村上春樹の短編集『女のいない男たち』に収録された「ドライブ・マイ・カー」は、主人公が亡くなった妻の秘密や自分が負ってきた心の傷に向き合う小説だ。濱口竜介監督によって映画化もされ、アカデミー賞国際長編映画賞を受賞するという快挙も成し遂げている。
『女のいない男たち』は、何かしらの理由で女を失ってしまった男たちを描いた、コンセプトアルバムのような短編集だ。この短編集に収録されている、「イエスタディ」、「独立器官」、「木野」では、様々な形で主人公が「女」を失っている。「ドライブ・マイ・カー」はこの短編集が生まれるきっかけともなった小説だ
「ドライブ・マイ・カー」という短編小説では、妻が座っていた助手席に座ることによって家福は妻の喪失に向き合うことになる。この作品も喪失や心の傷からどうやって立ち直るかを描いた小説だ。「ドライブ・マイ・カー」と言うタイトルはビートルズの楽曲名からきているのだろう。
この名作短編を「助手席」、「緑内障」、「演技」、「ワーニャ伯父さん」といったキーワードに着目して読み解き、考察・解説していこうと思う。
家福の孤独な演技
それでは「ドライブ・マイ・カー」のあらすじを見ていこう。
俳優の家福は専属の運転手を探していた。家福は緑内障と飲酒が原因で接触事故を起こしてしまい、免許が停止されてしまったためだ。家福の愛車は黄色のサーブ900コンバーティブルで、その車には妻との思い出が詰まっていた。
家福は特に女性の運転に厳しいのだが、とあるきっかけから渡利みさきという女性にドライバーを任せることになる。家福の目にかなうほど渡利みさきの運転の腕は確かであった。普段乗ることのない助手席で揺られながら家福は亡くなった妻のことを思い出す。
家福の妻は密かに共演者の男と寝ていた。その事実を知ってもなお、家福は知らないふりを演じ続けた。それはまるで終わりのない演技のようであった。
妻の死後、家福は妻の浮気相手の高槻に出会う。何故妻が高槻と寝たのかを探るため、家福は高槻に近づいていった。高槻には自分が浮気を気付いているとバレないように振る舞った。家福はまた演じ続けたのだ。
家福はことの顛末を渡利みさきに話す中で過去の出来事と向き合った。渡利みさきは家福が気づかなかった点を指摘してみせた。
劇中、家福は孤独な演技を続けていた。浮気に気付いていないふりをして妻の前で振る舞い、ある時は高槻の前で浮気に気付いていないふりをして親交を深めた。
家福には見えていない妻の一面があった。それが家福の「緑内障」や「ブラインドスポット」に象徴されている。家福は緑内障で右の隅の方にブラインドスポットがあった。外車であるサーブの座席にあてはめて考えてみると、運転席の家福からみて右側にあるのは助手席に座る妻だ。なので、「緑内障」は妻のことがみれていなかったメタファーとして成立する。
そんな過去の出来事を家福は助手席に座ることで思い出す。
助手席に乗ることで見えてくるもの
家福が渡利みさきが運転するサーブの助手席に乗るようになってから、亡くなった妻のことを考え始める。引用してみよう。
家福は助手席に座っているとき、亡くなった妻のことをよく考えた。 みさきが運転手を務めるようになって以来、なぜか頻繁に妻のことを思い出すようになった。
妻が乗っていた助手席からの視点に立つことによって、自然と妻のことを思い出したのだ。
これがきっかけとなり、家福はみさきに妻が浮気していたことを話す。
チェーホフの『ワーニャ伯父さん』と「ドライブ・マイ・カー」
『ドライブ・マイ・カー』を読み解く鍵の1つが、作中でも登場するチェーホフの『ワーニャ伯父さん』だ。作中では『ワーニャ伯父』となっているけど、一般的には『ワーニャ伯父さん』と呼ぶ方が多いと思うのでこう表記する。
『ワーニャ伯父さん』は、アントン・チェーホフによって書かれた戯曲だ。チェーホフは演劇の新領域を切り開いた劇作家であり、『ワーニャ伯父さん』・『かもめ』・『三姉妹』・『桜の園』はチェーホフの四大戯曲とも呼ばれる。
「ドライブ・マイ・カー」に『ワーニャ伯父さん』を重ね合わせると、家福にワーニャが、みさきにソーニャが重なる。2つの作品の主題があっていると思うのだ。この2つが重なることで、喪失からの再生と人生の肯定が描かれているように思う。
濱口竜介監督によって映画化
「ドライブ・マイ・カー」だが、濱口竜介監督によって映画化されている。原作は「ドライブ・マイ・カー」だけだと思うかもしれないが、実はそうではない。メインの内容は「ドライブ・マイ・カー」だけれども、同じく『女のいない男たち』に収録されている「シェエラザード」と「木野」の内容も映画に組み込まれているのだ。
サーブの色は原作の黄色から赤色に変更されている。
冒頭のシーンの、主人公の妻・家福音がセックスの際に物語を語るというのは「シェエラザード」で描かれた内容だ。また、傷つくべく時にに傷つけなかったという映画のメインテーマは「木野」からきているのではないかなと思っている。
村上春樹の短編作品を3つ組み合わせただけではなく、チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」を劇中に組み込むといった野心的な構成にもなっているのだ。「ドライブ・マイ・カー」のテーマにチェーホフの「ワーニャ伯父さん」が重なることで重装的な物語になっている。
あらすじを簡単に説明すると、舞台俳優・演出家の家福(かふく)が、妻の喪失と残した秘密に苦しみ、演劇の演出やドライバー・渡利みさきとの交流を通じて自己回復していく過程を描いた物語になっている。小説とは設定が一部変更されているのだ。
『ドライブ・マイ・カー』はこれまでに数多くの映画賞にノミネートされ、映画賞を受賞してきた。第74回カンヌ国際映画祭ではコンペティション部門に出品され、日本映画としては史上初となる脚本賞を受賞している。かの有名な三大映画祭のカンヌ映画祭だ。また、ニューヨーク映画批評家協会賞の作品賞もアジア映画では初の受賞となっている。それに加えて、全米映画批評家協会賞やボストン、ロサンゼルスの批評家協会賞、ゴールデングローブ賞と数多くの賞を受賞した。
その勢いのままに、第94回アカデミー賞では、作品賞・監督賞・脚色賞・国際長編映画賞にノミネートされていた。今回受賞となったのは国際長編映画賞だったけど、個人的には脚色賞も取るんじゃないかなと思っていた。「ドライブ・マイ・カー」にチェーホフの『ワーニャ伯父さん』を上手く組み込んだ脚色は端的に言って神だと思う。
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