日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

二本の直線のように交わる人生 / 「石のまくらに」 村上 春樹

村上春樹の小説世界では、すんなりと男女が関係を持つ。それはもう息を吸うように。「石のまくらに」という短編も村上春樹にありがちな男女が流れで関係を持つ系の話だ。この短編は最新刊の短編集『一人称単数』に収録されている。元は文學界に掲載された「三つの短い話」のくくりで発表されている。この短編集全般に言えることだけど、人生を俯瞰して過去の話を思い返すというスタイルの短編が多い。これは村上春樹が年をとったからなのかなとちょっと思っている。

『一人称単数』というタイトルのように、人称は「僕」が使われている。数ある人生の可能性の中から、一人称単数として選んできた人生を振り返る意味合いなのではないかと思う。村上春樹作品では珍しく短歌が出てくる。村上春樹が書いた短歌は初めて見た。

 

 

 

たち切るも/たち切られるも/石のまくら

「石のまくらに」は、内容は男女一夜物語といった感じで、大学生の頃にひょんなことから一夜を共にしたバイト先の女性のことを回顧する話だ。

「僕」と彼女はその一晩を過ごしただけで、それからは会ってもいない。その女性には好きな人がいたが、その男には本命がいるらしく、叶わぬ恋で会った。だからか、「ねぇ、いっちゃうときに、ひょっとしてほかの男の名前を呼んじゃうかもしれないけど、それはかまわない?」と「僕」に伝える。彼女は行為中に大声を出してしまいそうだったので、「僕」はタオルを渡して口に噛んでもらうようにしてもらう。行為後に噛み跡の残ったタオルのことが頭に残っていて、「僕」は彼女の短歌のことを思い出すのだ。

彼女は短歌を書いているようで、「僕」に歌集をプレゼントするという。その歌集に乗っている短歌がタイトルの由来である。

 

 たち切るも・たち切られるも・石のまくら
うなじつければ・ほら、塵となる
 

 二本の直線のように交わる人生

「僕」は彼女のことを思い出すが、彼女はもう生きてはおらず、自ら命を絶ってしまったのではではないかと思っている。「僕」は彼女に死の匂いを感じていたのだろう。この短編には以下のような印象的な文章がある。
僕らは二本の直線が交わり合うように、ある地点でいっときの出会いを持ち、そのまま離れていったのだ。
人との出会いというのは直線が交わるように、交差しいつかは離れていく。またねと言って別れても、もう会うことはないかもしれないことが たくさんある。またいつの日か会えるだろうと思っていても、どこか遠くに行ってしまったり、死んでしまったり二度会えなくなってしまうことなんてざらにある。年をとっていくとそんなことが多くなっていくんだろうなとちょっと悲しくなる。人生の切なさを感じられる味わい深い短編だ。

 

 

 栞の一行

僕らは二本の直線が交わり合うように、ある地点でいっときの出会いを持ち、そのまま離れていったのだ。