日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

村上春樹の新刊『街とその不確かな壁』を予想する試み

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村上春樹の新作長編小説『街とその不確かな壁』が2023年4月13日(木)に刊行される。英語でのタイトルは、「The city and its uncertain walls」だ。2017年2月刊行の『騎士団長殺し』以来、6年ぶりとなる書下ろし長編である。

 

『街とその不確かな壁』は、1200枚の書き下ろし新作長編小説であるようだ。

村上春樹ファンのあいだでも話題になったのだが、村上春樹の幻の作品「街と、その不確かな壁」とタイトルがほとんど同じなのだ。新作長編の題名は、読点が一つ抜かれたものである。この点からも内容を予想できそうである。

また、新しい試みとして村上作品の長編では初めて刊行と同日に電子書籍も配信するようだ。

今から読むのが楽しみである。Twitterなどでは新作長編のニュースで祭り状態になっていた。

刊行が待ちきれないので、現時点でわかっている情報をまとめて、内容について予想してみようと思う。

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村上春樹の新刊が発売!『街とその不確かな壁』が楽しみすぎる件について

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読書界隈をざわつかせるビックニュースが入ってきた。村上春樹の新作長編小説『街とその不確かな壁』が2023年4月13日(木)に刊行されることが決定したのだ。新潮社から発表されたこのニュースは本好きに衝撃を与えた。

 

『街とその不確かな壁』は、1200枚の書き下ろし新作長編小説であるようだ。2017年2月刊行の『騎士団長殺し』以来、6年ぶりとなる書下ろし長編である。タイトルや物語のテーマはまだ公表されていない。やれやれ。

また、新しい試みとして村上作品の長編では初めて刊行と同日に電子書籍も配信するようだ。

今から読むのが楽しみである。Twitterなどでは新作長編のニュースで祭り状態になっていた。

刊行が待ちきれないので、現時点でわかっている情報を書いてみようと思う。

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翻訳家としての村上春樹!ハルキが翻訳した海外小説まとめ

村上春樹といえば『ノルウェイの森』や『ねじまき鳥クロニクル』、『1Q84』などの小説で知られている日本を代表する小説家だ。

それだけでなく海外小説の翻訳も手掛けており、海外文学の紹介や翻訳を手がけるといった一面も持っている。村上春樹が手掛けた翻訳は、『ティファニーで朝食を』といった名作が多い。そこで、村上春樹が翻訳を手掛けた名作小説をまとめてみた。

 

 

グレート・ギャツビー / スコット・フィッツジェラルド

村上春樹が人生で巡り会った、最も大切な小説を、あなたに。新しい翻訳で二十一世紀に鮮やかに甦る、哀しくも美しい、ひと夏の物語―。読書家として夢中になり、小説家として目標のひとつとしてきたフィッツジェラルドの傑作に、翻訳家として挑む、構想二十年、満を持しての訳業。

グレート・ギャツビー』は村上春樹が影響を受けた作品で、『ノルウェイの森』にも登場し、癖のある登場人物・永沢に「グレート・ギャツビイ を三回読む男なら俺と友だちになれそうだな」とまで言わしめている。『グレート・ギャツビー』は日本人にはなじみがないかもしれないけれど、アメリカ文学を代表する作品で、20世紀最高の小説と言われている。ぜひ読んでみてほしい。特に最後の文章が、今まで読んだ小説の中で一番といえるほど美しい。

 

 

最後の大君 / スコット・フィッツジェラルド

 

 

 キャッチャー・イン・ザ・ライ / J.D.サリンジャー

主人公のホールデンは有名高校の生徒で、作文だけは誰にも負けないが、あとの学科はからきしダメな16歳の少年。彼は自分の学校の先生たちや同級生や何もかもにうんざりしている。物語は彼が成績不良で退学になる直前の冬、自分から学校をおん出るところから始まる。ニューヨークの街をさまよいながら彼は昔の先生や友人やガールフレンドに再会していくが…… 

青春文学の金字塔サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が村上春樹の新訳で新しい命を吹き込まれた。天気の子の中でも、主人公帆高が読む本として登場する。

 

 

 心は孤独な狩人 / カーソン・マッカラーズ

 

 

結婚式のメンバー / カーソン・マッカラーズ

この街を出て、永遠にどこかへ行ってしまいたい――むせかえるような緑色の夏に、十二歳の少女フランキーは兄の結婚式で人生が変わることを夢見た。南部の田舎町で、父や従弟、黒人の女料理人ベレニスとの日常に倦み、奇矯な行動に出るフランキー。狂おしいまでに多感で孤独な少女の心理を、繊細な文体で描き上げた女性作家の最高傑作。

 

 

大聖堂 / レイモンド・カーヴァー

 

 

 ティファニーで朝食を / トルーマン・カポーティ

第二次大戦下のニューヨークで、居並びセレブの求愛をさらりとかわし、社交界を自在に泳ぐ新人女優ホリー・ゴライトリー。気まぐれで可憐、そして天真爛漫な階下の住人に近づきたい、駆け出し小説家の僕の部屋の呼び鈴を、夜更けに鳴らしたのは他ならぬホリーだった…。表題作ほか、端正な文体と魅力あふれる人物造形で著者の名声を不動のものにした作品集を、清新な新訳でおくる。

ティファニーで朝食を』というタイトルが印象的で、読んだことはないがタイトルは知っているという人もいるはずだ。この小説は映画化されていて、オードリー・ヘップバーンが主演したことで有名になった。オードリー・ヘップバーンの印象が強い人が多いだろうが、原作の小説は映画とかなり異なる。『ティファニーで朝食を』は、ニューヨークを舞台にした、自由奔放なホリー・ゴライトを中心とする青春小説だ。
映画では成熟したホリーと魅力的な男性との大人の恋といった感じだが、原作では自由奔放なホリーが、様々な出会いを通して成長し、自分らしく生きる様が描かれている。なので、映画と小説は別物として思った方がいいかも。

 

 

 ロング・グッドバイ / レイモンドチャンドラー

私立探偵のフィリップ・マーロウは、億万長者の娘シルヴィアの夫テリー・レノックスと知り合う。あり余る富に囲まれていながら、男はどこか暗い蔭を宿していた。何度か会って杯を重ねるうち、互いに友情を覚えはじめた二人。しかし、やがてレノックスは妻殺しの容疑をかけられ自殺を遂げてしまう。が、その裏には悲しくも奥深い真相が隠されていた…… 

 

 

 卵を産めない郭公 / ジョン・ニコルズ

 

 

 

本当の戦争の話をしよう / ティム・オブライエン

 

 

 

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失った恋を取り戻そうとした男 /『グレート・ギャツビー』 スコット・フィッツジェラルド

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豪奢な邸宅に住み、絢爛たる栄華に生きる謎の男ギャツビー。彼の胸にはかつて一途に愛情を捧げ、失った恋人ディジーへの異常な執念が育まれていた……。第一次世界大戦後のニューヨーク郊外を舞台に、狂おしいまでにひたむきな情熱に駆られた男の悲劇的な生涯を描き、何度も映画化された20世紀文学最大の問題作。滅びゆくものの美しさと、青春の憂愁を華やかに謳いあげる世界文学の最高峰。

女を二文字重ねて女々しいと書くけれど、本当に女々しいのは男の方ではないかと思う。

恋の思い出を、男は名前を付けて保存、女は上書き保存とよく言うが、かなり的を得ている。back numberの曲の歌詞のように、古今東西女々しい男はとことん女々しいのである。男は叶わなかった恋や失われた恋をいつまでもいつまでも引きずる生き物だ。そんな女々しい男子諸君にぜひとも読んでほしいのがフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』だ。『グレート・ギャツビー』はフィッツジェラルドの代表作で、アメリカ文学あるいは20世紀文学を代表する一冊と言われている。最近では、ディカプリオ主演で映画化されているし、村上春樹訳も出ている。色んな出版社から出ていて、海外文学の中では知名度がある方なのではないかと思う。僕自身も失恋した時とか感傷的な気分の時に読んで、一つ一つの言葉が凄く心にしみた。この『グレート・ギャツビー』は簡単に要約すると、失われた恋を取り戻そうとした男の話である。

 

 

失われた恋を取り戻そうとした男 ・ギャツビー

まずこの小説は最初の文章と最後の文章が本当に美しい。この小説の語り手はギャッビーではなくニック・キャラウェイ。ニック・キャラウェイの目を通じてジェイ・ギャッツビーという人物が描かれている。ジェイ・ギャッビーは若くして富を得た謎の男だ。自宅で夜な夜なパーティを開いて、豪華絢爛な生活を送っている。しかし、すべてを手に入れたギャツビーには、たった一つ手にすることが出来なかったものがあった。それは、たった一人の愛だった。その失った愛を、ギャツビーは取り戻そうとする。それが悲劇を生むことになる…ギャツビーの無垢さや純粋な思いが痛いほど伝わってくる。

 

過去へと押し戻されながらも

 だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。

『グレート・ギャツビー』の最後の文章。本当に美しい一文だ。今まで読んできた小説の中で最も美しい文章の一つだ。過去へのノスタルジーに惹かれながらも、私たちは強を、そして明日を生きていく。女々しい男子だと、別れた彼女に偶然会うと、心がざわついてしまうだろう。楽しかった頃の思い出が押し寄せてきて、感傷的になってしまう。そんな経験をした男子にはこの言葉が響くだろう。 

 

栞の一行

だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。

小説家の視点で名作古典作品を読みなおす / 『小説の読み書き』 佐藤 正午

佐藤正午が名作古典を読みなおす

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小説を読むことは、小説を書くことに繋がる。小説を読む中で、読者はそれぞれの解釈を行い、そのつど新たな解釈が生まれてくる。文字通り、読者の数だけ解釈がある。

この『小説の読み書き』では、佐藤正午の目線から名作古典を読みなおし、小説家視点からの小説の書き方を考えていく。読みなおす小説は夏目漱石『こころ』や川端康成『雪国』、太宰治『人間失格』、谷崎潤一郎『痴人の愛』といった有名どころの小説から、横光利一『機械』や永井荷風『つゆのあとさき』といった有名ではないが文学好きなら知っているマイナーな小説までと様々だ。それぞれの小説の文体を中心に読み解いていく。

 

永井荷風『つゆのあとさき』では、文章の冒頭の「女給の」という言葉に拘って評していく。夏目漱石『こころ』では夏目漱石の文体はお手本のようだと評している。

佐藤正午ファンなら特に読んで欲しいのが、森鴎外の『雁』の部分だ。森鴎外の『雁』は、乱暴にいうと「鯖の味噌煮」が原因で男女が離れ離れになってしまうという小説だ。偶然にも何かが原因になって男女がバラバラになるという点に着想を受けて、佐藤正午の名作「ジャンプ」が生まれたようだ。こんな裏話も読めるのがこの本の良いところだ。

最後には自らの小説『取扱い注意』を一読者として読み解いている。

佐藤正午の名作古典の読みなおしを通じて、小説家と一緒に小説を読み書きしているような気持になる。ここはこういうふうに読むんだ、こんなに細かいところまで気にしているんだ、こういうふうに小説を捉えているのかと目から鱗だった。神は細部に宿るとよく言うけれど、この本を通じて小説の細部へのこだわり方が見えてきたような気がした。

 

 

バルセロナでの情熱的な恋愛模様 / 『それでも恋するバルセロナ』 ウディ・アレン

『マッチポイント』・『タロットカード殺人事件』につづいてスカーレット・ヨハンソンを主役に据えたウディ・アレン監督の恋愛映画。一筋縄では行かない大人の恋愛模様を描いた恋愛映画。人生のほろ苦さや現実を突きつけてくる、ウディ・アレン監督らしい映画だ。舞台はスペインで、観ているとスペイン観光をした気分にもなれる。ここ最近、ウディ・アレン監督はイギリスやスペイン、フランスと映画を撮る場所が映画によって違うな。

 

いろいろややこしい大人の恋愛模様

この映画を簡単に要約すると、ひとりのスペイン人男性・アントニオを四人の女が奪い合うという話だ。こう書いてみると、昼ドラの30倍ぐらいドロドロした映画に思えるが、実際はよく分からない恋愛哲学の境地みたいなところに達していたりして、常人には理解が不能になってくる。

その境地というのが、アントニオと元妻マリア、新しい彼女クリスティーナの3人で関係を持つことになることだ。男女で関係をもつし、女同士でも関係を持つ。でもそんな関係は長く続かず破綻を迎える。ペネロペ・クルス演じる元妻マリアのメンへラ具合が恐ろしい。古今東西でメンヘラは恐ろしいものだなと。もう一人の登場人物ヴィッキーも婚約者がいながら、アントニオと関係を持ってしまう。そして、ヴィッキーは婚約者との結婚は本当に自分が望むものかと思い悩む。最終的にクリスティーナはアントニオトと別れ、ヴィッキーの方はアントニオへの思いを諦め、望まない結婚を受け入れることに決める。容赦なく人生の現実を突きつけてくるあたりがウディ・アレン監督の映画だなと。人生のほろ苦さが詰まった映画だ。ラストシーンのヴィッキーとクリスティーナのなんとも言えない表情が、人生の不条理さや空虚さを物語っている。人生は上手くいくものではないし、決して満たされるものではないんだよと言いたげな表情。ラストシーンの人生のほろ苦さを噛みしめているような表情が何ともたまらない。 結局、登場人物が最初よりも少し不幸になっている。アントニオが村上春樹の小説の主人公並みに凄くモテて、情熱溢れるスペイン人には魅力が溢れているのかなと。ウディ・アレン監督のいつもの感じのものが見たければおススメ。

 

それでも恋するバルセロナ (字幕版)

それでも恋するバルセロナ (字幕版)

  • スカーレット・ヨハンソン
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人生は同じところを回り続ける観覧車 / 『女と男の観覧車』 ウディ・アレン

同じところを回り続ける観覧車


映画『女と男の観覧車』本国オリジナル予告編(日本語字幕)

 

ウディ・アレンの映画を観ていると、何故か観覧車を思い浮かべることがある。

ストーリーの中で、主人公の人生に劇的な出来事が起こるけれど、最終的には収まるところに収まって、結局のところ元通りになっている。そのストーリーは、素晴らしい景色が見える場所に運んでくれるが、元の場所に戻ってくる観覧車のよう。人生は簡単に変わらないという諦念を示しているのかもしれない。ウディ・アレンの最新作『女と男の観覧車』は、タイトルに観覧車とあるように、どこにもたどり着くことのできない男女とその人生の行き詰まりを描いた映画だ。軽妙なジョークが散りばめられたコメディではなく、ただただシリアスに人生の残酷さが表現されている。

 

(以下内容に触れます。)

 

時は1950 年代、主人公のジニー(ケイト・ウィンスレット)は、元女優で、今はコニーアイランドの遊園地にあるレストランで、ウェイトレスとして働いている。再婚同士で結ばれた、回転木馬の操縦係を務める夫のハンプティ(ジム・ベルーシ)、そして自身の連れ子と観覧車の見える部屋で暮らしている。実は彼女は夫に隠れて、海岸で監視員のアルバイトをしているミッキー(ジャスティン・ティンバーレイク)と付き合っていた。平凡な毎日に失望していたジニーは、脚本家を目指すミッキーとの未来に夢を見ていた。だが、ギャングと駆け落ちして音信不通になっていたハンプティの娘キャロライナ(ジュノー・テンプル)が現れたことから、すべてが狂い始める──。

 

 『女と男の観覧車』が描くのは、1950年代のコニーアイランドだ。主人公のジニーが働くレストランがある遊園地には象徴的な観覧車がある。この観覧車はストーリーには直接関係がないけれど、主人公たちの行き詰った人生を象徴しているように思える。

ジニーは、女優として輝いていた頃を懐かしみ、今いる場所は自分にはふさわしくないと思っている。ジニーは、息子リッチーの放火癖に悩み、先行きの見えない現実から目を背け、ミッキーとの恋にのめり込んでいく。ハンプティはキャロライナの将来に期待を抱いている。みんながみんな上手くいかない人生から目を背けて、別の何かに逃避している。ウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』ではこんな台詞がある。「現在って不満なものなんだ。それが人生だから。」主人公たちの人生は、観覧車が頂点に達するように、好転を見せ始める。しかし、頂点に達した観覧車は下って元の場所に戻るしかないのである。ミッキーはキャロライナのほうに心変わりし、ギャングはキャロライナの場所を嗅ぎ付ける。

 

結局のところ、ジニーとミッキーは結ばれることはなく、キャロライナはギャングに連れ去られてしまい(たぶん殺された)、リッチーの放火癖は治らない。みんながみんな元の場所に戻ってしまう。あるのはつらい現実だけ。でもこれが人生なのかもしれない。ラストシーンのケイト・ウィンストレットの表情が人生の儚さ、残酷さを物語っている。

 

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女と男の観覧車 (字幕版)

女と男の観覧車 (字幕版)

  • ケイト・ウィンスレット/ジャスティン・ティンバーレイク/ジュノー・テンプル/ジム・ベルーシ
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