回も読みたいと思うことがない。やっぱり、ユーモアに溢れる文体の小説って読むのが止まらなくなっちゃう。

 

ということで、文章がウィットに富んでいて何回も読みたくなるような小説家をまとめてみた。

 

 

 

森見 登美彦

文体が面白い作家として真っ先に思い浮かんだのが森見登美彦。古風な言い回しで阿呆なことを書いているのがすこぶる面白い。ハマるとクセになって読むのをやめられない。文学的中毒である。また、古風な言い回しの組み合わせが面白くて、独特の言葉遣いで無益なことを書いてあるのが笑いを誘う。

腹を抱えて笑うという点で森見登美彦のオススメは『恋文の技術』『美女と竹林』だ。

特に『恋文の技術』は腹筋崩壊しすぎて電車の中で読めなかった。『恋文の技術』は手紙のやり取りで構成された書簡小説なのだが、その手紙の内容がおかしすぎて笑いが止まらなかった。今まで読んできた本の中で一番笑った気がする。

『美女と竹林』は竹を刈ることについてのエッセイなのだが、後半はもはや竹すら刈っておらず妄想で構成されているという異色の作品である。そもそも竹林の話だけで一冊の本にするまで引っ張るのがすごい。

ぜひ存分に笑える家で読んでください。もし電車で読んで笑いが止まらなくなって、周りの人から白い目で見られても私は一切責任を負いません。

 

 

町田 康

町田康も文章が面白い作家の代表格だろう。関西弁と話の脈略の無さが面白いのだ。『くっすん大黒』を読んだ時は、衝撃だった。『湖畔の愛』という小説も文学版よしもと新喜劇みたいな感じですごく面白い。

 

 

村上 春樹

村上春樹は、ウィットに富んだ言い回しや比喩が面白い。村上春樹はとにかく比喩がうまくて、的を得ていてかつなかなか思い浮かばない比喩を小説中に散りばめている。村上春樹の中でも一番ユーモアがあると思うのは、『パン屋再襲撃』に収録されている「ファミリー・アフェアー」という小説だ。結婚を機にギクシャクしてしまった兄妹の関係を描いた話だ。

 

 

伊坂 幸太郎

伊坂幸太郎といえばウィットに富んだ会話だ。ウィットに富んだセリフが伏線にもなっていて、伊坂幸太郎おそるべしとしか言いようがない。「陽気なギャング」シリーズは伊坂作品の中でもユーモアが多くてオススメだ。

 

 

佐藤 正午

佐藤正午は登場人物たちのウィットに富んだ会話が面白い。イメージとしては、酒場で繰り広げられるとりとめない話といったところか。軽口やウィットの効いた会話の応酬は読むのがクセになってしまう!佐藤正午のウィットが特に楽しめるのは『取り扱い注意』と『女について』といった短編集だ。オススメだ。

 

 

又吉 直樹

芸人でもあるピース・又吉直樹の小説も面白い。又吉直樹の小説の面白いところは、ボソッと破壊力のあるフレーズや面白エピソードが挿入されているところだ。時たま斜め上すぎて意味不明なエピソードがあるが、それがまた笑いを誘う。

特に『火花』は漫才師のことを描いていることもあって、ネタが散りばめられている。『火花』は、冒頭の太鼓の音のシーンが出囃子に見立てられるように、構成的にも漫才の形式を取り込んだ小説だ。

 

 

円城 塔

円城塔は、内容が難しいけれど、文章はユーモアがあって面白い。円城塔は、理系の身内ネタのような面白さがある。『後藤さんのこと』の理系ジョークは、理系だからかめっちゃツボにハマった。円城塔の中でもウィットが利いていると思うのは『後藤さんのこと』と『これはペンです』、『オブ・ザ・ベースボール』だ。

 

 

木下 古栗

木下古栗は、その溢れんばかりの文学的才能を下ネタに全振りしているという稀有な作家。初めて読んだのは群像に載っていた小説かな⁈まさか、文芸誌よんで大爆笑するとは思って無かった。

アメトークの読書芸人でも取り上げられたこともあり、木下古栗を信仰するフルクリストが増加中とかなんとか。Amazonの作者紹介の欄で、「饒舌な文体で澱みなく語られるその内容のほとんどに意味はない」と書かれていたのは笑った。まさにその通りなのだけれど。

最近では『サピエンス前戯』という、話題のベストセラーを下ネタ方向にもじった小説集を刊行している。また『教師BIN・BIN・竿物語』という衝撃的なタイトルの小説も書いている。

 

以上、文体がウィットに富んでいて面白い小説家まとめの紹介でした。

ウディ・アレン監督の笑えるユーモア映画まとめ

ユーモアが魅力のウディ・アレン作品


『映画と恋とウディ・アレン』予告編

 疲れているから重い映画は見たくないけれど、軽いコメディは見たい。そんなときは間違いなくウディ・アレンの映画をみる。ウディ・アレンの映画はストーリーを楽しむというよりも、登場人物たちの軽妙な掛け合いを楽しみたいから観ているような気がする。ウイットに富んだウディ・アレン節を味わいたいときがしばしば訪れるのだ。寝る前に、肩の力を抜いて笑える映画が観たくなる時がある。そんな映画を観たくなった時は大体ウディ・アレンの映画を観ているような気がする。

笑って楽しめるウディ・アレンの映画を紹介しようと思う。

 

 

 

誘惑のアフロディーテ

誘惑のアフロディーテ (字幕版)
 

 『誘惑のアフロディーテ』はギリシャ悲劇を下敷きに、ある男の運命の悲劇をコミカルに描いている。主人公のレニーはマックスという養子をとる。マックスが順調に成長していく中で、レニーは、マックスの母親がどんな人であるか気になり始める。レニーは母親のリンダを探し当てるが、リンダは娼婦でありポルノ女優だったのである。ギリシャ悲劇の『オイディプス王』と同様に、知りたいという好奇心が悲劇を引き起こしていく。劇中にコロス(合唱団)が出てくるように、『誘惑のアフロディーテ』がギリシャ悲劇のパロディになっている。この映画はレニーとリンダの悲劇的で喜劇的な運命を、『オイディプス王』といったギリシャ悲劇になぞらえて描いている。ただ、あらすじがあらすじなので、ウディ・アレン作品の中でもハイレベルな下ネタが繰り広げられている。下ネタが苦手な人はご注意を。

 

 

 おいしい生活

おいしい生活 (字幕版)

おいしい生活 (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 レイとその妻のフレンチーは、銀行の隣の空家の地下から穴を掘って銀行の金庫を破る計画を立てる。 銀行強盗が題材のサスペンスになるのかなと思って見ていたら、ウディ・アレンらしいおかしい展開になっていく。空家で人の目を誤魔化すために開いたクッキー屋が予想外に繁盛してしまって、銀行強盗をしなくてもお金持ちになってしまったのだ!お金持ちになったものの、育ちがいい訳ではないので教養がない。そのコンプレックスをネタに昇華しているのがおもしろい。

 

 

 マンハッタン殺人ミステリー

マンハッタン殺人ミステリー (字幕版)

マンハッタン殺人ミステリー (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

『マンハッタン殺人ミステリー』は肩の力を抜いて観れるコメディタッチのミステリーだ。登場人物たちの掛け合いはジョークがきいていて面白いし、コメディタッチといってもミステリーの部分はしっかりとしていて、ミステリーとしてもしっかり楽しめる。ラリー(ウディ・アレン)と妻のキャロル(ダイアン・キートン)はひょんなことから同じマンションに住むハウス夫妻の家に招かれる。しかし、次の日ハウス夫人が心臓発作で死んだと知らされる。夫のハウス氏が妻を殺したと疑うキャロルは、何とか証拠を見つけようと、友人のテッドの協力を得て、探偵のまねごとを始める。ウディ節満載のコメディタッチのミステリーでもあるし、倦怠期の夫婦が冒険に繰り出すことで夫婦の危機を乗り越える話でもある。休日の夜に肩の力を抜いて、のんびりと楽しめる映画であることは間違いない。

 

 

タロットカード殺人事件

タロットカード殺人事件 [DVD]

タロットカード殺人事件 [DVD]

 

タロットカード殺人事件』は、脱力して楽しめるコメディタッチのサスペンスだ。タロットカードが関係する事件の謎解きを楽しむというよりかは、スカーレット・ヨハンソン演じる女子大生とウディ・アレン演じるマジシャンとのコミカルな会話を楽しむ映画だ。『マッチポイント』でも予想を超えるエンディングを持ってきたけど、『タロットカード殺人事件』でも普通とは違う一ひねり効いたエンディングが待っている。ウディ・アレンらしいブラックユーモアが効いたシニカルなエンディングは予想外すぎて、笑ってしまう。

 

 

 

 

 

村上春樹とユニクロがコラボ!村上春樹UTを買ってみたのでレビューする

村上春樹ユニクロがコラボして、村上春樹の小説を題材にしたUTが発売された。これには結構驚いた。まさかユニクロ村上春樹がコラボするなんて。やれやれ。

 

UTからは『1Q84』や『ダンスダンスダンス』、『ノルウェイの森』、『スプートニクの恋人』、『1973年のピンボール』といった村上春樹を代表する長編小説をモチーフとしたTシャツが発売された。『1Q84』では、作中で印象的な二つの月のプリントがされている。『ノルウェイの森』は、印象的な本のカバーをそのままTシャツに落とし込んだかのようなデザインだ。

 

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僕は『1Q84』と『ノルウェイの森』の二つのTシャツを購入した。今回のTシャツのデザインの中では『1Q84』が一番いいと思っている。次点で『ノルウェイの森』かな。

 

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またTシャツだけでなく、ピンズも発売された。またこれが可愛いのである。ピンズになったのは、『羊をめぐる冒険』から登場し村上春樹の代表的なキャラクターとなった羊男だ。あとは『ダンス・ダンス・ダンス』のカバー絵のピンズだ。どのイラストも、村上春樹とは縁がある佐々木マキのイラストだ。これは全種類買ってしまった。

 

この村上春樹Tシャツを着ながら村上春樹を読めば読書が捗るかもしれない。やれやれ。

 

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2004/09/15
  • メディア: ペーパーバック
 

 

www.uniqlo.com

『花束みたいな恋をした』 麦と絹のお気に入りの作家まとめ


『花束みたいな恋をした』本編映像【2人だけの新生活編】

 の「花束みたいな恋」の始まりと終わりを描いた『花束みたいな恋をした』。

脚本は坂本裕二さんだ。カルチャーをこよなく愛する麦と絹が互いの共通点に惹かれ合い、恋に発展していく様は文化系の人なら一度は憧れたことがあるシチュエーションだろう。

 

二人の恋を語る上で欠かせないのが、時代を彩ったカルチャーだ。きのこ帝国の「クロノスシタス」や、今村夏子の「ピクニック」など二人の感性を象徴するカルチャーやサブカル要素が散りばめられている。同時代に青春を過ごした人なら、触れたものもあり、懐かしさが込み上げてきただろう。

『花束みたいな恋をした』の作中に登場した小説家や小説についてまとめてみた。シナリオ本を参考にし、二人の会話の中に上がった作家をまとめている。

 

 

今村 夏子

『花束みたいな恋をした』で猛プッシュされているのが今村夏子だ。今村夏子は『こちらあみ子』で太宰治賞を受賞し、デビューしている。ちょうど、麦と絹が出会ったころは活動休止状態だった。だが、2016年から活動を再開し、「あひる」や『星の子』など話題作をどんどん発表していく。今村夏子は日常に潜む歪みを描くのが非常に上手い作家だ。

この今村夏子のデビューから芥川賞をとるまでの期間と、麦と絹の付き合っていた時期が重なったこともあってか、作中では今村夏子のが二人の距離感や感性を示す重要な物差しとなっている。

特に「ピクニック」という小説は麦と絹の感性を表す重要な小説だ。映画の中では「その人は、きっと今村夏子さんのピクニック読んでも何も感じない人だ」というフレーズがリフレインされる。1回目は絹が就活に押しつぶされそうになっていた時だ。そして、2回目にこのセリフが話されるときには、麦の感性が変わってしまったことを切実に示していた。

今村夏子のおすすめは、やっぱり「ピクニック」が収録された『こちらあみ子』という本だ。

 

 

滝口 悠生

滝口悠生の小説も麦と絹のすれ違いを暗示するアイテムとして登場している。映画の中では『茄子の輝き』という小説が登場する。この本を読み終えた絹は麦に勧めるのだが、麦は仕事に追われて読まずにいた。麦が本を車に投げるシーンは悲しかったな。

『茄子の輝き』という小説は、過去のかけがえのない記憶についての小説だ。それもあってか、『花束みたいな恋をした』のテーマに通じるものがある。小説内では派手な出来事は起こらず、ゆったりとした時間が流れている小説だった。

読んでいると、大切な人との過去の記憶を思い出したくなる。主人公は離婚した妻のことをなにかにつけて思い出すのだけど、私たちは過去の延長線上にいるんだなと実感させられる。けれど、どんな大切な思い出だって時の流れには逆らえず、部分部分が風化していってしまう。だから、新しい思い出を塗り重ねて生きていくのかなと感じた。今思い出せる過去を大切にしたいなと思った。消えていってしまう前に。

滝口悠生は、人称や視点の実験的表現に特徴がある。滝口作品でおすすめは、作中に登場した『茄子の輝き』と、芥川賞を受賞した『死んでいない者』だ。

 

 

 穂村 弘

麦と絹が初めて出会った時に、麦が読んでいた作家が穂村弘だ。穂村弘は現代短歌を代表する歌人の1人でもある。短歌だけではなく、エッセイや翻訳など執筆ジャンルは多岐に渡る。歌集でオススメなのが『シンジゲート』だ。

短歌だけでなくエッセイの方もウィットに富んでいて、すこぶる面白いのでぜひ読んでみてほしい。エッセイの中では、『世界音痴』と『もしもし、運命の人ですか。』が特にオススメだ。

 

 

長嶋 有

麦と絹が初めて出会った時に、絹が読んでいたのが長嶋有。少し世間からずれたような人物の描写が上手い。おすすめはユーモラスな『猛スピードで母は』だ。長嶋有はこの作品で芥川賞を受賞している。

 

 

いしい しんじ

童話に近いテイストの小説が多いのが、いしいしんじだ。マジックリアリズムのような『ある一日』がオススメ。それと恋愛小説の『トリツカレ男』もオススメだ。

 

 

堀江 敏幸

堀江敏幸は、静かで優しい小説を書く作家だ。静謐な小説世界と、研ぎ澄まされた文章は心にしみる。エッセイか小説か分からないような『おぱらばん』や、味わい深い短編集の『雪沼とその周辺』がオススメ。『雪沼とその周辺』に収録された短編は、センター試験の問題にも使われているので、実は読んだことあった人も多いのでは。

 

 

柴崎 友香

場所に積み重なった時間や記憶を書くことに定評がある柴崎友香。最近では、『春の庭』や『わたしがいなかった街で』など、小説の人称や視点の表現に一石を投じるような小説を書いている。

確かに、滝口悠生や堀江敏幸が好きだったら柴崎友香も好きそうだなと思う。あと保坂和志とかも好きそうだな。そういえば、麦の本棚に保坂和志の本があったっけ。

 

 

小山田 浩子

日常の中に不条理な出来事が紛れ込んでくるのが小山田浩子の小説だ。この不条理感はカフカに通じるものがある。おすすめは『工場』と、芥川賞を受賞した『』。

 

 

多和田 葉子

日本の女性作家を代表する多和田葉子。近年ではノーベル文学賞の有力候補として名前が挙がっている。多和田葉子の特徴といえば、作品の前衛性だ。言語学に関連する内容や、前衛的な文学表現を行なった小説が多い。『かかとをなくして』が個人的に1番好き。他におすすめを上げると、芥川賞を受賞した『犬婿入り』かな。

 

 

舞城 王太郎

舞城王太郎は破壊力がとにかくすごい作家だ。小説内構造をいじるメタフィクション小説に定評があり、『九十九十九』や『ディスコ探偵水曜日』などインパクトの大きい問題作を多く執筆している。 

 

 

 

以上、『花束みたいな恋をした』を彩った小説家でした。

 

シナリオ本を読むと、新たな発見もあるのでおすすめだ。

 

 

あひるが死んでも変わりはいるもの / 「あひる」 今村 夏子 

なにげない日常を描いた小説のようだが、作中には常に不協和音が流れている。これは、「あひる」を初めて読んだ時の印象だ。

今村夏子の「あひる」という小説は平易な文章で書かれていて、一見すると童話のようだ。だけど作中に不穏な雰囲気が常に漂っている。全体的に歪んでいるのだ。この歪みというのは読者が感じるもので、作中の登場人物は「歪み」をおかしいものと捉えていないところがある。その点で、「あひる」の不穏さが増しているように思う。

 「あひる」にはおかしな所がいくつも登場する。三回も交換されたあひると、あひるが交換された事実を黙殺する母と父。働いていてもおかしくない年齢なのに資格の勉強を続けている「わたし」。そして「わたし」は存在しないものとして扱われているようなフシがある。暴力的な弟。真夜中に突然現れた子ども。このように「あひる」には変なところがたくさんあるのだけれど、怖いことに登場人物たちはそれを普通のことのように捉えているのだ。

この小説は平易な文章で書かれているけれど、本質には恐ろしいことが書かれているように思う。本当は何が書かれているかについて考察しようと思う。

 

 

交換可能なあひる「のりたま」

「あひる」は、「わたし」の家に「のりたま」というあひるがやってくるところから始まる。「わたし」と母と父の3人暮らしなこともあり、静かな生活をおくる一家だったが「のりたま」によってそんな生活は一変する。あひるの「のりたま」を飼い始めてから、子どもたちが遊びにくるようになり家の中も賑やかになっていった。

「わたし」の家に賑やかさをもたらした「のりたま」だったが、病気になってしまい病院に運ばれる。「のりたま」がいなくなったと同時に、あひる目当てで来ていた子どもたちは姿を見せなくなってしまう。元の生活に戻ろうとしていた時、「のりたま」が帰ってきた。しかし、帰ってきた「のりたま」は以前よりも小さくなっていたのだ。

「あひる」では、「のりたま」が交換可能な存在として描かれている。あひるが死んでも変わりはいるもの(これはエヴァのオマージュ)。あひるが死んでも「のりたま」という名前は受け継がれ、何事もなかったように日常が進行している。

 

自分は交換可能な存在だと考えることは虚しいことだ。だが、会社や組織では一人一人が歯車のようで、欠員が出れば代わりの人材が補充されシステムは継続していく。交換可能であることに対する恐ろしさや不安を表現しているのではないかと思う。

最後に、あひるの小屋は取り壊され、代わりにわたしの弟の赤ちゃんのためのブランコが置かれる。それは弟の赤ちゃんも「のりたま」のように交換可能な存在であるということを暗示しているように思えて怖くなった。

 

 

あひる (角川文庫)

あひる (角川文庫)

  • 作者:今村 夏子
  • 発売日: 2019/01/24
  • メディア: Kindle版
 

 

愛についてのドタバタ喜劇 / 『湖畔の愛』 町田 康

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今日も一面霧が立ちこめて。ときに龍神が天翔るという伝説がある九界湖の畔で、むっさいい感じで営業している九界湖ホテル。支配人新町、フロント美女あっちゃん、怪しい関西弁の雑用係スカ爺が凄絶なゆるさで客を出迎える。真心を込めて。そこへ稀代の雨女や超美人の女子大生、ついには鳥取砂丘に消えたはずの伝説の芸人横山ルンバも現れて――。文学なのか、喜劇(コント)なのか。笑劇の超恋愛小説。

町田康の『湖畔の愛』の感想を一言で言うと、めっさおもろい小説だ。タイトルが『湖畔の愛』なのだから、湖のほとりにあるいい感じの別荘でいい感じの男女が優雅な恋愛を楽しむみたいな想像が膨らむが、実際はクセが強いホテルマンやスタッフとこれまたクセのすごい客が繰り広げるコントだ。こんなに笑いながら小説を読んだのは久しぶりだ。

舞台はむっさいい感じで営業している九界湖ホテル。客足が遠のいており、資金繰りが悪化している崖っぷちのホテルだ。そんな九界湖ホテルの従業員として働いているのが、支配人新町と結構美人なフロント担当あっちゃん、関西弁がキツい雑用係スカ爺。新町はいろいろあって支配人じゃなくなったりする。話の流れとしては、クセの強いホテルスタッフと、これまたクセの強い顧客が一騒ぎ起こすと言うのが大体のあらすじだ。全体的にドタバタ喜劇ではあるが、物語の中心にあるのは愛だ。めちゃくちゃ良いように言えば、「雨女」では、雨女という過酷な十字架を背負った女性を救おうとする男の話であるし、「湖畔の愛」は超美人の女子大生をめぐる男子大学生の競い合いである。

感動的なことが書いてある気がするが素直に感動せずに笑ってしまうのは、ユーモアがふんだんに散りばめられた文体のせいだろう。リズム感があってスイスイ読めて、絶妙なセンスで配置された言葉が笑いを誘う。

 

 

吉本新喜劇みたいな小説

この小説は何かに似ているなと引っかかっていたが、考えてみると吉本新喜劇に似ている。一応ちゃんとしたストーリーはあるけれど、それぞれのキャラがボケ倒して笑いが絶えない喜劇。キャラが濃いスカ爺は、よしもと新喜劇で言うと茂造だろう。愛についての文学的コントを読んだような読後感。

最後の中編「湖畔の愛」では、演劇研究会という名のお笑い同好会で繰り広げられる女をめぐる戦いだ。それぞれ登場人物の「笑い」に対する思いについて語られるところを見ると感心するが、伝説の芸人横山ルンバが下心の塊なのを読むとさっきの感心を返せと思いたくなる。

登場人物たちが間違った方向にエネルギーを使っているのが、単純におもろい。本を読んで笑いたいという人にオススメしたいよしもと新喜劇みたいな小説だ。

 

湖畔の愛(新潮文庫)

湖畔の愛(新潮文庫)

  • 作者:町田康
  • 発売日: 2020/12/23
  • メディア: Kindle版
 

 

孤独な少女たちの魂の邂逅 / 『至高聖所』 松村 栄子

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新構想大学という無機質な世界で出会った孤独な少女たちの魂の邂逅を描いたのが、松村栄子の『至高聖所』だ。『至高聖所』は、センター国語でも話題になった『僕はかぐや姫』の作者・松村栄子の小説で、第106回芥川賞受賞作である。この小説でも研ぎ澄まされた文体は健在で、繊細で静謐な世界観は心に突き刺さるだろう。

『至高聖所』は、新構想大学に入学した沙月とルームメイトの真穂の魂の邂逅を描いている。タイトルの「至高聖所」はアバトーンと読む。 至高聖所(アバトーン)とは、ギリシアのアスクレピオス神殿の最奥にあるという夢治療の場のことだ。このアバトーンをモチーフに主人公の友人・真穂が戯曲を作るのだ。アバトーンは治療の為の場所だが、沙月と真穂にはそれぞれ癒やさなければならない心の傷があった。初めの頃は相容れない二人だったが、打ち解けていき互いの心の傷や抱え込んでいる悩みを分かち合っていく。沙月の孤独が、真穂の孤独へ寄り添っていくのだ。

 

沙月と真穂の魂の邂逅

沙月は親元を離れて新構想大学に入学する。大学の寮ではルームメイトの二人暮らしなのだが、沙月のルームメイトの真穂は一向に姿を現さない。真穂は現れたと思ったら一日中寝ているという有様だ。かと思ったら深夜に起きて、沙月にご飯を作らせたりする。

そんなこともあって、沙月と真穂の心の距離は離れたままだった。沙月は鉱物研究会に所属し、真穂は演劇をしたりボランティアをしたりと大忙しで生活リズムが合わない。だが二人はともに孤独を抱えていて、癒すべき傷を持っていた。その傷は二人とも家族に関するものだ。

沙月には、心から慕っている姉がいる。沙月の家族は姉を中心に回っていたが、ある日姉は家を出て行ってしまう。姉に見捨てられたような経験が、沙月の心に暗い影を落としているのだ。

一方の真穂は、実の父を亡くしていて、母も大学入学直前に亡くしていた。真穂に残されたのは、母の再婚相手である義父だった。真穂は残された義父のために、理想の娘を週末に演じていた。

沙月は真穂と過ごす中で、真穂が抱える心の痛みに気づく。そして癒しを求めて失敗したことも。

沙月が、至高聖所(アバトーン)に見立てた大学の図書館で、愛していた姉に突き放された傷を癒そうとするところで小説の幕は閉じる。

 

舞台となった新構想大学は筑波大学?

『至高聖所』の舞台となっているのは、「新構想大学」だ。「新構想大学」については冒頭にこんな記述がある。

 

たとえばある町がひとつの巨大企業によって作られてしまうように、ひとつの大学によって作られた町もある。走るものといえばトラクターと軽四輪しかない農村に、あるとき突然片側三車線の道路が敷かれ、近代的な建物がぼつんと出現する。ゴルフ場やレジャーランドならともかく、国の未来を担う教育や研究機関が造られるのなら文句を言う筋合いではない。農家の人々は田畑を削り、今に若一者が大挙してやってきてこの村も活気づくだろうと笑いながら、残された土地を一耕して待っている。

 

「新構想大学」にはモデルがある。それは作者の松村栄子が過ごした筑波大学だ。筑波大学があるつくば市という街は、引用した記述のように研究所や大学をメインに作られた街だ。道も京都のように真っ直ぐに引かれていて、四角く区切られた場所に産総研やJAXAなどの国の研究所が存在している。どこか無機質で人工的な雰囲気が感じられる街だ。

その無機質なイメージが『至高聖所』にぴったりだ。沙月が参加する鉱物研究会など、無機質なイメージを想起させるものがこの小説には散りばめられている。その静謐な世界観と繊細で研ぎ澄まされた文体が心に突き刺さり、少女たちの孤独を際立たせている。