日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

ピタゴラスイッチ的殺人事件 / 『死亡フラグが立ちました!』 七尾 与史

f:id:plutocharon:20201116220021j:image

“死神”と呼ばれる暗殺者のターゲットになると、24時間以内に偶然の事故によって殺される――。特ダネを狙うライター・陣内は、ある組長の死が、実は“死神”によるものだと聞く。事故として処理された組長の死を調べるうちに、他殺の可能性に気づく陣内。凶器はなんと……バナナの皮!?

この戦争が終わったら故郷に帰って結婚するんだ」これは紛れも無い死亡フラグである。死亡フラグとは、漫画などで登場人物の死を予感させる伏線のことだ。登場人物がそれらの言動をとることを「死亡フラグが立つ」という。 例えば、『NARUTO』の飛段・角都戦前の猿飛アスマ死亡フラグがビンビンに立っていた。死亡フラグが立つというコミカルなタイトルのミステリ『死亡フラグが立ちました!』は、コミカルかつ今までに無いようなピタゴラスイッチ的殺人事件を扱ったエンタメ小説だ。第8回『このミステリーがすごい!』大賞隠し玉として出版された小説で、かなり枚数を削ったようだ。それもあってか、非常にテンポよく話が進んでいく、軽く楽しめるミステリになっている。

 

 

ピタゴラスイッチ的殺人事件

主人公は、特ダネを狙うライター・陣内。編集長の無茶振りで、「死神」と呼ばれる都市伝説的な殺し屋の正体を探ることになる。この「死神」という殺し屋、殺し方が非常にユニークだ。様々なトラップをターゲットの周りに張り巡らし、トラップを連鎖させることで偶然を装ってターゲットを殺害するのだ。そのトラップの連鎖具合は、まさにピタゴラスイッチ的。例を上げてみると、

ビデオにサブミナル効果を仕込んでおく→ターゲットはビールが飲みたくなる→冷蔵庫の前にバナナの皮を置いておく→ターゲットがバナナの皮で滑って転ぶ→いい感じのところにダンベルが置いてある→ターゲットが転んだ勢いでダンベルに頭をぶつける→死ぬ

といった感じだ。こんな感じでピタゴラスイッチみたいに連鎖的に発動するトラップがこれでもかと仕込まれている。果たして陣内は、ピタゴラスイッチ的トラップをかいくぐって、死神の正体を突き止めることができるのか?

 

 

小説版ファイナルディスティネーション

この『死亡フラグが立ちました!』のようにピタゴラスイッチ的なトラップを題材にした映画がある。それが『ファイナルディスティネーション』だ。なかなか人気のある小説で、この映画を皮切りにシリーズ化されている。この映画は『死亡フラグが立ちました!』の中でも登場するし、作者もこの映画から着想を得ているようだ。

あらすじはこんな感じだ。主人公のアレックスは予知夢のおかげで、何人かの同級生とともに悲惨な飛行機事故に巻き込まれずに済む。しかし、死神の魔の手は静かに忍び寄っていた...死神はピタゴラスイッチ的に偶然を連鎖させて、死を逃れた学生たちを死に追いやっていく。死神が仕掛けるピタゴラスイッチトラップは意外性のあるものも多く、中にはこんなのアリかよと思うものも。唯一無二のジャンルなので、ぜひ見て欲しい。

ファイナル・デスティネーション(2000) (字幕版)

ファイナル・デスティネーション(2000) (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 

 『死亡フラグが立ちました!』は人気シリーズになっており、これまでにも続編が多数出版されている。あなたもピタゴラスイッチ的トラップにはまってみるのはどうか?

死亡フラグが立ちました! (宝島社文庫)

死亡フラグが立ちました! (宝島社文庫)

 

 

 

 

 

 

洋上の激闘!巨大カジキ戦争 / 『老人と海』 ヘミングウェイ

f:id:plutocharon:20201116022004j:image

八十四日間の不漁に見舞われた老漁師は、自らを慕う少年に見送られ、ひとり小舟で海へ出た。やがてその釣綱に、大物の手応えが。見たこともない巨大カジキとの死闘を繰り広げた老人に、海はさらなる試練を課すのだが――。自然の脅威と峻厳さに翻弄されながらも、決して屈することのない人間の精神を円熟の筆で描き切る。著者にノーベル文学賞をもたらした文学的到達点にして、永遠の傑作。

 ヘミングウェイの代表作といえば、『老人と海』だろう。『老人と海』がヘミングウェイの最高傑作かどうかは分からないけど、日本における知名度においては『老人と海』が一番ではないかと思う。

老人と海』のおかげで、ヘミングウェイノーベル文学賞ピューリッツァー賞を受賞した。『老人と海』が描くのは、老人VS巨大カジキの壮絶な戦いだ。それはまさに死闘と言っても過言ではない。老人とカジキが繰り広げる死闘を通じて、人間は自然の力には圧倒されてしまうこと、人間は負けてもまた立ち上がることができることを教えてくれる。

ヘミングウェイといえばハードボイルドな作風だが、『老人と海』もThe 男の戦いを描いた作品だ。一文が短く装飾も少ない歯切れの良い文体で、内面描写が抑えられたハードボイルドになっている。

 

続きを読む

サバの味噌煮というバタフライ・エフェクト

 

「サバの味噌煮」を食べると、人生の頼りなさについて考えてしまう。サバの味噌煮なんてありふれた料理だと思うけど、僕にとっては特別な料理だ。こう思う様になったのは、たぶん、森鴎外の『雁』という小説のせいだ。ドルチェ&ガッバーナの香水みたいなものである。この小説にとって、サバの味噌煮は重要な意味を持つ。サバの味噌煮が、惹かれ合う男女を引き離したからだ。

 

こう書くと、頭に?が浮かぶ人が多いと思うので、森鴎外の『雁』のあらすじと結末について説明する。

 

森鴎外の『雁』という小説はこんなあらすじだ。

 

高利貸しの末造の妾・お玉は医学を学ぶ大学生の岡田に慕情を抱いていた。いつも一人で散歩していた岡田は、散歩コースでお玉の家付近を通るのである。その日、お玉は岡田に胸に秘めたる思いを伝えようと思い、散歩に来る岡田を待っていた。ところが、いつも一人で散歩していた岡田は、その日に限って小説の語り手の「僕」と共に散歩に出ていたのである。彼らは、お玉の家の前を通ったが、岡田が一人ではなかったので、お玉は結局その想いを伝える事が出来なかった。その後、岡田は洋行し、二人ははなればなれになってしまったのである。

 

ではなぜ、その日に限って岡田は「僕」と一緒に散歩していたのだろう?その鍵が「サバの味噌煮」にある。その日の下宿の夕食が偶然、「僕」が嫌いなサバの味噌煮だったのである。そこで「僕」は外でご飯を食べようと、岡田とともに散歩に出た。「サバの味噌煮」を食べなければ、お玉は岡田に思いを伝えることができただろう。そんなタラレバを考えてしまう。昔の文学では、運命と言った様な決定論的なテーマがほとんどなので、『雁』の様に偶然を描いた作品って珍しい。

 

 

 物理学の用語にバタフライ・エフェクトというものがある。バタフライ・エフェクトというのはカオス理論で扱われる現象の寓意的な表現で、力学系の状態にわずかな変化を与えるとそのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象のことだ。ざっくり言うと、些細な変化で結果が大きく異なってしまうということだ。印象的なフレーズで言うと、「クレオパトラの鼻がもっと低かったら歴史は違っていた」みたいなことだ。このバタフライエフェクトを題材にした映画で有名なものには、その名の通り『バタフライ・エフェクト』がある。名作映画だ。

 

些細なことで人生の方向性は変わってしまう。当然といえば当然だけど、案外怖い真実である。だいたいこんなことをサバの味噌煮を食べると考える。こんな記事を書いたのは、今週の昼食にサバの味噌煮を食べたせいだ。

 

 

plutocharon.hatenablog.com

ピアスやタトゥを通じて描かれる、生きることの痛み / 『蛇にピアス』 金原 ひとみ

 

蛇のように舌を二つに割るスプリットタンに魅せられたルイは舌ピアスを入れ身体改造にのめり込む。恋人アマとサディスティックな刺青師シバさんとの間で揺れる心はやがて…。第27回すばる文学賞、第130回芥川賞W受賞作。

 歳をとらないと深く理解できない小説があるように、歳をとってしまうと深く理解できない小説があると思う。金原ひとみの『蛇にピアス』は後者に属する小説だと思っている。『蛇にピアス』はスプリットタンや舌ピアス、タトゥなどの身体改造を通じて、生きていることの痛みや切実さを描いている。僕は10代の時にこの小説を読んだが、この時期に読むことができて本当に良かったと思う。今読み返しても、10代の時ほど生きることの痛みの切実さが感じられないんじゃないかかなと思っている。『蛇にピアス』はすばる文学賞を受賞した金原ひとみのデビュー作であるが、本作で芥川賞も受賞している。この時は金原ひとみと綿矢りさという若手女性作家が同時受賞ということもあって、芥川賞の歴史の中でもかなり話題になった回だ。

 

 

スプリットタン・ピアス・タトゥという身体改造

『蛇にピアス』でモチーフとして扱われているのは、タイトルにある様にピアスやスプリットタン、タトゥといった身体改造だ。主人公のルイは、アマと同棲しながらも、サディストの彫り師シバとも関係を持っている。アマは舌にピアスを入れており、舌先が二つに別れたスプリットタンになっている。ルイはアマのスプリットタンに影響を受けて、自らも舌にピアスを入れ、タトゥを彫り、どんどんと「身体改造」にはまっていく。痛みを通じてしか生きることの実感を得られないアマの痛みと快楽、愛と絶望が描かれている。

 アマやルイ、シバたちは、ピアス・タトゥーといった身体改造を通じて、アンダーグラウンドで生きるということを身に深く刻み込む。身体性や痛みを通じてでしか、生の実感をえられず、死や暴力的なものを渇望する。『蛇にピアス』は、若さ特有の毒で溢れている。頭で考えながら読む小説というよりかは、考えずに身体で感じる小説だ。

 

 

 吉高由里子主演で映画化もしている

蛇にピアス

蛇にピアス

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 『蛇にピアス』は蜷川幸雄監督によって映画化されている。主人公のルイを演じているのは吉高由里子だ。アマ役は高良健吾となかなか豪華だ。

 

 

現代版マッチ売りの少女 / 『ミステリアスセッティング』 阿部 和重

f:id:plutocharon:20201113021300j:image

歌を愛し、吟遊詩人を夢見ながらも、唄う能力を欠いた19歳の少女シオリ。
唄うことを禁じられ、心ない者たちにその純粋さを弄ばれても夢を抱き続けるシオリに、運命はさらなる過酷な試練を突き付ける。小型核爆弾だというスーツケースを託され、東京の地下深くにひとり潜ったシオリが起こした奇跡とは?

宝飾技術に「ミステリアスセッティング」と言うものがある。かっこいいネーミングの「ミステリアスセッティング」だが、留め具なしで宝石が台座にくっついている様に見える不思議な接合技術のことを指している。この「ミステリアスセッティング」の様に、一見すると核爆弾とは見えないスーツケースを託された19歳の少女シオリの過酷な運命を描いたのが阿部和重の『ミステリアスセッティング』だ。

 

続きを読む

謎解き『TENET』/ 2回目を観るときにチェックしたい小ネタまとめ


映画『TENET テネット』の舞台裏!メイキング映像

スパイ映画×時間逆行SFというこれまでに類のない映画『TENET』。現代を代表するクリストファー・ノーラン監督の最新作だ。『インセプション』や『インターステラー』など難解な作品を作り続けてきたクリストファー・ノーラン監督だけあって『TENET』もかなり難解な仕上がりになっていると思う。個人的にはノーランの映画の中で『TENET』が一番ややこしいと思っている。一回見ただけじゃ分からず、二回以上見ることが前提となっているのではないのだろうか。

今回は『TENET』を2回目を見るときにチェックしたい小ネタを時系列順にまとめてみた。二回目を見る際の参考にしてみて。

 

続きを読む

東野圭吾の本格ミステリ決別宣言 / 『名探偵の呪縛』 東野 圭吾

東野圭吾の転換点

図書館を訪れた「私」がふとしたことから迷い込んだ街。そこは『本格推理小説』という概念が存在しない場所だった。その街で起こる、密室殺人や人間消失トリック。本格の存在しない街で起こる本格殺人に、探偵天下一となった「私」が挑む。

今日本を代表するエンタメ作家といえば東野圭吾の名が上がるだろう。

社会性を織り込んだミステリやガリレオのような理系ミステリなど話題作を次々と世に送り出してきた。東野圭吾はミステリという枠に囚われずに、真に面白いエンタメ小説を追求しているように思える。

だが、東野圭吾の初期作品にはいわゆる本格ミステリが多い。『ある閉ざされた雪の山荘で』や『仮面山荘殺人事件』など、クローズドサークルや密室など現実離れした本格ミステリを書いている時期があったのだ。それはまだ東野圭吾が注目される前のことだ。東野圭吾自身も本格ミステリを愛好していたが、ある時から東野圭吾は本格ミステリから離れている。その東野圭吾の転換点とも言える作品が『名探偵の呪縛』だ。この『名探偵の呪縛』には、東野圭吾の本格ミステリへの思いと、本格ミステリから決別して次のステージに行くという決意表明が込められている。

 

 

『名探偵の掟』と『名探偵の呪縛』 

 『名探偵の呪縛』は『名探偵の掟』に続く天下一シリーズの二作目だ。この天下一シリーズに共通することは、「本格ミステリ」という様式そのものを題材にして批評したミステリであるという点だ。本格ミステリとは、日本独自とも言えるミステリのジャンルだ。密室やクローズドサークル、見立て殺人、不可能犯罪など謎解きやトリックに重きを置いたミステリだ。本格ミステリには様式美と呼べるものがあり、「探偵と助手が登場し謎を解決する」と言ったことや「謎解きの手がかりは読者にフェアに開示されなければならない」と言った暗黙の了解がある。

本格ミステリの形式を自虐的に茶化したのが『名探偵の掟』だ。『名探偵の掟』は本格ミステリあるあるを題材にして、パロディにしている。本格ミステリというジャンルが好きな人であれば、内輪の自虐ネタとしてかなり楽しめる。『名探偵の掟』では、密室や見立て殺人などのミステリの「お約束」にどんどん切り込んで、パロディ化していく。東野圭吾先生ここまでやっていいんですか?と読者の側が心配になってしまう。僕も本格ミステリ好きとして、本格ミステリあるあるを楽しむことができた。本格ミステリへのパロディ満載の『名探偵の掟』は、東野圭吾の本格ミステリへの愛情で溢れている。じゃないとミステリの「お約束(ノックスの十戒など)」をことごとく破り、タブーに挑んだこの本を書くことが出来ない。

本格ミステリを徹底的に茶化した『名探偵の掟』とは打って変わって、『名探偵の呪縛』ではユーモア要素が抑えられシリアスな雰囲気となっている。『名探偵の掟』が本格ミステリへの愛情を表現しているのに対し、『名探偵の呪縛』では本格ミステリとの決別がテーマだ。

 

 

本格推理小説という概念がない街で起こる殺人事件

 『名探偵の呪縛』の主人公は図書館を訪れていたが、いつの何か別世界に迷い込んでしまう。そして主人公は、いつの間にか探偵天下一になっていた。その街で主人公は次々に不可解な寺家に巻き込まれる。その事件は本格ミステリにありがちな密室や不可能犯罪要素があった。しかし、主人公が迷い込んだ街には「本格推理」という概念が存在しなかった。この街にかけられた呪いやこの街を作った者の正体を巡って話が進んでいく。

この作品の主人公には、推理小説家としての東野圭吾が投影されている。主人公が迷い込んだ街を想像したのは主人公そのもの(東野圭吾)であり、街はもともと本格推理小説の世界だった。しかし、主人公(東野圭吾)はこの世界の探偵・天下一を殺し、本格推理を封印した。これこそがこの街にかけられた呪いだ。

主人公を通じて東野圭吾はこう語っている。

 

「ここはもう僕には合わない世界だということだ。隔離された空間、人工的な設定、そしてチェスの駒としての登場人物たち。それらが僕の肌に合わなくなっている」

 

人工的な設定・チェスの駒としての登場人物たちというのは本格ミステリのことだ。ここで東野圭吾は本格ミステリからの決別を宣言している。またこんなことも書いている。

 

「リアリティ、現代感覚、社会性。この三本柱を大切にしたいですね。でないと、これから推理小説界を生き残っていけません。トリックや犯人当てなんてのはどうでもいいことです」

 

この宣言通り、東野圭吾はリアリティ・現代感覚・社会性を重要視した作品を書き続けていく。だが一方でこんなことも書いている。

 

私は本を閉じ、ついでにも閉じた。いつかまたあの世界を小説に書ければいいなと思った。

 

 

『名探偵の呪縛』出版後の東野圭吾

本格ミステリから離れた東野圭吾は快進撃を見せる。宣言通り、リアリティ・現代感覚・社会性を重要視した作品を書くようになる。

『白夜行』や『秘密』と言った話題作を次々と発表し注目を集めた。だが時には本格ミステリに近い小説も書いている。『容疑者Xの献身』がそうだ。皮肉にも、『容疑者xの献身』は本格ミステリかどうかの論争を引き起こしているのだが。東野圭吾はたまに本格ミステリの世界に戻ってきている。たまにだけど。

 

 

 天下一大五郎シリーズ第三弾『名探偵の使命』は刊行されるか?

現在2作品が刊行されている。かつて存在した著者の公式サイトの中では、第3弾として『名探偵の使命』を予告されていた。しかし、2020年時点でも『名探偵の使命』は発売されていない。一時期講談社の刊行予定作品の中に、天下一シリーズものと思われる東野の作品がアナウンスされていたが、何らかの事情で立ち消えになっている。本格ミステリから離れた東野圭吾がどのような天下一を書くのか気になるところだ。

 

 

 

plutocharon.hatenablog.com