日々の栞

本、映画、ファッションについて気ままに書く。理系の元書店員。

孤独な少女たちの魂の邂逅 / 『至高聖所』 松村 栄子

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新構想大学という無機質な世界で出会った孤独な少女たちの魂の邂逅を描いたのが、松村栄子の『至高聖所』だ。『至高聖所』は、センター国語でも話題になった『僕はかぐや姫』の作者・松村栄子の小説で、第106回芥川賞受賞作である。この小説でも研ぎ澄まされた文体は健在で、繊細で静謐な世界観は心に突き刺さるだろう。

『至高聖所』は、新構想大学に入学した沙月とルームメイトの真穂の魂の邂逅を描いている。タイトルの「至高聖所」はアバトーンと読む。 至高聖所(アバトーン)とは、ギリシアアスクレピオス神殿の最奥にあるという夢治療の場のことだ。このアバトーンをモチーフに主人公の友人・真穂が戯曲を作るのだ。アバトーンは治療の為の場所だが、沙月と真穂にはそれぞれ癒やさなければならない心の傷があった。初めの頃は相容れない二人だったが、打ち解けていき互いの心の傷や抱え込んでいる悩みを分かち合っていく。沙月の孤独が、真穂の孤独へ寄り添っていくのだ。

 

 

沙月と真穂の魂の邂逅

沙月は親元を離れて新構想大学に入学する。大学の寮ではルームメイトの二人暮らしなのだが、沙月のルームメイトの真穂は一向に姿を現さない。真穂は現れたと思ったら一日中寝ているという有様だ。かと思ったら深夜に起きて、沙月にご飯を作らせたりする。

そんなこともあって、沙月と真穂の心の距離は離れたままだった。沙月は鉱物研究会に所属し、真穂は演劇をしたりボランティアをしたりと大忙しで生活リズムが合わない。だが二人はともに孤独を抱えていて、癒すべき傷を持っていた。その傷は二人とも家族に関するものだ。

沙月には、心から慕っている姉がいる。沙月の家族は姉を中心に回っていたが、ある日姉は家を出て行ってしまう。姉に見捨てられたような経験が、沙月の心に暗い影を落としているのだ。

一方の真穂は、実の父を亡くしていて、母も大学入学直前に亡くしていた。真穂に残されたのは、母の再婚相手である義父だった。真穂は残された義父のために、理想の娘を週末に演じていた。

沙月は真穂と過ごす中で、真穂が抱える心の痛みに気づく。そして癒しを求めて失敗したことも。

沙月が、至高聖所(アバトーン)に見立てた大学の図書館で、愛していた姉に突き放された傷を癒そうとするところで小説の幕は閉じる。

 

舞台となった新構想大学は筑波大学

『至高聖所』の舞台となっているのは、「新構想大学」だ。「新構想大学」については冒頭にこんな記述がある。

たとえばある町がひとつの巨大企業によって作られてしまうように、ひとつの大学によって作られた町もある。走るものといえばトラクターと軽四輪しかない農村に、あるとき突然片側三車線の道路が敷かれ、近代的な建物がぼつんと出現する。ゴルフ場やレジャーランドならともかく、国の未来を担う教育や研究機関が造られるのなら文句を言う筋合いではない。農家の人々は田畑を削り、今に若一者が大挙してやってきてこの村も活気づくだろうと笑いながら、残された土地を一耕して待っている。

「新構想大学」にはモデルがある。それは作者の松村栄子が過ごした筑波大学だ。筑波大学があるつくば市という街は、引用した記述のように研究所や大学をメインに作られた街だ。道も京都のように真っ直ぐに引かれていて、四角く区切られた場所に産総研JAXAなどの国の研究所が存在している。どこか無機質で人工的な雰囲気が感じられる街だ。

その無機質なイメージが『至高聖所』にぴったりだ。沙月が参加する鉱物研究会など、無機質なイメージを想起させるものがこの小説には散りばめられている。その静謐な世界観と繊細で研ぎ澄まされた文体が心に突き刺さり、少女たちの孤独を際立たせている。

 

 

僕はかぐや姫/至高聖所 (ポプラ文庫)

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