日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

Pretender的な小説を数多く残した夏目漱石


Official髭男dism - Pretender[Official Video]

 

2019年を彩ったヒット曲といえば『Pretender』だろう。映画主題歌となったこの曲は、ストリーミングサービスなどでブレイクし、広く聞かれる楽曲となった。切ない恋愛を綴る歌詞とボーカル藤原聡の圧倒的な歌唱力に魅了された人は多いはずだ。

『Pretender』の歌詞はサビに象徴されるように、ハッピーなラブソングではない。

 

君の運命の人は僕じゃない

辛いけど否めない でも離れ難いのさ

 

悲痛な叫びが込められている。歌詞を読んでいるとジェンダーを特定できる要素は少ないのだが、 サビに「僕」とあるのでおそらく男性視点だろう。まあボーカルが男性というのもあるので、歌詞の主人公は男として読んでしまうのもあるが。

 

恋している相手は誰だろうか?「君の運命の人は僕じゃない」と言うぐらいなので、両思いではなく片思いであることは間違いない。

『Pretender』の歌詞の特徴だけれど、「君は綺麗だ」と言うフレーズのようにジェンダー的にニュートラルな表現を使っている。そのため、歌詞の主人公の男性が恋い焦がれている相手は女性かもしれないし、男性かもしれない。むしろ異性愛よりも同性愛として読んだ方が、歌詞が帯びている切実さや絶望さにマッチしているように思える。今の時代性に即した歌詞だなと思う。ここら辺のクィア・リーディング的な話は下記の記事にとても丁寧に説明されているので是非読んで見て欲しい。

 

gendai.ismedia.jp

 

今回は異性愛の視点で見てみることにする。

 

もっと違う設定で もっと違う関係で
出会える世界線 選べたらよかった
もっと違う性格で もっと違う価値観で
愛を伝えられたらいいな そう願っても無駄だから

 

サビのフレーズのように、視点人物の「僕」は、「君」と友達以上恋人未満の関係にあるように思える。ここで「もっと違う設定で もっと違う関係で 出会える設定 選べたらよかった」と言うフレーズに引っかかる。単純な片思いであれば、ここまで根源的に悩むことはないように思える。「僕」は「君」に思い焦がれているが「君」は別の人が好きといった三角関係ではないかと僕は解釈した。あるいは「僕」と「君」はセフレの関係で、「僕」は「君」のことが好きだが「君」は「僕」を恋愛対象とは思っていないとか。

そう考えてみると、「それじゃ僕にとって君は何?/答えは分からない/分かりたくもないのさ」と言うフレーズに迫力が出てくる。

解釈は人それぞれだと思うが、この『Pretender』には普通の片思いに収まらないような深刻さがある。この感じは夏目漱石の小説に通じるものがあるのではないかと思うのだ。

 

 

悲恋小説を数多く残した夏目漱石

夏目漱石といえばどんな小説を思い浮かべるだろう?高校の国語の教科書にも収録されていることもあり『こころ』を思い浮かべる人が多いのではないかと思う。

『こころ』は三角関係を描いた悲恋小説の傑作だ。『こころ』で描かれる悲恋は相当深刻だ。夏目漱石は『こころ』のように三角関係や不倫、略奪愛など一筋縄ではない悲恋小説を数多く残した。

 

『Pretender』の歌詞を借りれば、君の運命の人は僕じゃない的な深刻さを抱えた悲恋小説だ。共通しているのは、「恋人」が「正しい相手」ではなく「間違った相手」であったと言う構造だ。

 

文学研究者の石原千秋は「誤配」と言うキーワードで夏目漱石の小説を解説している。

「誤配」とは文字通り「正しい宛先」ではなく、「間違った相手」に届けられるということだ。作品ごとに登場人物の関係性を見ていこう。

『三四郎』では主人公・三四郎がヒロインの美禰子に思い焦がれているが、美禰子は三四郎には釣り合わない存在だ。三四郎は美禰子に「誤配」されている。「Pretender」的にいえば君の運命の人は僕じゃないと言うことだ。

『それから』では代助は友人に三千代を紹介して結婚させたが、代助は略奪愛によって三千代を奪いとった。三千代の宛先が間違っていたのだ。こんな風に、夏目漱石の小説では男女の「誤配」が物語のモチーフになっている。君の運命の人は僕じゃないと言う絶望が小説の根底にあるような気がするのだ。

 

それもあってか、『Pretender』を聞くとたまに夏目漱石の小説の登場人物を思い浮かべてしまうのだ。

 

 

 

plutocharon.hatenablog.com