日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

傷つくことができなかった男 / 「木野」 村上 春樹

村上春樹の短編集『女のいない男たち』に収録されている小説の中で、僕が一番好きなのが「木野」だ。『女のいない男たち』の中でだけでなく、村上春樹の短編作品の中でもベスト10に入るくらい傑作だと思う。「木野」ってなかなか変わったタイトルだが。

「木野」は短編として完成度が高いのだけれど、長編小説の序章ではないかと思わせるところもある。「ねじまき鳥と火曜日の女たち」が「ねじまき鳥クロニクル」に繋がったように、「木野」も長編に化けそうな気がしてならない。

村上春樹の「木野」は短い中にも、猫や蛇などのメタファーが散りばめられていて、神話的な世界観が広がっている。象徴的なモチーフが散りばめられているから、なかなか内容を読み解くのが難しいのかなと感じる。

この記事では、本文テクストに基づいて、「木野」の考察・謎解きをしていこうと思う。

「木野」という短編は、妻を失った時に傷つけなかった男が自らの傷に向き合うまでの過程を神話的に描いた小説だ。

 

 

 

「女のいない男」、木野

タイトルの木野というのは、この小説の主人公の名前であり、木野が経営するバーの名前でもある。『女のいない男たち』に収録される小説の主人公たちがそうであるように、木野もまた「女のいない男」だ。木野は妻に不倫され、離婚しているのだ。

木野はスポーツ用品を販売する会社に長年勤めていた。しかし、とあることがあって木野は会社を辞めることになる。それは妻の不倫だ。木野は会社の同僚と妻が浮気している現場を目撃してしまう。

 

彼は旅先から直接葛西のマンションに戻り、妻とその男が裸でベッドに入っているのを目にした。彼の家の寝室で、夫婦がいつも寝ているベッドで、二人は重なり合っていた。そこに誤解の入り込む余地はなかった。妻がしゃがみ込むような格好で上になっていたので、ドアを開けた木野は、彼女と顔を合わせることになった。

 

浮気現場を目撃した木野だが、その場で妻に怒ることをせず、逃げ出してしまう。これが全ての発端だ。

 

木野は顔を伏せ、寝室のドアを閉め、一週間分の洗濯物が詰まった旅行バッグを肩にかけたまま家を出て、二度と戻らなかった。そして翌日、会社に退職届を出した。

 

木野は「妻の不倫」という辛い現実に向き合おうとせず、傷付かない楽な方に逃げ出してしまった。妻と向き合おうとせず、仕事をやめて逃げ出してしまったのだ。このシーンに、木野の人間的な弱さが象徴されていると思う。

木野は傷ついた時に自分の痛みに向き合うことができない人間だった。この小説は、木野が「適切な時に傷つけなかった」ことの代償を払う物語でもある。

 

会社を辞めた木野は伯母から店を譲り受けバーを始めることになる。根津美術館の裏手の路地の奥にあるこじんまりとした店だ。店の名前は「木野」になった。

この「木野」という酒場だが、「木野が逃げ込んだ居心地の良い現実」を象徴してるように思える。実際にこういった記述が本文中にある。

 

かろうじて彼にできるのは、そのように奥行きと重みを失った自分の心が、どこかにふらふらと移ろっていかないように、しっかり繋ぎとめておく場所をこしらえておくくらいだった。「木野」という路地の奥の小さな酒場が、その具体的な場所になった。そしてそれは−あくまで結果的にはということだが−奇妙に居心地の良い空間となった。 (p234)

 

妻に裏切られ辛い現実から逃げ込んだ先が、「木野」という奇妙に居心地の良い空間だったのだ。だが、そんな居心地の良い「木野」にはさまざまなものが忍び寄ってくる。邪悪な存在、猫、蛇、そしてカミタだ。

 

 

カミタ、謎の女、蛇

「奇妙に居心地の良い」木野の店には、いろんな人やものが集まってくる。それは良きものでもあるし、悪いものでもある。

まず良きものについて書いていこうと思う。まずは猫だ。それに加えて、坊主頭のカミタという男も木野にとって良い存在だろう。カミタは神田と書く。名前からして神話的な何かのメタファーのように思える。

この神田という人物は、伯母に頼まれて木野のことを見守っているようだ。カミタという男は木野にとっての守り神であったり、正しい道に導く存在であったりする。カミタの正体については小説の後半で、柳の木に関連する存在だと仄めかされている。

 

カミタはひょっとして、なんらかのかたちであの前庭の古い柳の木に結びついているのかもしれない、木野はふとそう思った。あの柳の木が自分を、そして小さな家を保護してくれたのだ。 (p274)

 

後にも書くが、木野はカミタの導きもあって、自分に向き合うことができるようになる。

 

では、逆に悪い存在として描かれているのが二人組の男と、謎の男と女、蛇だ。二人組の男の方はカミタのおかげで追い払うことができた。しかし、謎の女とは「木野」は謎の女と体の関係を持ってしまう。

この出来事と妻との離婚協議がひと段落した時期あたりから、蛇が出現するのだ。作中の中では、蛇は両儀的な存在として描かれている。

 

 

蛇の登場と木野の逃避行

妻との離婚協議が終了した時と謎の女と関係を持った時あたりから、店に異変が起こる。猫がいなくなり、蛇が現れ出したのだ。

この時に、木野は店を捨てて旅に出たほうがいいとカミタに勧められる。できるだけ遠くに行って移動し続けるようにと。

その旅では、カミタは木野に絵葉書を定期的に送るように言いつけた。しかし、木野の近況については絵葉書に書いてはいけないという条件付きだが。

そして、カミタは木野にある言葉を伝える。

 

「深く考える必要のある大事な問題です。答えはなかなか簡単には出てこないでしょうが」

「カミタさんが言うのは、私が何か正しくないことをしたからではなく、正しいことをしなかったから、重大な問題が生じたということなのでしょうか? この店に関して、 あるいは私自身に関して」 (p 262)

 

この言葉が示すように、木野は妻が不倫した時に話し合いをするなどの「正しいこと」をしなかった。現実に向き合わなかった結果、虚な心を抱えて生きる羽目になり、蛇を寄せ付けてしまったのだ。「自分は正しいことをしなかった」という事実に木野は向き合えていなかった。

 

 

傷つくべきときに十分に傷つかなかった木野

カミタの忠告に従い転々と旅を続ける木野だが、世界との結びつきが切れてしまいそうな気持ちに駆られて、叔母に送る絵葉書にメッセージを書いてしまう。

その夜にカミタの部屋に何者かが訪ねてくる。

 

 木野はその訪問が、自分が何より求めてきたことであり、同時に何より恐れてきたものであることをあらためて悟った。そう、両義的であるというのは結局のところ、両極の中間に空洞を抱え込むことなのだ。

 

この何者が何を意味しているのかというと、過去のトラウマや心の傷を意味しているのではないかと思う。

 

「傷ついたんでしょう、少しくらいは?」と妻は彼に尋ねた。「僕もやはり人間だから、傷つくことは傷つく」と木野は答えた。でもそれは本当ではない。少なくとも半分は嘘だ。おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ、と木野は認めた。本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった。痛切なものを引き受けたくなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、その結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることになった。

 

木野は傷つくべき時に傷つくことができなかった。言い換えれば、妻の不倫という現実に向き合えず逃げ出して、自分の感覚を押し殺していた。その結果、虚な心を抱えることになってしまったのだ。

そして、虚な心や「木野」という酒場が蛇に狙われたのだろう。蛇が心臓を隠すために。

 

しかし、最後に木野は自分の心の傷に向き合うことができた。救いのある結末だと思う。

 

木野は深く目を閉じたまま、その肌の温もりを思い、柔らかな厚みを思った。それは彼が長いあいだ忘れていたものだった。ずいぶん長いあいだ彼から隔てられていたものだった。そう、おれは傷ついている、それもとても深く。木野は自らに向かってそう言った。そして涙を流した。その暗く静かな部屋の中で。

 

栞の一行

本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった。痛切なものを引き受けたくなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、その結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることになった。

 

 

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