日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

意外すぎる?村上春樹が芥川賞を受賞していないことについて

現代日本文学を代表する作家・村上春樹。その人気は日本にとどまらず、世界中で広く読まれ愛されている。

それもあってか、ノーベル賞が発表される時期になると、「ノーベル文学賞最有力候補」ともてはやされている。まあ、ノーベル文学賞の候補は公表されていないので、本当に候補になっているのか分からないのだが。やれやれ。

ノーベル文学賞の受賞が近いと言われている村上春樹だが、実は芥川賞を受賞していない。

意外だと思われる人が多いのではないかと思う。村上春樹は純文学系の作品を中心に書いてきているので、純文学を対象にする芥川賞を村上春樹が受賞するのはあり得ることだ。村上春樹は芥川賞に2回ノミネートされたが、受賞することがなかった。

なんなら、日本を代表する純文学作家に芥川賞を与えられなかったというのは芥川賞にも問題があると言っても過言ではない。

この記事では、なぜ村上春樹に芥川賞が与えられなかったのかについて書きたい。

 

 

芥川賞とはどんな文学賞?

まず、芥川賞について簡単に説明する。芥川龍之介賞、通称芥川賞は、新人作家の純文学作品に与えられる文学賞だ。文学賞の中で一番知名度がある賞じゃないだろうか。他の文学賞と違って、一年に2回実施されている。

純文学というと定義が難しいのだけれど、芥川賞に限っていえば、「文學界」・「新潮」・「群像」・「すばる」・「文藝」の五大文芸誌に掲載された作品が候補の対象となる。候補の作品となる小説の長さは中編程度が多い。

三島由紀夫賞」と「野間文藝新人賞」とならんで、三大純文学新人賞と言われている。純文学の新人にとっては登竜門的な賞だ。

 

 

村上春樹は過去に二回芥川賞の候補になった

新人に対して与えられる芥川賞だが、村上春樹はデビューしてから2回候補にあげられている。候補になった作品というのが、デビュー作の『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』だ。

今では世界的な作家となっている村上春樹だが、デビュー当時の文壇の反応は賛否が分かれていた。村上春樹は、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビューした。この時の群像文學新人賞の選考委員は佐々木基一、佐多稲子、島尾敏雄、丸谷才一、吉行淳之介だ。この中では、丸谷才一吉行淳之介からは高い評価を受けた。

しかし講談社の内部では「こんなちゃらちゃらした小説は文学じゃない」という声があり、出版部長にも受け入れられなかったみたいだ。

デビュー作の『風の歌を聴け』は第81回芥川賞候補作品に選ばれたが、そこでは否定的な反応の方が多かった。

まず村上春樹を肯定的に捉えていた丸谷才一吉行淳之介の選評*1から。

 

「村上春樹さんの『風の歌を聴け』は、アメリカ小説の影響を受けながら自分の個性を示さうとしてゐます。もしこれが単なる模倣なら、文章の流れ方がこんなふうに淀みのない調子ではゆかないでせう。それに、作品の柄がわりあひ大きいやうに思ふ」(丸谷才一)

 

「しいてといわれれば、村上春樹氏のもので、これが群像新人賞に当選したとき、私は選者の一人であった。しかし、芥川賞というのは新人をもみくちゃにする賞で、それでもかまわないと送り出してもよいだけの力は、この作品にはない。この作品の持味は素材が十年間の醱酵の上に立っているところで、もう一作読まないと、心細い」(吉行淳之介)

 

一方で村上春樹に否定的だった選考委員のコメントを見てみよう。滝井孝作は 「翻訳小説の読み過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作」という辛辣なコメントを残している。このように否定多数で『風の歌を聴け』は芥川賞を受賞するに至らなかった。

 

その後、『1973年のピンボール』で第83回芥川賞候補になるのだが、選考委員を味方につけることが出来なかった。まずは、吉行淳之介の好意的な選評を見てみよう。

「おもしろかった。」「この時代に生きる二十四歳の青年の感性と知性がよく描かれていた。」「双子の存在感をわざと稀薄にして描いているところなど、長い枚数を退屈せずに読んだ。」 (吉行淳之介)

 

一方で、井上靖の辛辣な選評を見てみよう。

「新しい文学の分野を拓こうという意図の見える唯一の作品で、部分的にはうまいところもあれば、新鮮なものも感じさせられるが、しかし、総体的に見て、感性がから廻りしているところが多く、書けているとは言えない。」  (井上靖)

 

結局、村上春樹は『1973年のピンボール』でも芥川賞を受賞できなかった。

次回作の『羊をめぐる冒険』から村上春樹は長編小説を中心的に書くようになり、芥川賞候補になることはなかった。芥川賞は中短編の小説を対象とする賞だからである。

芥川賞とは純文学における新人賞なので、村上春樹が中編小説を描いても受賞することはないのだ。村上春樹が世界的な作家となったこともあり、村上春樹を評価できなかった芥川賞が批判の的になることもある。村上春樹に限らず、島田雅彦など芥川賞は取りこぼしが多い。

村上春樹は『職業としての小説家』で芥川賞に関して以下のように書いている。

 

二度候補になり、二度落選したあとで、まわりの編集者たちから「これでもう村上さんはアガリです。この先、芥川賞の候補にはなることはないでしょう」と言われて、「アガリって、なんだか変なものだな」と思ったのを覚えています。芥川賞というのは基本的に新人に与えられるものなので、ある時期がくると候補リストから外されるようです。(『職業としての小説家』)

 

芥川賞に評価されなかった村上春樹だが、それ以外の賞にも評価されなかった訳ではない。文学賞のなかで一番有名な賞は芥川賞だと思うが、芥川賞は新人賞であり一番権威のある賞ではないと思う。村上春樹はベテランが受賞するような大きな賞をどんどん受賞していく。

 

 

野間新人文学賞、谷崎潤一郎賞、読売文学賞を受賞、人気作家へ

『1973年のピンボール』の次回作、『羊をめぐる冒険』で村上春樹は野間新人文学賞を受賞する。野間新人文学賞とは、芥川賞と同様の新人向けの賞である。この賞は、長編小説も対象となっているので受賞できたのだ。野間新人文学賞は、芥川賞が取りこぼした才能ある作家を拾い上げる補完的な文学賞の印象がある。個人的には芥川賞受賞作よりも、野間新人文学賞受賞作品の方が面白い印象がある。

 

その後、村上春樹は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という小説で谷崎潤一郎賞を受賞する。この賞はどちらかというと中堅・ベテラン向けの賞で、時代を代表する優れた文学作品に贈られる文学賞だ。

 

また、リアリズムで描かれた恋愛小説『ノルウェイの森』はベストセラーとなり、村上春樹は一躍人気作家となる。

 

ねじまき鳥クロニクル』で読売文学賞も受賞している。この作品は海外でも評価が高い作品だ。

芥川賞は取らなかったが、その他の有名な賞は大体受賞しているのである。

 

 

文壇を批評した「とんがり焼の盛衰」

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また、村上春樹は文壇を批評したような作品を書いている。それは「とんがり焼の盛衰」という短編小説だ。

村上春樹は『とんがり焼の盛衰』について、以下のようなコメントを短編集『めくらやなぎと眠る女』の前書きに寄せている。

 

『とんがり焼の盛衰』は、一見してわかるように、小説家としてデビューしたときに、文壇(literary world)に対して抱いた印象をそのまま寓話化したものである

 

 このコメントを読むと、『とんがり焼きの盛衰』には文壇批評が込められていることが分かる。ちょっと脱線するが、『とんがり焼きの盛衰』についてみてみよう。

 

タイトルにある「とんがり焼」だが、意味するのは純文学ではないかと考えられる。そして「新製品募集」とは純文学の公募新人賞のことではないか(芥川賞でも解釈できる?)。「とんがり焼」に対するコメントを本文から引用してみる。

 

今の若い人間がこんなものを好んで食べるとはとても思えない。でも説明会に来ていたのは僕と同じくらいか、もっと年下の若い人ばかりだった。

 

読書離れが進む中、純文学は今の若者が読むようなジャンルではなくなりつつあると思う。文学好きの一部の人は読むだろうが、若者全体で見ると文学からどんどん離れているだろう。けれども、純文学作家を志すのは若者だ。

 

長い歴史を誇る国民名菓とんがり焼もそれぞれの時代に即した新しい血を入れて弁証法的に発展していかねばならないとかいった明だ。そういうと聞こえはいいが、要するにとんがり焼の味が古くさくなって売上げが落ちてきたので若い人のアイデアが欲しいということである。それならそうとはっきり言えばいいのだ。

 

純文学の公募新人賞(新潮・群像・文學界・文藝・すばるの五代文芸誌の新人賞)の募集要項にも「本賞が待ち望むのは、文芸の新たな可能性を拓く未知の才能の劇的な登場です。」みたいなことがよく書いてある。それに純文学雑誌の売り上げも年々低下しているのだ。

 

主人公が受けた「新とんがり焼」の評価のところについて見てみよう。

 

「あなたの応募された新とんがり焼は社内でもなかなか好評であります」と専務が言った。

「なかでも、あー、若い層に評判がよろしい」

「それはどうも」と僕は言った。

「しかし一方でですな、んー、年配のものの中には、これではとんがり焼ではないと申すものもおりましてですな、ま、甲論乙駁という状況でありますな」

「はあ」と僕は言った。

いったい何が言いたいのかさっぱりわからない。

 

村上春樹自身もデビューした時は、アメリカ文学からの影響を指摘され「翻訳小説の読み過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作」などと文壇からは否定的な見方をされていた。

村上春樹はいわゆる文壇とは距離を取っている。作家は賞を取ったりとベテランになると芥川賞や公募新人賞の審査員になることが普通だ。しかし村上春樹はそういった選考委員になることはなく、黙々と創作活動を続けている。文壇に対する村上春樹のスタンスを考えると『とんがり焼の盛衰』の最後あたりの文章は文壇を揶揄しているようにしか読めない。

 

僕は自分の食べたいものだけを作って、自分で食べる。鴉なんかお互いにつつきあって死んでしまえばいいんだ。

今も村上春樹は、文壇から距離を置いて「自分の食べたいもの」を書き続けている。

 

 

世界で評価された村上春樹

村上春樹は世界中で読まれていることもあり、国際的な文学賞を数多く受賞している。2006年にはアイルランドの「フランク・オコナー国際短編賞」とチェコの「フランツ・カフカ賞」を受賞している。フランツ・カフカの名を冠したこの文学賞を受賞した作家はノーベル文学賞も受賞していることが多い。2004年のカフカ賞受賞者エルフリーデ・イェリネクと2005年のカフカ賞受賞者ハロルド・ピンターは、両名ともいずれも同年にノーベル文学賞を受賞したのである。このこともあり、フランツカフカ賞を受賞した村上春樹に「ノーベル賞受賞するか」と注目が集まったのである。

村上春樹はその後もイスラエルの「エルサレム賞」やデンマークの「アンデルセン文学賞」、「カタルーニャ国際賞」など、海外の賞を複数受賞している。特に、受賞することに政治的な批判があった「エルサレム賞」での受賞スピーチのエピソードは有名である。村上春樹は「壁と卵」という素晴らしいスピーチをエルサレム賞受賞式で披露している。このスピーチは『村上春樹 雑文集』に収録されている。

そう、村上春樹は世界で評価されているのである。

 

 

文学賞について村上春樹自身はどう思っているのか?

最近では、ノーベル文学賞候補とよく騒がれている村上春樹だが、本人は文学賞についてどう思っているのだろうか。そのヒントが、『職業としての小説家』という本に書いてある。この本で村上春樹は芥川賞を例に作家と文学賞の関係性を語っている(第三回 文学賞について)。村上春樹の言葉を直接引用してみよう。

 

あらためて言うまでもありませんが、後世に残るのは作品であり、賞ではありません。二年前の芥川賞の受賞作を覚えている人も、三年前のノーベル文学賞の受賞者を覚えている人も、世間にはおそらくそれほど多くはいないはずです。あなたは覚えていますか?しかしひとつの作品が真に優れていれば、しかるべき時の試練を経て、人はいつまでもその作品を記憶にとどめます。アーネスト・ヘミングウェイがノーベル文学賞をとったかどうか(とりました)、ホルヘ・ルイス・ボルヘスがノーベル文学賞をとったかどうか(とったっけ?)、そんなことをいったい誰が気にするでしょう?文学賞は特定の作品に脚光をあてることはできるけれど、その作品に生命を吹き込むことまではできません。いちいち断るまでもないことですが。

 

後世に残るのは文学賞ではない、作品そのものなのだ。また村上春樹はこうも語っている。

 

僕がここでいちばん言いたかったのは、作家にとって何よりも大事なのは「個人資格」なのだということです。賞はあくまでその資格を側面から支える役を果たすべきであって、作家がおこなってきた作業の成果でもなければ、褒賞でもありません。ましてや結論なんかじゃない。ある賞がその資格を何らかのかたちで補強してくれるのなら、それはその作家にとって「良き賞」ということになるでしょうし、そうでなければ、あるいはかえって邪魔になり、面倒のタネになるようであれば、それは残念ながら「良き賞」とは言えない、ということです。

 

文学賞を取っても取らなくても作品の価値が変わるわけではない。

村上春樹の小説が唯一無二で面白いものであることに変わりはないのだから。

 

最後に初心者にもおすすめな村上春樹作品を紹介したい。村上春樹を読んだことがない人もぜひ村上ワールドを体験してみてほしいなと思う。

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