日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

ウディ・アレンのコメディミステリー / 『マンハッタン殺人ミステリー』 ウディ・アレン

肩の力を抜いて観れるコメディタッチのミステリー

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ふと、ウディ・アレンの映画が観たくなるときがある。疲れているから重い映画は見たくないけれど、軽いコメディは見たい。そんなときは間違いなくウディ・アレンの映画をみる。ウディ・アレンの映画はストーリーを楽しむというよりも、登場人物たちの軽妙な掛け合いを楽しみたいから観ているような気がする。ウイットに富んだウディ・アレン節を味わいたいときがしばしば訪れるのだ。

『マンハッタン殺人ミステリー』はそんな肩の力を抜いて観れるコメディタッチのミステリーだ。ちょうどタロットカード殺人事件と同じような感じだ。登場人物たちの掛け合いはジョークがきいていて面白いし、コメディタッチといってもミステリーの部分はしっかりとしていて、ミステリーとしてもしっかり楽しめる。

『マンハッタン殺人ミステリー』というのは、何故かダサ目になっている日本語翻訳オリジナルのタイトルかなっと思ったけれど、元のタイトルのままだった。

 

ウディ・アレンとダイアン・キートンの掛け合いが面白い

ラリー(ウディ・アレン)と妻のキャロル(ダイアン・キートン)はひょんなことから同じマンションに住むハウス夫妻の家に招かれる。しかし、次の日ハウス夫人が心臓発作で死んだと知らされる。夫のハウス氏が妻を殺したと疑うキャロルは、何とか証拠を見つけようと、友人のテッドの協力を得て、探偵のまねごとを始める。倦怠期もあって、キャロルは探偵ごっこにのめり込んでいく。最初は妄想のように思えるけれど、突飛な推理どおりに話が進行する。初めは相手にしていなかったラリーも、次々に明らかとなる証拠を目の当たりにして捜査に協力するようになる。事件が展開するなかで、ラリーとキャロルとテッドの三角関係などの恋愛のごたごたも出てくる。直線的に話が進行すると思いきや、男女関係のゴタゴタが絡んできたり、軽妙な会話の応酬があったりと脱線を繰り返して真相にたどり着いていく。案外、メインとなるミステリーがしっかりとしていて、かなり楽しめた。ラストの鏡をつかった演出も斬新でワクワクさせる。

 

ウディ節満載のコメディタッチのミステリーでもあるし、倦怠期の夫婦が冒険に繰り出すことで夫婦の危機を乗り越える話でもある。休日の夜に肩の力を抜いて、のんびりと楽しめる映画であることは間違いない。

 

 

 

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池田満寿夫記念館に行ってきた

画家、版画家、陶芸家、作家、映画監督として活躍した芸術家を知っているだろうか?

多才さを発揮したこの芸術家は、池田満寿夫だ。エロスの作家とも呼ばれ、官能的な作風の作品を多く残した。

 

小説で言えば、『エーゲ海に捧ぐ』はその前衛性と官能性で話題になった。サンフランシスコのアトリエにいる彫刻家に日本の妻から国際電話がかかってくるのだが、彫刻家の目の前には白人女性たちが痴態を繰り広げるという話だ。あらすじからして、センセーショナルなことが分かってもらえると思う。

この作品で池田満寿夫は第77回芥川賞を受賞したのだが、あまりにも官能的な内容は選考委員の間では物議を醸した。選考委員の永井龍男は本作への授賞に抗議し、芥川賞選考委員を辞任するまで至った。逆に、吉行淳之介は高く評価したようだ。内容的に吉行淳之介なら評価するのはなんとなく納得できる。

僕は素晴らしい芸術家だと思うのだけれど、多才さ故に正当に評価されていないように思う。

そんな池田満寿夫だが、晩年は熱海で創作活動に打ち込んでいた。そのアトリエは現在では池田満寿夫記念館として一般に解放されている。

昨年末に池田満寿夫記念館に行ってきたので紹介したい。場所は熱海駅よりもかなり離れた場所にある。かなり辺鄙な場所で、駅からタクシーで行くしかない。

 

 

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記念館の外観はこんな感じだ。黄色の配色が目を引くデザインだ。


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休日に行ったのだが、かなり人は少なかった。

これだけ辺鄙なところにあったら、わざわざ行く人も少ないだろう。

海辺の部分、海辺の光景、窓に向かって泳ぐ、海辺の午後といった作品が展示されていた。

やはり官能的な作品が多かった印象だ。

 

受付には池田満寿夫グッズも売っている。僕はTシャツを買ってしまった。夏に着るのが楽しみである。

記念館にいって思ったのだが、やっぱり池田満寿夫はもっと評価されてもいい芸術家なんじゃないかなと思う。

人生は何でもあり! / 『人生万歳』 ウディ・アレン


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人生はなんでもありだなと思わせてくれる映画がある。それがウディ・アレンの『人生万歳!』という映画だ。比較的最近のウディアレンの映画で、知名度はあまりないかもしれない。どちらかというと秀作の部類に入るのではないか。

ウディアレンの映画らしく、ちょっとひねくれたアレン節が炸裂したドタバタコメディになっている。肩の力を抜いて楽しめる映画だ。いつも通り人生への諦念に満ちてはいるけど、吹っ切れた感じもあり人生を肯定してくれるような映画だ。

 

 

 

主人公は偏屈な物理学者ボリス。かつてはノーベル賞物理学賞の候補になっていたが、今は落ちぶれている。そんなボリスはひょんなことから、家出してきたメロディと一緒に暮らすことになる。二人のドタバタした共同生活が始まる。ボリスのマシンガントークが凄く面白い。ボリスとメロディの掛け合いもジョークに満ちていて、笑い転げてしまった。このウディアレンのウィットに飛んだ会話がやっぱり好きだ。

 

ウディ・アレン映画らしく、ボリスが観客に話しかけてきたりメタフィクション的な演出がある。登場人物の中でボリスだけが観客の存在に気づいているのだ。

ボリスが観客に語り掛ける話が、この映画の内容を象徴している。今までのウディ・アレン監督の映画は人生への諦念に満ちているけど、この『人生万歳』では人生の諦念を踏まえて、それでも何か吹っ切れたように人生を肯定していく。 これまでの価値観と違うことも厭わず、どんどん変化し、その変化を謳歌する。ネガティブだけどポジティブな映画だ。

最初は偏屈で自殺未遂も起こしたボリスも、メロディと出会い人生を肯定してくようになる。最近のウディ・アレン映画の中ではかなり好きだ。

 

どこまでも自由

なんでもありなドタバタコメディ。ボリスといい、他の登場人物といい、自分の考えに固執せず、どんどん考え方を変えて、人生を肯定していく。自分から型にはまる必要はない、なんでもありな人生なんだから。そんなことを教えてくれる映画だった。まさにwhatever works!

 

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二本の直線のように交わる人生 / 「石のまくらに」 村上 春樹

村上春樹の小説世界では、すんなりと男女が関係を持つ。それはもう息を吸うように。「石のまくらに」という短編も村上春樹にありがちな男女が流れで関係を持つ系の話だ。この短編は最新刊の短編集『一人称単数』に収録されている。元は文學界に掲載された「三つの短い話」のくくりで発表されている。この短編集全般に言えることだけど、人生を俯瞰して過去の話を思い返すというスタイルの短編が多い。これは村上春樹が年をとったからなのかなとちょっと思っている。

『一人称単数』というタイトルのように、人称は「僕」が使われている。数ある人生の可能性の中から、一人称単数として選んできた人生を振り返る意味合いなのではないかと思う。村上春樹作品では珍しく短歌が出てくる。村上春樹が書いた短歌は初めて見た。

 

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『〇〇夫人』と言うタイトルの小説はほとんどが不倫の話になっている説

〇〇夫人というタイトルを聞くと幼い頃にちらっと見た『真珠夫人』のことを思い出す。このドラマは、the昼ドラと言えるような内容だった。『真珠夫人』には原作小説があって、菊池寛が同名タイトルで小説を書いている。

こんな感じで小説には〇〇夫人というタイトルのものがいくつかある。これは自説なのだが、〇〇夫人というタイトルの小説は大体が人妻の貞操に関しての小説になっている。

自説を検証するべく、〇〇夫人というタイトルの小説を紹介したい。

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おしゃれ映画の代名詞!ウディ・アレン監督のおすすめ映画10選

多くの人に愛されているウディ・アレン作品


『映画と恋とウディ・アレン』予告編

ある時は人生の不条理をコミカルに描き、ある時はラブストーリーをロマンチックに演出してきたウディ・アレン監督。アカデミー賞に何度もノミネートされ、今でも精力的に映画を撮り続けている。人生の不条理や人生への皮肉を描いてきたウディ・アレンの映画は多くの人に愛されてきた。

BGMのジャズや、気の利いたジョークや洒脱な会話といい、ウディ・アレンの映画はおしゃれ映画の代名詞だ。最近では、ウディ・アレン監督自身のスキャンダルで逆風が吹いているけれども、ウディ・アレンの映画の面白さは変わらないと思う。個人的におすすめの10作品を紹介したい。

 

 

マンハッタン

マンハッタン

マンハッタン

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まずは、 初期の傑作『マンハッタン』。ウディ・アレンの映画の中でも傑作と名高い作品だ。とにかくモノクロのマンハッタンの町が美しい。マンハッタンで繰り広げられる男女の恋愛模様がウディ・アレンらしいシニカルでユーモアに溢れるタッチで描かれている。

 

 

ギター弾きの恋

ギターは上手いが性格に難があるギタリスト:エメット・レイをドキュメンタリータッチで描いた伝記映画だ。

彼にはジャンゴ・ラインハルトの次にギターが上手いという自負があった。そんなエメットは口がきけないハメットに出会い、一緒に過ごすことになる。惹かれあう二人だったが…この映画のテーマは「大切なものは失ってから気づく」というものだ。エメットが失ったものは何なのか?喪失感に満ちたラストシーンの切なさは胸にしみる。この映画は一見すると伝記映画のように思えるが本当は違う。実は、エメット・レイというギタリストは存在しないのだ。この映画は、架空のギター弾きの伝記映画というメタフィクション的な作りになっている。映画中に観客に話しかけたりと変わった演出をしてきたウディ・アレン監督ならではの構成だ。ジャズ全盛期の時代を描いていることもあり、ジャズ好きの人にもおすすめ。

 

 

ハンナとその姉妹

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ウディ・アレンは人生の不条理や喜び、幸せを映画の中で描き続けている。『ハンナとその姉妹』はマンハッタンを舞台に、ハンナ三姉妹の人間関係を描く中で、人生とは何かを表現している映画だ。ユーモラスで知的な会話や、シニカルな台詞などウディ・アレン節が随所にみられる。この映画も「人生は無意味だ」という諦念で覆われているけれども、観終わったあとには何故か心が温かくなる。おすすめの映画だ。

 

 

誘惑のアフロディーテ

ウディ・アレンは、人生の不条理や悲劇をコミカルに描いてきた映画監督だ。『誘惑のアフロディーテ』はギリシャ悲劇を下敷きに、ある男の運命の悲劇をコミカルに描いている。

主人公のレニーはマックスという養子をとる。マックスが順調に成長していく中で、レニーは、マックスの母親がどんな人であるか気になり始める。レニーは母親のリンダを探し当てるが、リンダは娼婦でありポルノ女優だったのである。ギリシャ悲劇の『オイディプス王』と同様に、知りたいという好奇心が悲劇を引き起こしていく。

劇中にコロス(合唱団)が出てくるように、『誘惑のアフロディーテ』がギリシャ悲劇のパロディになっている。この映画はレニーとリンダの悲劇的で喜劇的な運命を、『オイディプス王』といったギリシャ悲劇になぞらえて描いている。ギリシャ悲劇を知っていると何倍もこの作品が楽しめる。ウディ・アレンはギリシャ悲劇を下敷きにすることで、身近な運命の悲劇とギリシャ悲劇は同じようなものだといっているように思えた。悲劇のように思えても、自分の解釈次第では喜劇にもなりうる。観終わったあとに、少し心が楽になる映画だ。ただ、このあらすじがあらすじなので、ウディ・アレン作品の中でもハイレベルな下ネタが繰り広げられている。下ネタが苦手な人はご注意を。

 

 

マッチポイント

マッチポイント (字幕版)

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  • ジョナサン・リース・マイヤーズ
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人生は偶然の連続だ。宝くじが当たったり、事故に巻き込まれたり、運命の人に出会ったり、世の中には人が制御できない偶然が多い。「人生は偶然によって大きく左右される」というテーマはウディ・アレンの映画で何度も使われている。『マッチポイント』は偶然や運をテーマにしたウディ・アレン映画の集大成だ。映画のタイトルの『マッチポイント』とはテニスのことだ。マッチポイントを迎えている時に、偶然ボールがネットにひっかかる。相手のコートに落ちたら、勝ち。自分のコートに落ちたら、マッチポイントが消滅し、負けもありうる。ボールがどちらに落ちるかは運だ。

主人公のプロテニス選手のクリスは、テニス選手以外の道を模索していた。指導しているテニスクラブがきっかけで、上流階級のトムとその家族と親しくなる。そのうちクリスはトムの妹クロエと付き合うようになるが、トムのフィアンセのノラにも強く惹かれ関係を持ってしまう。 クリスは結局、クロエと結婚し上流階級への道を選んだ。しかし、ある日偶然ノラと再会し、再び関係を持ち始めてしまう。欲望と野望の狭間で、クリスの想いは激しく揺れ動き、偶然に委ねられた結末へ辿りついてしまう。クリスに幸運の女神は微笑むのか?ウディ・アレン版「罪と罰」とも言える『マッチポイント』。

 

 

タロットカード殺人事件

タロットカード殺人事件(字幕版)

タロットカード殺人事件(字幕版)

  • スカーレット・ヨハンソン
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寝る前に、肩の力を抜いて笑える映画が観たくなる時がある。そんな映画を観たくなった時は大体ウディ・アレンの映画を観ているような気がする。気軽に観れるコメディとしておすすめなのが『タロットカード殺人事件』だ。

『タロットカード殺人事件』は、『マッチポイント』のようなシリアスなサスペンスではなく、脱力して楽しめるコメディタッチのサスペンスだ。タロットカードが関係する事件の謎解きを楽しむというよりかは、スカーレット・ヨハンソン演じる女子大生とウディ・アレン演じるマジシャンとのコミカルな会話を楽しむ映画だ。『マッチポイント』でも予想を超えるエンディングを持ってきたけど、この『タロットカード殺人事件』でも普通とは違う一ひねり効いたエンディングが待っている。ウディ・アレンらしいブラックユーモアが効いたシニカルなエンディングは予想外すぎて、笑ってしまう。

 

 

カフェ・ソサエティ 

カフェ・ソサエティ(字幕版)

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  • ジェシー・アイゼンバーグ
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忘れられない恋 をしたことはあるだろうか?「あのときこうしてれば、付き合っていたかもしれない...」と人生のタラレバを考えたことがある人もいるだろう。人生のもしかしてを描いているのが『カフェ・ソサエティ』だ。

1930年代ハリウッド黄金時代を舞台に、男女のほろ苦い恋愛模様がロマンチックに描かれている。この映画の魅力的なところは、誰しもが考えたことがあるであろう人生のもしかしてが描かれているところだ。もしもあのときこうしてたら...あり得たかもしれない過去を夢想することは魅力的で、甘美なノスタルジーに満ちている。永遠におこりえない過去だからこそ儚く、そして美しくみえてしまう。ボビーが思い描くヴォニーとの「もうひとつの過去」は魅力的だ。

だが、ウディ・アレン監督は甘美なノスタルジーへの自己陶酔だけでは終わらせない。甘美なあり得た過去への陶酔だけではなく、上手くいくことだけではないビターな現実も突きつけてくる。『カフェ・ソサエティ』は、ビター&スイートな大人のおとぎ話だ。

 

 

ミッドナイト・イン・パリ

ミッドナイト・イン・パリ(字幕版)

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  • オーウェン・ウィルソン
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ミッドナイト・イン・パリ』は、ヘミングウェイのエッセイ『移動祝祭日』で描かれている1920年代のパリを舞台にしたロマンチックファンタジーだ。作家志望の主人公・ギルは1920年代のパリにタイムスリップしてしまい、色んな芸術家と交流するようになる。1920年代のパリにタイムスリップしたギルはそこでアドリアナに恋をするのだが...この映画がテーマにしているのは「過去へのノスタルジー」だ。過去はいつだって美しい。現在から振り返る過去は多かれ少なかれ美化されているもの。いつでも未来は不安なもので、今は苦しく、過去は甘美な郷愁に満ちているものであることを教えてくれる。この映画を観て1920年代のパリにタイムスリップしてみては?

 

 

アニー・ホール 

ウディ・アレン監督作品の中で絶対に外せないのが『アニー・ホール』だ。ちなみに、この『アニー・ホール』は1977年アカデミー賞の主要4部門を受賞している。

数々の恋愛映画の名作を残してきたウディ・アレンだが、その原点は『アニー・ホール』にある。この映画は最初から最後まで実験的だ。観客に突然話しかけてきたりするし、アニメーションが入ったり、時系列シャッフルであったりと、様々な技巧がつかわれている。個性的な演出で描かれているのは男女の出会い、恋愛模様、そして別れだ。この映画は単に甘い恋愛映画ではない。ユーモアでシニカルな会話の中にも、恋愛の本質を突いた台詞が散りばめられている。「恋愛はサメと同じだ。前進し続けないと死んでしまう」『アニー・ホール』はほろ苦い恋愛を描いた大人の恋愛小説だ。

 

 

カイロの紫のバラ 

人はなぜ映画を観るのだろう?人生における映画(フィクション)の役割とは何か?そんな問いに答えるのがウディ・アレンの隠れた名作『カイロの紫のバラ』だ。

映画から登場人物が出てくるというウディ・アレン十八番のメタフィクションになっている。主人公のセシリアは惨めな生活と愛のない夫婦生活から逃れるようにして、映画に夢中になっている。セシリアが夢中になっていたのは「カイロと紫のバラ」という映画だ。

ある時、「カイロと紫のバラ」から主人公・トムが第四の壁を破り、現実世界に出てきてしまう。映画の中も大騒ぎになり、セシリアはトムと逃避行することになるのだが...ウディ・アレンの映画には「人生は不条理にまみれていて辛いものだ」という諦めや諦念が強くにじみ出ている。そんな辛い人生を乗り切るためにはどうすればいいのか?ウディがこの映画で提示する答えは「映画」だ。辛い人生には逃げるための虚構(フィクション)が必要だ。映画はその避難地になってくれる。ラストシーンのセシリアの表情は、人生に映画が不可欠であることを実感させてくれる。この映画にはウディ・アレンの映画愛に満ちている。映画が好きな人ならぜひ見てほしい。個人的にはこの『カイロと紫のバラ』がウディ作品の中で一番傑作だと思っている。

 

 

番外編:映画と恋とウディ・アレン

おまけで、ウディ・アレンの映画作りにフォーカスしたドキュメンタリー作品。ウディ・アレン監督だけではなく、家族や共演者、映画関係者にもインタビューしていて、ウディファンならみて損はない!

待ち人来ず!待っていてもこない不条理小説まとめ

小説の中には、待っているものや人が来ないということを題材とした小説がある。個人的に、これらの小説を待ちぼうけ小説と勝手に読んでいる。

眠れる森の美女は王子様が来るまで眠りながら待ち続けているが、来るかわからないものを待ち続けるというのは不条理なことだ。

気になる女の子をデートに誘ったけど、やってこない時にでも読んでみてほしい(絶対に違う)。冗談はさておいて、待つことの不条理を扱った小説・戯曲を紹介していきたい。

 

 

ゴドーを待ちながら / サミュエル・ベケット

田舎道。一本の木。夕暮れ。エストラゴンとヴラジーミルという二人組のホームレスが、救済者・ゴドーを待ちながら、ひまつぶしに興じている──。

待っている人が来ないというテーマの名作といえば、 ベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』だろう。すべての待ちぼうけ小説はここからうまれたと言っても過言ではない。ひたすらにゴド―を待ち続けるという不条理劇だ。この演劇は不条理劇として有名な作品で、数多くの作家や作品に影響を与えている。

内容を簡単に説明すると、ウラジミールとエストラゴンという2人の浮浪者が、ゴドーという人物を待ち続けているという内容だ。そして、ゴドーは来ないのである。なんとも不条理な演劇である。

 

 

 タタール人の砂漠 / ブッツァーティ

辺境の砦でいつ来襲するともわからない敵を待ちつつ、緊張と不安の中で青春を浪費する将校ジョヴァンニ・ドローゴ―。神秘的、幻想的な作風でカフカの再来と称される、現代イタリア文学の鬼才ブッツァーティ(一九〇六‐七二)の代表作。二十世紀幻想文学の古典。

 ブッツァーティの『タタール人の砂漠』は辺境の砦でいつやってくるか分からない敵を待ち続ける小説だ。 ブッツァーティは、神秘的・幻想的な作風で知られカフカの再来とも称されている。

 

 

シルトの岸辺 / ジュリアン・グラック

著者最大の長篇かつ最も劇的な迫力に富む代表作。1951年度のゴンクール賞に選ばれたが、グラックは受賞を拒否、大きな話題を呼んだ。「この小説は、その最後の章まで、決して火ぶたの切られない一つの海戦に向かってカノンを進行する」――宿命を主題に、言葉の喚起機能を極限まで追求し、予感と期待とを暗示的に表現して見せた。

ジュリアン・グラッグの『シルトの岸辺』は、戦いの膠着状態がひたすらに続く様子を描いた小説だ。

『タタール人の砂漠』と同じように、作中には何かが起きる予感や不穏な空気が漂っている。特徴的な比喩が多い文体なので、人を選ぶ作品かもしれない。

 


夷狄を待ちながら / クッツェー

野蛮人は攻めてくるのか? 静かな辺境の町に首都から治安警察の大佐が来て凄惨な拷問が始まる。けっして来ない夷狄を待ちながら、文明の名の下の蛮行が続く。

クッツェーの『夷狄を待ちながら』は、辺境の街で野蛮人がせめてくるのを待ち続ける小説だ。 タイトルだが、英語でWaiting for the Barbariansとなっており、ゴド―の『ゴドーを待ちながら』をオマージュしたタイトルになっている。『夷狄を待ちながら』がきっかけで、J・M・クッツェーの名前が世界的に知られるようになった。