日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

とんがり焼は村上春樹の文壇批評? / 『とんがり焼の盛衰』 村上 春樹

とんがり焼」と聞くと「とんがりコーン」の事を思い浮かべる。名前がほとんど同じだし、「とんがり焼」は「とんがりコーン 」のことを言っているのだろうと思っていた。「とんがり焼き」とは何ぞやと思う人が多いと思うが、知らない人が大半だろう。

「とんがり焼」は村上春樹の短編小説「とんがり焼の盛衰」に登場する謎のお菓子だ。「とんがり焼の盛衰」は短編集『カンガルー日和』に収録されている。作中では、「とんがり焼」は伝統ある銘菓として説明されている。気になる味の方はどうかというと、作中の言葉を借りれば、「とくに感心する味ではなかった」とのことだ。

こんな不思議なお菓子が登場する「とんがり焼の盛衰」はどんな話かというと、主人公がとんがり焼きの新製品募集に応募するというところから話が始まる。主人公は現代的なアレンジをした「新とんがり焼」を応募するのだが、無事選考を通過しとんがり製菓から会社に呼ばれたのである。そこで、「新とんがり焼」は若者からは人気だったが、年配からは「とんがり焼」ではないとのコメントがあることを社員から伝えられる。

主人公は、とんがり焼きの選考過程を見ることになるのだが、「とんがり焼」の評価は「とんがり鴉」なるものが行なっていたのだ。主人公の「新とんがり焼」を食べた「とんがり鴉」の間では賛否が分かれ、最後には互いにつつきあい共食いのような様相と化してしまう。主人公はこれを見て、自分の好きなものだけを作ることを決意するのであった。

これだけ読むと、なんのこっちゃ分からない小説だ。村上春樹の小説らしい不思議な話。

この短編を村上春樹本人自身のコメントを参考にして解釈していこうと思う。

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YOASOBIの紅白歌合戦の舞台に使用された角川武蔵野ミュージアムがオシャレすぎる件について

YOASOBIの紅白歌合戦での演奏が素晴らしかった


YOASOBI「夜に駆ける」 Official Music Video

 

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。2021年こそは良い年になって欲しいものです。

 

晦日紅白歌合戦を見ていた。目当てはYOASOBIの「夜に駆ける」。2020年一番聞いていた楽曲といっても過言ではない「夜を駆ける」。ラジオで聞いてから頭から離れなくなって、すぐに調べて、気付いたら楽曲の虜になっていた。なので、今回紅白で地上波初パフォーマンスということもあり非常に楽しみにしていた。

 

 

リアルタイムで観ていたが、とても素晴らしいパフォーマンスだった。YOASOBIの「夜を駆ける」を聴き終わった時点で、もう年を越してもらっても大丈夫な気分になっていた。YOASOBIの紅白歌合戦での舞台だが、本棚の中にステージを作っていて、小説を楽曲にしてきたYOASOBIらしい舞台で良いなと思った。今回演奏した「夜を駆ける」も「タナトスの誘惑」という小説を基に作られている。今回の舞台がどこなのかすごく気になったので調べてみた。

 

 

YOASOBIの紅白の舞台は角川武蔵野ミュージアム

 

 

この舞台がどこかすごく気になって調べてみたら、埼玉県所沢市にある角川武蔵野ミュージアムの「本棚劇場」だった。今年オープンしたばかりの図書館と美術館と博物館を一緒にしたような施設だ。角川武蔵野ミュージアムの館長は松岡正剛さん。4階には目玉の「エディットタウン」があり、どこをみても本だらけという本好きには堪らない場所だ。

 

book.asahi.com

 

紅白で使用されたのは「本棚劇場」。角川書店の本や、創業者である角川源義氏の蔵書のほか、角川書店にゆかりのある人たちから寄贈された約3万冊が所蔵されている。写真で見るだけでも圧巻である。また、本棚劇場ではプロジェクションマッピングが行われており、本棚が光によって彩られる。

 

 

隈研吾が設計した石の建築

casabrutus.com

紅白のYOASOBIのパフォーマンス前にチラッと施設の外観が写っていたが、角川武蔵野ミュージアムは石で覆われた面白い建築になっている。設計したのは隈研吾。新国立競技場を設計した日本を代表する建築家だ。隈研吾といえば、新国立競技場のように木を使った建築で知られているが、それに対して角川武蔵野ミュージアムでは石をふんだんに使用した建築となっている。

 

 

ぜひ2021年の間に行ってみたいなと思う。

最後にはなりますが、YOASOBIの2021年の活躍を期待してます!

 

kadcul.com

 

 

2021年に読みたい本・ブログについて

来年に読みたい本

2021年に読みたい本をまとめてみた。

 

日本文学

 

内向の世代

 

日本現代文学

 

シェイクスピア四大悲劇

 

ロストジェネレーション

 

ポストモダン文学

 

ヌーヴォー・ロマン

 

 

2020年に読んで印象に残った本ベスト10選

いよいよ大晦日だ。一年のグランドフィナーレ。未曾有の災害、新型コロナウイルスに襲われた一年でした。本当なら東京でオリンピックが開催されていたはずだったのかと考えると不思議な気分になる。こんな一年になることを誰が予想できたであろうか。何が起こるかわからないものである。

パリや東京、ニューヨークなど人が街からいなくなることが起こりうるとは思っていなかった。もし、過去から2020年のロックダウン時の世界にタイムスリップした人がいたら、人がいなくなった街を見てさぞ驚いただろう。

 

今年一年を振り返りつつ、今年読んだ本の中で印象に残ったものを10冊選んでみた。今年出版された本ではなく、今年読んだ本の中から選んでいる。結構昔に出版された本も混じっている。今年は家にいることが多かったこともあって、年間で100冊ほど読んだ。いつもこのくらい読めればいいのだけれど。

 

 

 風の歌を聴け

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 

まずは村上春樹の『風の歌を聴け』。今年初めて読んだわけではなく、4度目ぐらいの再読だ。村上春樹のデビュー作だ。読んだ人ならわかると思うのだが、『風の歌を聴け』は明確なストーリーが分かりにくい小説だ。今までに読んだ時も、村上春樹の饒舌な文体やほろ苦い青春の雰囲気を楽しむ感じで読んでいて、内容については解釈しきれていなかった。今回『風の歌を聴け』を再読する前に、斎藤美奈子の『妊娠小説』 と石原千秋の『謎解き村上春樹』を読んで考察を行ったので、かなり内容をつかむことができた。テクスト中に散りばめられた数字やキーワードを丹念に追っていくと内容がつかめる。40の断章で構成されていてメインストーリーがないように思えるが、2つの出来事が語られていると思う。「僕が彼女(直子)を自殺で失う話」と「鼠が小指のない女の子を妊娠させて、それが原因で女の子を失う話」だ。『風の歌を聴け』は何度でも再読したくなるし、読むたびに色んな解釈が深まっていく名作だ。

 

 

限りなく透明に近いブルー 

こちらは村上でも龍の方。村上春樹はほとんどの小説を読んでいるが、村上龍の方は一冊も読んだことがなかった。なので、代表作でもある『限りなく透明に近いブルー』を読んだ。ドラックにまみれた『トレインスポティング』みたいな小説で、感性で書いたような印象を受ける小説だ。しかし、イメージを繰り返すなど細かいところの小説技法がしっかりとしていて、勢いだけで書いた小説ではない印象を受ける。とにかく主人公たちが吐くシーンが多いのだけれど、これはサルトルの『嘔吐』をイメージしているのかな。来年は『コインロッカーベイビーズ』を読もうと思う。

 

 

一人称単数 

一人称単数 (文春e-book)

一人称単数 (文春e-book)

 

今年出版された村上春樹の最新短編集。過去を振り返るテイストの話が多く、村上春樹も年をとったからこんな話を書いたのかなと考えるとしみじみする。 

 

 

キャプテンサンダーボルト 

伊坂幸太郎阿部和重の共作小説。エンタメと純文学を代表する作家のコラボということもあって、期待に胸を膨らませて読んだ。単行本が発売された当初から話題になっていて読みたかったが、結局文春文庫になっても読まずに新潮文庫の新装版になってから読むことになった。阿部和重の陰謀的な要素と伊坂幸太郎ストーリーテリングが合わさって面白いエンタメに仕上がっている。伊坂作品をベースにして比較すると伏線回収の量はそこまでないが、陰謀や謎の組織の計画など気になる謎に引っ張られて一気に読んだ。また本編には「村上病」という感染症が登場するのだが、新型コロナのこともあってタイムリーに感じた。

 

 

こころ 

こころ (新潮文庫)

こころ (新潮文庫)

 

高校生の時以来に再読した。言わずと知れた夏目漱石の三角関係小説。「恋は罪悪ですよ」というパワーワードで有名だ。高校の国語の授業でも読んだが、今読み直すとまた違った解釈ができる。人生経験が増えたからか。

 

 

レプリカたちの夜 

レプリカたちの夜(新潮文庫)

レプリカたちの夜(新潮文庫)

 

『レプリカたちの夜』はタイトルと最初の掴みが面白かったので読んだ。まあ、ヘンテコりんな小説だ。映画監督に例えるとデヴィッド・リンチのよう。まるでマルホランドドライブを見ているかのような気分になった。文体はユーモアに溢れていて面白いが、内容は脈略がなく意味不明なところがある。ミステリかと聞かれれば、ミステリのフリをした何かだと答えるだろう。既存の方に収まらない、ぶっ飛んだ小説だった。この作家の今後に注目したい。

 

 

虹の色歯ブラシ 上木らいち発散 

虹の歯ブラシ 上木らいち発散 (講談社文庫)

虹の歯ブラシ 上木らいち発散 (講談社文庫)

 

今年読んだミステリの中で一番の問題作が『虹の色歯ブラシ 上木らいち発散』 。もう、めちゃくちゃ問題作。『〇〇〇〇〇〇〇〇殺人事件』もブッとんだ問題作だが、この小説も引けを取らない。こんな試みをしているミステリを見たことがない。連作短編ミステリで最後の短編で話がつながる構成なのだが、話の繋げ方がナナメ上過ぎて度肝を抜かれた。

 

 

 イシューからはじめよ

社会人2年目ということもあり、ビジネス書を多く読んだ一年でもあった。『イシューからはじめよ』は論理的思考・仮説思考・論点思考についての本だ。重要な問題に絞り、闇雲に考えるのではなく仮説を立ててポイントを絞って検証していく。研究者にも役立つ内容の本だ。今気付いたが、自分が読んで面白いと感じた本は大体マッキンゼー出身の人の本だ。 

 

 

 2020年6月30日にまたここで会おう

 

 もっとも影響を受けたビジネス本は瀧本哲史の『僕は君たちに武器を配りたい』だ。大学生の時に読んで感銘を受けた本の1つだ。その瀧本哲史の講義を本にしたものだ。講義の熱量が伝わってくる内容になっている。ちなみに瀧本哲史もマッキンゼー出身。

 

 

 君に友だちはいらない

君に友だちはいらない

君に友だちはいらない

 

こちらも瀧本哲史の本。『君に友だちはいらない』というタイトルは刺激的だが、内容としては仲間を集めてチームを作るにはどうしたらいいかということについての本だ。起業するにしても、一人だけでは事業をうまく軌道に乗せることができない。この本はどうすれば最大限の成果を生み出せるチームを作れるかということを力説した本だ。

 

 

 

来年も100冊ぐらいは本を読むようにしたいなと思う大晦日であった。 

謎解き『風の歌を聴け』 / タイトルの『風の歌を聴け』ってどういう意味?

 

村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』。短い小説でありながらも、文体が完成されていて、様々な謎が散りばめられている。単純に読めば、ほろ苦い夏の出来事を描いた小説であるように思えるが、この小説は巧妙に重要な出来事を隠している。パズルのように1つ1つのピースを丹念につないでいけば、隠されたストーリーが浮かび上がるというものだ。今回は『風の歌を聴け』と言うタイトルの意味について解釈をしていこうと思う。

 

 

 

元々のタイトルは『Happy Birthday and White Christmas』 だった

風の歌を聴け』のタイトルだが、もともとはHappy Birthday and White Christmasだったことが知られている。その名残として『風の歌の聴け』の表紙の絵の上部に「Happy Birthday and White Christmas」と書いてある。

風の歌を聴け』は1970年8月8日から8月26日の夏の話なのになぜクリスマスと思うだろう。その根拠はテクストに書かれている。主人公「僕」の誕生日が12月24日なのもあるが、鼠の小説に関係がある。

鼠はまだ小説を書き続けている。彼はその幾つかのコピーを毎年クリスマスに送ってくれる。昨年は精神病院の食堂に勤めるコックの話で、一昨年のは「カラマーゾフの兄弟」を下敷きにしたコミック・バンドの話だった。あい変わらず彼の小説にはセックス・シーンはなく、登場人物は誰一人死なない。原稿用紙の一枚めにはいつも、
「ハッピー・バースデイ、そして ホワイト・クリスマス。」
と書かれている。僕の誕生日が12月24日だからだ。 (本文)

鼠の書いた小説の一枚目に必ず書かれている言葉が、「ハッピー・バースデイ、そして ホワイト・クリスマス。」だからだ。

だがそれ以外にも理由があるのではないだろうか。それ以外の理由というのは、この小説内での2つの重要な出来事から読者の注意をそらすためというものだ。

この『風の歌を聴け』には、隠された2つのストーリーがある。それは「僕が彼女(直子)を自殺で失う話」と「小指のない女の子が鼠の子どもを身ごもり堕胎する話」だ。「僕」が彼女(直子)を失ったのは1970年の春のことで、『風の歌を聴け』の時間軸でいえば半年ぐらい前の話だ。この「僕が彼女を自殺で失う話」は、語る時期をずらすことで「僕」は注意を逸らしているように思える。「鼠が小指のない女の子を失う話」はもっと巧妙に隠されていて、テクストの細部を丹念に追っていかないとたどり着くことができない。この「鼠が小指のない女の子を失う話」は斎藤美奈子や平野芳信が指摘し、『風の歌を聴け』の基本骨格の読解として定着した感がある。

このように語り手の「僕」は、語るべき内容を巧妙に隠し、重要な出来事から読者の注意をそらしていた。一種の信頼できない語り手だろうか。重要な出来事から注意をそらし、巧妙に隠すための手段として、舞台の時期とは異なるクリスマスをタイトルに入れたのではないかと考えている。「僕」の彼女が自殺したのは1970年の春、小指のない女の子が「鼠」の子どもを堕ろし別れたのが1970年の8月のことだ。

 

 

風の歌を聴け』はカポーティの短編「最後のドアを閉じろ」に由来している?

夜の樹 (新潮文庫)

夜の樹 (新潮文庫)

 

 『風の歌を聴け』と言うタイトルは、トルーマン・カポーティの短編「最後のドアを閉じろ」(“Shut a Final Door”)の一節にインスパイアされたと村上春樹本人が語っている。「最後のドアを閉じろ」の最後の一節が「Think of nothing things, think of wind」であり、そこからタイトルが取られたのではないかと言われている。「最後のドアを閉じろ」は『夜の樹』に収録されている。

トルーマン・カポーティの短編小説『最後のドアを閉じろ』の最後の一行、この文章に昔からなぜか強く心を惹かれた。Think of nothing things, think of wind,僕の最初の小説『風の歌を聴け』も,この文章を念頭にタイトルをつけた。nothing things という言語感覚 がすごくいいですね。

(『サラダ好きのライオン』より)

 

 

 『風の歌を聴け』の本文からタイトルの意味を考える

確かに、『風の歌を聴け』のタイトルはカポーティの小説からインスパイアされたものではないかと思える。だが、このタイトルの小説における意味は何だろう?その答えを『風の歌を聴け』の本文中に求めたい。『風の歌を聴け』においてタイトルに関係がありそうなことを言及している箇所が1つある。それはテレク・ハートフィールド(架空の作家)の著作「火星の井戸」の一節だ。

 

風が彼に向ってそう囁いた。

「私のことは気にしなくていい。ただの風さ。もし君がそう呼びたければ火星人と呼んでもいい。悪い響きじゃないよ。もっとも、言葉なんて私には意味はないがね。」

「でも、しゃべってる。」

「私が?しゃべってるのは君さ。私は君の心にヒントを与えているだけだよ。」「太陽はどうしたんだ、一体?」

「年老いたんだ。死にかけてる。私にも君にもどうしようもないさ。」

「何故急に…?」

「急にじゃないよ。君が井戸を抜ける間に約5億年という歳月が流れた。君たちの謎にあるように、光陰矢の如しさ。君の抜けてきた井戸は時の歪みに沿って掘られているんだ。つまり我々は時の間を彷徨っているわけさ。宇宙の創生から死までをね。だから我々には生もなければ死もない。風だ。」 (P127)

 

風が「彼」にヒントを与えている場面だ。風は「彼」に、時の間を彷徨っていることを伝えている。これは『風の歌を聴け』で引用されている「火星の井戸」の一場面だが、『風の歌を聴け』にも「時の歪み」がある。

風の歌を聴け』は、1970年8月8日から8月26日までの話だが、小説内の出来事を丹念に追っていくと日数が足りないのだ。このテクストには「〇〇年」や「〇〇日」とか「翌日」など、時系列のパズルの組み立てに必要なキーワードが散りばめられている。それを元に計算してみると日数が合わないのだ。これを作者である村上春樹のミスとすることもできるが、テクストを根拠にした読み方ではこのミスにも何か意味があるのではないかと考える。

この『風の歌を聴け』という小説は、「僕」が8年間という時間を経て過去を振り返り記述したものだ。「彼女の死」や「小指のない女の子の堕胎」という出来事を語ろうとする試みの中で、「僕」は動揺して「時の歪み」の中に紛れ込み、語りの時系列に矛盾が生じてしまったのではないか。この『風の歌を聴け』の構造での、「時間の歪み」を示唆しているのがこのタイトルの意味ではないかと僕は考えている。

Pretender的な小説を数多く残した夏目漱石


Official髭男dism - Pretender[Official Video]

 

2019年を彩ったヒット曲といえば『Pretender』だろう。映画主題歌となったこの曲は、ストリーミングサービスなどでブレイクし、広く聞かれる楽曲となった。切ない恋愛を綴る歌詞とボーカル藤原聡の圧倒的な歌唱力に魅了された人は多いはずだ。

『Pretender』の歌詞はサビに象徴されるように、ハッピーなラブソングではない。

 

君の運命の人は僕じゃない

辛いけど否めない でも離れ難いのさ

 

悲痛な叫びが込められている。歌詞を読んでいるとジェンダーを特定できる要素は少ないのだが、 サビに「僕」とあるのでおそらく男性視点だろう。まあボーカルが男性というのもあるので、歌詞の主人公は男として読んでしまうのもあるが。

 

恋している相手は誰だろうか?「君の運命の人は僕じゃない」と言うぐらいなので、両思いではなく片思いであることは間違いない。

『Pretender』の歌詞の特徴だけれど、「君は綺麗だ」と言うフレーズのようにジェンダー的にニュートラルな表現を使っている。そのため、歌詞の主人公の男性が恋い焦がれている相手は女性かもしれないし、男性かもしれない。むしろ異性愛よりも同性愛として読んだ方が、歌詞が帯びている切実さや絶望さにマッチしているように思える。今の時代性に即した歌詞だなと思う。ここら辺のクィア・リーディング的な話は下記の記事にとても丁寧に説明されているので是非読んで見て欲しい。

 

gendai.ismedia.jp

 

今回は異性愛の視点で見てみることにする。

 

もっと違う設定で もっと違う関係で
出会える世界線 選べたらよかった
もっと違う性格で もっと違う価値観で
愛を伝えられたらいいな そう願っても無駄だから

 

サビのフレーズのように、視点人物の「僕」は、「君」と友達以上恋人未満の関係にあるように思える。ここで「もっと違う設定で もっと違う関係で 出会える設定 選べたらよかった」と言うフレーズに引っかかる。単純な片思いであれば、ここまで根源的に悩むことはないように思える。「僕」は「君」に思い焦がれているが「君」は別の人が好きといった三角関係ではないかと僕は解釈した。あるいは「僕」と「君」はセフレの関係で、「僕」は「君」のことが好きだが「君」は「僕」を恋愛対象とは思っていないとか。

そう考えてみると、「それじゃ僕にとって君は何?/答えは分からない/分かりたくもないのさ」と言うフレーズに迫力が出てくる。

解釈は人それぞれだと思うが、この『Pretender』には普通の片思いに収まらないような深刻さがある。この感じは夏目漱石の小説に通じるものがあるのではないかと思うのだ。

 

 

悲恋小説を数多く残した夏目漱石

夏目漱石といえばどんな小説を思い浮かべるだろう?高校の国語の教科書にも収録されていることもあり『こころ』を思い浮かべる人が多いのではないかと思う。

『こころ』は三角関係を描いた悲恋小説の傑作だ。『こころ』で描かれる悲恋は相当深刻だ。夏目漱石は『こころ』のように三角関係や不倫、略奪愛など一筋縄ではない悲恋小説を数多く残した。

 

『Pretender』の歌詞を借りれば、君の運命の人は僕じゃない的な深刻さを抱えた悲恋小説だ。共通しているのは、「恋人」が「正しい相手」ではなく「間違った相手」であったと言う構造だ。

 

文学研究者の石原千秋は「誤配」と言うキーワードで夏目漱石の小説を解説している。

「誤配」とは文字通り「正しい宛先」ではなく、「間違った相手」に届けられるということだ。作品ごとに登場人物の関係性を見ていこう。

『三四郎』では主人公・三四郎がヒロインの美禰子に思い焦がれているが、美禰子は三四郎には釣り合わない存在だ。三四郎は美禰子に「誤配」されている。「Pretender」的にいえば君の運命の人は僕じゃないと言うことだ。

『それから』では代助は友人に三千代を紹介して結婚させたが、代助は略奪愛によって三千代を奪いとった。三千代の宛先が間違っていたのだ。こんな風に、夏目漱石の小説では男女の「誤配」が物語のモチーフになっている。君の運命の人は僕じゃないと言う絶望が小説の根底にあるような気がするのだ。

 

それもあってか、『Pretender』を聞くとたまに夏目漱石の小説の登場人物を思い浮かべてしまうのだ。

 

 

 

plutocharon.hatenablog.com

 

世界で愛されるミシマ文学!三島由紀夫の新潮文庫売り上げランキング

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2020年11月25日で三島由紀夫陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で割腹自殺してから50年が経つ。『金閣寺』や『潮騒』など数々の名作を残し、海外でも高い評価を受けノーベル文学賞も受賞まじかだったと言われている。右翼的な政治的立場も立ち、実際の行動も起こしていた三島由紀夫。劇的な形で短い人生の幕を下ろした三島由紀夫だが、三島の作品は現在でも広く読み継がれている。三島由紀夫の文庫本といえば新潮文庫だが、これまでの三島由紀夫売り上げランキングが記載されていたのでここでも紹介しようと思う。

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