日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

U-NEXTにはウディ・アレンの映画が意外と多い説

最近、動画配信サービスの比較をしている

最近、無料体験期間を利用して、ネットフリックスやU-NEXTなどのサービスの比較をしている。比較する基準の一つに、ウディ・アレンの映画がどの位観れるかがある。ネットフリックスだと、『マジック・イン・ムーンライト』、『ミッドナイト・イン・パリ』など最新のものしかなかったが、U-NEXTはかなり充実していた。

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マジック・イン・ムーンライト』、『ミッドナイト・イン・パリ』、『それでも恋するバルセロナ』など最近の作品はほとんど揃っている。

 

 

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ハンナとその姉妹』などネットフリックスにはないものも多くあった。

 

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更には、『カイロと紫のバラ』といったTSUTAYAにもあんまりおいていない昔の名作も揃っている。これには結構驚いた。他にもTSUTAYAになくて見ることが出来なかった『おいしい生活』などの映画もあり、素晴らしいラインナップだ。ウディ・アレンに関しては、U-NEXTの品ぞろえは充実している!

 

 

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plutocharon.hatenablog.com

超絶技巧の問題作 / 『黒い仏』 殊能 将之

超絶技巧の問題作

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九世紀、天台僧が唐から持ち帰ろうとした秘法とは。助手の徐彬を連れて石動戯作が調査に行った寺には、顔の削り取られた奇妙な本尊が。指紋ひとつ残されていない部屋で発見された身元不明の死体と黒い数珠。事件はあっという間に石動を巻き込んで恐るべき終局へ。ついにミステリは究極の名探偵を現出せしめた。

 殊能将之といえば、『ハサミ男』が思い浮かぶ。『鏡の中は日曜日』も読んでいたけど、まさか『黒い仏』のような大大大問題作を書いているとは思わなかった。『黒い仏』も大どんでん返しのミステリーだけど、『ハサミ男』や『鏡の中は日曜日』とはベクトルが違う。斜め上すぎるどんでん返しなのだ。怒って壁に叩きつける人と、「凄く面白いものを読んだ」と肯定的に捉える人に大きく分かれそうなミステリーだ。一言で言うと賛否両論の問題作。この本を壁に叩きつけるかどうかは貴方次第

 

この『黒い仏』は殊能将之の石動シリーズの中の一つで、主人公は探偵の石動戯作(石動はいするぎと読む)と助手のアントニオ。『黒い仏』ではアントニオの衝撃としか言いようのない過去が明かされる。『黒い仏』はミステリー作家・クロフツのもじりなのかなと思ってみたり(黒仏=クロフツ!?)。ストーリーは円載の秘宝を巡る謎と、現代で起こる不可解な殺人事件が同時進行で進行していくというものだ。徐々に繋がりが見えてくるのだが、中盤辺りから雲行きが怪しくなってくる...そして衝撃の真相が明かされる。『黒い仏』の最後の一行は色々な意味で衝撃の一行だった。思わず笑ってしまった。途中の日本シリーズネタも、自分自身が野球に詳しくないこともあって面白く読めた。個人的には凄く衝撃的な小説を読めたから満足している。

 

ここから下はネタバレ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本格ミステリの皮を被ったオカルトミステリー

 

論理的な石動の推理は明かされるのだが、実際は犯人は東京から空を飛んで九州に行き、超常現象的な手法で殺人を行っていたのである。もはやミステリというよりかは、オカルト。 助手のアントニオには並外れた(法力もしくは力(リー)と呼ばれている)があり、中国の情報部に追われている身であるという設定だ。『鏡の中は日曜日』を先に読んだけれど、アントニオにそんな片鱗は全く見えなかったぞ!事件解決後は闇の戦いが行われるような感じで終わりとなっている。

 

 

黒い仏と後期クイーン的問題

 最初に読んで思ったのは、この『黒い仏』は後期クイーン的問題にたいする皮肉というか、パロディ的な解答であるように思えた。

後期クイーン的問題とは、ミステリー作家法月倫太郎が指摘した、本格ミステリにみられる問題である。Wikipediaから引用すると、その問題とは

1.作中で探偵が最終的に提示した解決が、本当に真の解決かどうか作中では証明できない

 

2.作中で探偵が神であるかの様に振るまい、登場人物の運命を決定することについての是非

 

 である。この『黒い仏』では、1の問題が扱われているように思える。さらに、1についての解説をWikipediaから引用すると

つまり“推理小説の中”という閉じられた世界の内側では、どんなに緻密に論理を組み立てたとしても、探偵が唯一の真相を確定することはできない。なぜなら、探偵に与えられた手がかりが完全に揃ったものである、あるいはその中に偽の手がかりが混ざっていないという保証ができない、つまり、「探偵の知らない情報が存在する(かもしれない)ことを探偵は察知できない」からである。

作中の探偵石動はまさにこのような状況に陥っているのではないだろうか。石動は劇中で明らかになっている情報から推理を披露した。犯人側から見ると、殺人は超常現象的な手法で行われているので間違っていることは明らかだ。しかし、犯人たちが超常現象的な存在であることを知らない石動や私たち一般人に取っては、論理だった推理になっている。知らない情報がある限り、どんなに論理的に考えても、唯一の結末にたどり着くことはできないのだ。この『黒い仏』の面白いところは、この超常現象的な真実は超能力者以外には明かされず、逆に石動の推理と辻褄が合うように、タイムトラベルして過去の事実を書き換えるというところだ。もう斜め上過ぎて笑ってしまった。

 

 

 

子どもには読ませたくない / 『神様ゲーム』 麻耶 雄嵩

これは子どもに読ませたくない

 

 

神降市で猫殺しがおこるのだが。

 

ここから下はネタバレ

 

 

 

 

結局、父親と母親のどちらが共犯者なのか?

結論から言うと、共犯者は「母親」だ。だって、神様がそう言っているから。神様はすべての事を知っている。だから、神様である鈴木君は間違えるはずがない。鈴木君が話していることは推理ではなく、真実だ。論理的に推論した推理が、真相に一致しないこともあるという、後期クイーン的問題に行きつくのではないのか。

 

 

 

まあ、どちらの説にせよ、主人公にとってはやるせない結末となるけれども。

 

神様ゲーム (講談社文庫)

神様ゲーム (講談社文庫)

 

 

ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール

ほろ苦い一夏の思い出を描いたお洒落ミュージカル映画


映画『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』予告編

 

ラ・ラ・ランド』とも『シング・ストリート』とも違った、お洒落でガーリーなミュージカル映画。この映画を一言で表すと、お洒落!サントラから、衣装、演出、雰囲気に至るまで、センスに満ち溢れている。

ところどころ、1950年代末のフランスで始まった「ヌーヴェルヴァーグ」を思わせる映像で、ファッション共々スタイリッシュ!

 

『コーヒーをめぐる冒険』や『フランシス・ハ』のようにヌーヴェルヴァーグに影響を受けた感じがある。舞台はスコットランドグラスゴーにある街。拒食症で入院中のイヴは、一人ピアノに向かい曲を書いていた。ある日、彼女は、病院を抜け出し向かったライブハウスで、アコースティック・ギターを抱えたジェームズに出会い、さらにジェームズがギターを教えているキャシーとも知り合うようになる。2人の少女と1人の少年はバンドを組み、一緒に音楽を作り始める。

 

 

 とにかくイブのファッションがお洒落!サントラも雰囲気もお洒落!

 拒食症を患い、少しメンヘラ気味で芸術の才能に溢れたサブカル系女子のイブ。この映画の見どころの一つがイブのファッションだ。イブのファッションがお洒落で可愛い!雑誌で例えると、FUDGEやCLUELといった感じのセンスに満ちたファッション。こんな彼女が欲しいな...そして映画を彩る音楽もお洒落だし、雰囲気もお洒落。本当にセンスの塊みたいな映画だな。演出(アイリスアウトとか)や雰囲気がヌーヴェルヴァーグの雰囲気に近いなと見てて思った。

 

ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール 通常版 DVD

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今年は印象派の展覧会が充実している~プーシキン美術館展とビュールレ・コレクション~

 今年は印象派の展覧会が充実している!

 今年はプーシキン美術館展と至上の印象派展ビュールレ・コレクションの展覧会がある。どちらもモネ、ルノワールといった印象派の絵画が充実している。

 

プーシキン美術館展は、フランス絵画コレクションで有名なモスクワのプーシキン美術館から珠玉の風景画が展示される。モネの『草上の昼食』、ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰』やルソーの『馬を襲うジャガー』などの風景画がならぶ。

 

至上の印象派展ビュールレ・コレクションでもドガ、マネ、ルノワールゴッホゴーギャンセザンヌ、モネ、マティスピカソといった豪華な顔ぶれが並ぶ。特に印象派・ポスト印象派の作品は充実していて、絵画史上、最も有名な少女像ともいわれるルノワールの『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』とセザンヌの『赤いチョッキの少年』が来日する。

 

どちらも見に行くのが楽しみだ。

 

 

この世で一番無駄な時間は食器を洗っている時間だと思う。

この世で一番もったいない時間ってなんだろ

貧富の差が広がる現代において、かろうじて平等と言えるのは、一日は24時間しかないということだろうか。時間は誰にとっても平等である。限られた時間をどう使うかが、人生を有意義に過ごすことに直結すると思う。

 

この世で一番無駄な時間は食器を洗っている時間だと思う。食器って洗っても、また明日には使って汚れる運命にある。それを毎日繰り返す。なんだかばからしくなって来ないだろうか。食器を洗っている時間に別の有意義なことが出来るだろう。読書であったり、何なりと。これがつもり重なると大変なことになるのではないのだろうか。だから食洗機を買って時間を節約したいものです。

トラウマに向き合うということ / 「七番目の男」 村上 春樹

「七番目の男」は村上春樹の短編の中でも最高傑作の一つだと思う

 

七番目の男」は『レキシントンの幽霊』に収録された短編で、村上春樹の短編の中でも印象に残る小説だ。「七番目の男」は、別の「鏡」という短編と同じスタイルを踏襲している。そのスタイルというのは、来客たちが自分の体験した怖い話を語り合うというものだ。その怪談を語り合う場で、主人公が七番目に話すから「七番目の男」。「七番目の男」が語りだすのはある台風の日に起こった奇妙な出来事と、その出来事が「七番目の男」の人生に引き起こした波紋。

 

「七番目の男」が語った内容はこんなものだ。

「七番目の男」は子どもの頃、海辺の町に住んでいた。彼にはKという仲の良い友人がいて、兄弟同然の仲だった。Kには障害があったが、絵の才能に溢れていて、コンクールで入賞することもたびたびあった。

彼らの住む町に台風が訪れたのは、ある年の九月のことだった。当然学校は休みで、各々家に閉じこもり、台風が過ぎ去るのを待っていた。突然雨も風も止み、空には青空が広がっていた。台風の目の中に入ったのだ。「七番目の男」は海に向かった。それを見かけたKが外に出てきてついてきた。台風がつくり出した非日常に夢中になる2人だったが、魔の手が忍び寄っていた。津波だ。

男はKに逃げるように叫んだが、Kは一向に気が付かない。男はKを助けようと思うが、それに反して体は逃げていた。Kを置き去りにして。

 

Kは波にさらわれてしまう。再び男の前に津波が姿を現した時、波の中にはKがいた。耳まで口を裂いて、笑っているKが。男は気を失い、それから一週間ほど寝込んでしまう。結局、Kの遺体は見つかることがなかった。

誰も男のことを責めなかったが、男の心には深い傷が残った。その心の傷の疼きに苦しみ、男は故郷を離れて暮らすようになる。あるときKが残した絵がきっかけとなり、男は過去のトラウマに向き合うことになる。そして、過去に向き合い男は救われたように見える。

 

人生には何が起こるか分からない。順風満帆な人生であっても、ちょっとした偶然で歯車が狂ってしまうと、簡単に損なわれてしまう。井戸のような深い穴にはまり込んでしまって、人生が台無しになってしまうこともある。

この『七番目の男』を読んでいると、人生の残酷さや頼りなさが思い浮かんできた。波に関連するけれど、東日本大震災では津波によって多くの命が失われた。壮絶な過去は人を蝕むものだ。この『七番目の男』は過去の苦しみに向き合い、苦しみから自分を解放する物語として読める。時間が過ぎ去っていくことで、どんな壮絶な出来事も「過去」になっていく。男は恐怖から目をそらすことをせずに向き合い乗り越えることが出来た。トラウマから逃げずに向き合い、トラウマを受け止めるということがこの『七番目の男』の主題のように思えた。

 

しかし僕は少し違和感を覚えた。最後の方では、男はKは自分の事を恨んでいなかったと解釈するようになった。

しかしそうだろうか?実際、Kは男のことを恨んでいたかもしれない。この話は男の独白で進行していくので、男は自分にとって都合のいいように過去を解釈しているというふうにも思える。Kからの呪縛から逃れるために、解釈を変えたのか。多かれ少なかれ人は、自己弁護しなければ過去の重みに耐えれないのではないかと考えさせられた。