日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

現代版マッチ売りの少女 / 『ミステリアスセッティング』 阿部 和重

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歌を愛し、吟遊詩人を夢見ながらも、唄う能力を欠いた19歳の少女シオリ。
唄うことを禁じられ、心ない者たちにその純粋さを弄ばれても夢を抱き続けるシオリに、運命はさらなる過酷な試練を突き付ける。小型核爆弾だというスーツケースを託され、東京の地下深くにひとり潜ったシオリが起こした奇跡とは?

宝飾技術に「ミステリアスセッティング」と言うものがある。かっこいいネーミングの「ミステリアスセッティング」だが、留め具なしで宝石が台座にくっついている様に見える不思議な接合技術のことを指している。この「ミステリアスセッティング」の様に、一見すると核爆弾とは見えないスーツケースを託された19歳の少女シオリの過酷な運命を描いたのが阿部和重の『ミステリアスセッティング』だ。

 

 

インディヴィジュアル・プロジェクション

インディヴィジュアル・プロジェクション

 

 阿部和重は『シンセミア』や『ピストルズ』で有名な純文学作家だ。『グランドフィナーレ』で芥川賞を受賞している。この『ミステリアスセッティング』は携帯サイトで連載されたものだ。あらすじを読むと「スーツケース型小型爆弾」をめぐる話がメインの様に見えるが、話の大半は主人公シオリの過酷な人生を描いている。さながら「現代版マッチ売りの少女」と言うべき様な悲しい少女の話だ。スーツケース型小型爆弾が登場するのは後半の方で、爆弾が登場するとストーリーが一気に加速する。阿部和重は『インディヴィジュアル・プロジェクション』と言う小説でもプルトニウム爆弾という核爆弾をモチーフに使っていて、このモチーフが好きなのかなと思う。小説の骨格は、「わたし」が昔爺さんから聞いたシオリのストーリーを回顧する形をとっている。吟遊詩人を夢見たシオリの悲しいストーリーは爺さんから語られる。

 

 

 

吟遊詩人を夢見た悲劇の少女・シオリ

「わたし」は昔公園で爺さんから聞いた悲しい少女の話を忘れられずにいた。その悲しい少女のことがシオリだ。シオリは歌を愛し、吟遊詩人を夢見た少女だ。しかし、生まれながらの悲劇とでもいうのか、シオリは歌が好きであるのにかかわらず、とてつもなく音痴だったのだ。シオリが歌い出せば、周りにいる人は顔をしかめたり、意味不明の唸り声にしか聞こえなかったりする。ただ一方で、シオリの泣き声は、とても美しく聴くものを魅了した。シオリにはノゾミという妹がいたが、ノゾミはいつもシオリにきつく当たっている。他にも、シオリは彼氏のスズキくんには金づる扱いされるし、過酷な生活を送っている。シオリの強く言えないところは、高校を卒業した後にもつけ込まれ、バンドの手伝いをすることになった時にはメンバーのツグミに金づる扱いされている。そんな過酷な日々を送るシオリだが、歌が好きだった。シオリは音痴だったので、歌うことを諦め吟遊詩人を目指すことにした。

東京の専門学校に進学し、孤独な日々を送っていたが、メル友のマヌエルとZが心の支えになっていた。マヌエルつながりでバンドに参加することになったが、先ほども書いた様にメンバーのツグミに奴隷の様に扱われる。シオリがこれでもかと過酷な目にあい、読んでいるとどんどん胸が苦しくなった。決して心晴れやかな読書体験ではない。前半では、シオリの恵まれない人間関係が描かれているが、マヌエルがスーツケース型小型核爆弾をシオリに託したところから話は急展開を迎える。

 

 

スーツケース型核爆弾

wired.jp

『ミステリアスセッティング』の冒頭で説明されているが、スーツケース型爆弾というものがあると噂されている。なんとも物騒な話である。マヌエルはポルトガル人と自称していたが、実際はスパイ的な存在であった。シオリをさらに過酷な運命に追い込む様に、マヌエルはスーツケース型核爆弾をシオリに託す。シオリはどうにかして捨てようとするが、どうしても捨てられない。とあることがきっかけで、スーツケース型核爆弾のスイッチが入ってしまい、爆発へのカウントダウンが始まってしまう。シオリはもう一人のメル友・Zに助けを求める。シオリは決意を固め、東京の地下鉄でスーツケース型核爆弾と運命を共にすることを決める。

 

 

爺さんの正体とは?

ここまで語ってきたのがシオリの過酷な人生だが、どうして爺さんは詳細に語ることができたのであろう。それは、爺さんがシオリのメル友のZだからだ。Zはシオリの話をフィクションだと思っていて真面目に取り合っていなかった。最後の最後になって核爆弾の話が本当のことだと知ったのである。分かり合えていると思っていた相手がフィクションとしか捉えていなかったというのは、これまた悲しい話である。シオリがつくづくかわいそうだ。全体的に救いのない話だったけれど、闇が深いほど光が鮮明に見える様に、絶望を描くことによって強い希望が描けるのではないのかなと感じた。

 

 

ミステリアスセッティング (講談社文庫)

ミステリアスセッティング (講談社文庫)

  • 作者:阿部 和重
  • 発売日: 2010/02/13
  • メディア: 文庫