日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

サバの味噌煮というバタフライ・エフェクト

 

「サバの味噌煮」を食べると、人生の頼りなさについて考えてしまう。サバの味噌煮なんてありふれた料理だと思うけど、僕にとっては特別な料理だ。こう思う様になったのは、たぶん、森鴎外の『雁』という小説のせいだ。ドルチェ&ガッバーナの香水みたいなものである。この小説にとって、サバの味噌煮は重要な意味を持つ。サバの味噌煮が、惹かれ合う男女を引き離したからだ。

 

こう書くと、頭に?が浮かぶ人が多いと思うので、森鴎外の『雁』のあらすじと結末について説明する。

 

森鴎外の『雁』という小説はこんなあらすじだ。

 

高利貸しの末造の妾・お玉は医学を学ぶ大学生の岡田に慕情を抱いていた。いつも一人で散歩していた岡田は、散歩コースでお玉の家付近を通るのである。その日、お玉は岡田に胸に秘めたる思いを伝えようと思い、散歩に来る岡田を待っていた。ところが、いつも一人で散歩していた岡田は、その日に限って小説の語り手の「僕」と共に散歩に出ていたのである。彼らは、お玉の家の前を通ったが、岡田が一人ではなかったので、お玉は結局その想いを伝える事が出来なかった。その後、岡田は洋行し、二人ははなればなれになってしまったのである。

 

ではなぜ、その日に限って岡田は「僕」と一緒に散歩していたのだろう?その鍵が「サバの味噌煮」にある。その日の下宿の夕食が偶然、「僕」が嫌いなサバの味噌煮だったのである。そこで「僕」は外でご飯を食べようと、岡田とともに散歩に出た。「サバの味噌煮」を食べなければ、お玉は岡田に思いを伝えることができただろう。そんなタラレバを考えてしまう。昔の文学では、運命と言った様な決定論的なテーマがほとんどなので、『雁』の様に偶然を描いた作品って珍しい。

 

 

 物理学の用語にバタフライ・エフェクトというものがある。バタフライ・エフェクトというのはカオス理論で扱われる現象の寓意的な表現で、力学系の状態にわずかな変化を与えるとそのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象のことだ。ざっくり言うと、些細な変化で結果が大きく異なってしまうということだ。印象的なフレーズで言うと、「クレオパトラの鼻がもっと低かったら歴史は違っていた」みたいなことだ。このバタフライエフェクトを題材にした映画で有名なものには、その名の通り『バタフライ・エフェクト』がある。名作映画だ。

 

些細なことで人生の方向性は変わってしまう。当然といえば当然だけど、案外怖い真実である。だいたいこんなことをサバの味噌煮を食べると考える。こんな記事を書いたのは、今週の昼食にサバの味噌煮を食べたせいだ。

 

 

plutocharon.hatenablog.com