日々の栞

生活にカルチャーを。本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

ミステリ小説のフェアプレー精神!ノックスの十戒とは?

推理小説の世界には、読者への挑戦状ともいえる独特の構造が存在します。 作家は、読者に謎を解くための手がかりをすべて提示し、読者はその情報をもとに探偵と推理を競い合う、いわばゲームのようなものです。このゲームを成立させるための暗黙の了解、それが推理小説におけるルールです。その代表的なものが「ノックスの十戒」と「ヴァン・ダインの二十則」です。 今回は、ロナルド・ノックスが提唱した「ノックスの十戒」に焦点を当て、その内容と影響、そして現代における意義について詳しく解説していきます。  

 
 
 
 

ノックスの十戒とは?
「ノックスの十戒」は、イギリスの推理作家ロナルド・ノックスが1928年に、ヘンリー・ハリントンと共編したアンソロジー『THE BEST DETECTIVE STORIES OF THE YEAR 1928』の序文で発表した、推理小説を書く上での10個のルールです。 本格ミステリーの黄金時代ともいえる1920年代、アガサ・クリスティやエラリー・クイーンといった巨匠が登場し、数多くの作品が世に出されました。しかし、中には読者を欺くような不当なトリックや、納得のいかない展開の作品も存在していました。こうした状況を憂慮したノックスは、「十戒」を定めることで、作家と読者の双方にとってフェアプレーな推理小説のあり方を提示したのです。 ちなみに、アメリカの作家S・S・ヴァン=ダインも同年に「ヴァン・ダインの二十則」を発表しており、 これら2つのルールは推理小説の基本指針として、今日まで多くの作家に影響を与え続けています。  

 
 
 

十戒の内容
「ノックスの十戒」は以下の通りです。  

 
 
 

戒律
内容
1
犯人は物語の当初に登場していなければならない。ただしその心の動きが読者に読みとれている人物であってはならない。
2
探偵方法に、超自然能力を用いてはならない。
3
犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない。
4
未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない。
5
主要人物として「中国人」を登場させてはならない。
6
探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない。
7
変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない。
8
探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない。
9
サイドキックは、自分の判断を全て読者に知らせねばならない。また、その知能は、一般読者よりもごくわずかに低くなければならない。
10
双子・一人二役は、予め読者に知らされなければならない。
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これらの戒律は、読者に謎を解くための公平な機会を与えることを目的としています。

各戒律の詳細と影響
1. 犯人の登場
第一戒は、犯人が物語の初期に登場し、読者がその人物に注目できる機会を与えるべきだと述べています。 登場人物全員が容疑者となりうるミステリーにおいて、犯人が物語の終盤で突然登場するような展開は、読者への裏切り行為とみなされます。  

 
 

2. 超自然能力の禁止
第二戒は、超自然能力や魔術といった非論理的な要素を排除することで、推理小説を論理的な謎解きのゲームとして確立することを目指しています。 現代のミステリーにおいても、この戒律は広く守られており、SFミステリーのような例外を除いて、超自然的な要素はほとんど見られません。 例えば、綾辻行人氏の『十角館の殺人』では、館に閉じ込められた人々が次々と殺害される事件が発生しますが、そのトリックはすべて論理的なものであり、超自然的な力は一切介在しません。  

 
 
 

3. 秘密の抜け穴・通路
第三戒は、犯行現場に秘密の抜け穴や通路を複数設けることを禁じています。 これは、複雑すぎる構造や仕掛けによって読者を混乱させ、フェアな推理を妨げる可能性があるためです。 例えば、江戸川乱歩の『孤島の鬼』では、孤島という閉鎖空間が舞台となりますが、秘密の抜け穴などは存在せず、限られた空間と登場人物の中で事件が展開されます。  

 
 

4. 未発見の毒薬・機械の禁止
第四戒は、未発見の毒薬や難解な機械といった、読者にとって未知の要素をトリックに用いることを禁じています。 読者が理解できない情報に基づいた解決は、フェアプレーの精神に反するためです。 例えば、横溝正史の『犬神家の一族』では、遺産相続を巡る殺人事件が発生しますが、トリックには毒薬や機械は使われず、人間の心理や行動を巧みに利用したものが中心となっています。  

 
 

5. 中国人の登場
第五戒は、当時の西洋社会における東洋人に対する偏見に基づいたものであり、現代においては批判の対象となっています。 ノックス自身も、この戒律は冗談半分に書いたと述べており、 現代の作家はこの戒律を無視することが一般的です。 本来は「中国人」ではなく、「謎めいた外国人」と解釈するべきであり、 読者を欺くためにステレオタイプ的なイメージを利用することを戒めたものと考えられます。  

 
 

6. 偶然や第六感の禁止
第六戒は、探偵が偶然や第六感によって事件を解決することを禁じています。 論理的な推理に基づかない解決は、読者にとって納得のいくものではないためです。 例えば、シャーロック・ホームズシリーズでは、ホームズは鋭い観察眼と推理力によって事件を解決しますが、偶然や第六感に頼ることはありません。  

 
 

7. 探偵が犯人であることの禁止
第七戒は、探偵自身が犯人であることを禁じています。 これは、読者を欺く行為であり、フェアプレーの精神に反するためです。ただし、変装などによって読者を騙す場合は例外として認められています。  

 
 

8. 未提示の手がかりによる解決の禁止
第八戒は、探偵が読者に提示していない手がかりを用いて事件を解決することを禁じています。 読者に開示されていない情報に基づいた解決は、読者にとって不公平であるためです。  

 
 

9. 探偵の助手の役割
第九戒は、探偵の助手(ワトスン役)の重要性を説いています。 探偵の助手は、読者と同じ目線で事件を体験し、読者の疑問や推理を代弁する役割を担います。 シャーロック・ホームズシリーズのワトソン医師のように、探偵の助手は読者と探偵をつなぐ役割を果たし、物語をより分かりやすく、親しみやすいものにしています。  

 
 

10. 双子・一人二役の制限
第十戒は、双子や変装による一人二役をトリックに用いる場合、事前に読者にその事実を知らせるべきだと述べています。 これは、読者を不当に混乱させることを避けるためです。  

 
 

現代におけるノックスの十戒
「ノックスの十戒」は、発表から約100年が経った現在でも、推理小説の基本的なルールとして一定の影響力を持っています。 しかし、現代の推理小説は多様化しており、「十戒」を厳格に守る作品ばかりではありません。むしろ、「十戒」を意図的に破ったり、逆手に取ったりすることで、新たな表現や驚きを生み出す作品も数多く存在します。 例えば、麻耶雄嵩氏の『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』は、「ノックスの十戒」を含むミステリーのルールをことごとく破ることで、読者の予想を覆す衝撃的な作品となっています。  

 
 
 
 

ノックスの十戒とゲームのシナリオ
少し余談になりますが、「ノックスの十戒」は推理小説だけでなく、テーブルトークRPG(TRPG)のようなゲームのシナリオ作成にも応用できるという興味深い指摘があります。 TRPGでは、ゲームマスターが提示するシナリオに基づいてプレイヤーがキャラクターを操作し、物語を進めていきます。この時、ゲームマスターはプレイヤーに謎を解くための手がかりを公平に提示し、プレイヤーが推理や行動を通じて物語に参加できるよう配慮する必要があります。  

 
 

結論
「ノックスの十戒」は、推理小説の黄金時代に生まれた、作家と読者のためのフェアプレー精神を体現したルールです。 読者に謎を解く喜びを与えるという、推理小説の本質を捉えたルールといえるでしょう。現代においても、その精神は多くの作品に受け継がれており、 作家たちは「十戒」を意識しながら、それぞれの解釈で作品に活かしています。 一方で、現代のミステリーは多様化しており、社会派ミステリーや心理サスペンスなど、「十戒」の枠にとらわれない作品も数多く存在します。 「ノックスの十戒」は、推理小説をより深く理解するための道しるべとして、そして、新たな創作の可能性を探るためのヒントとして、今後も重要な役割を果たしていくでしょう。