「七番目の男」は村上春樹の短編の中でも最高傑作の一つだと思う
「七番目の男」は『レキシントンの幽霊』に収録された短編で、村上春樹の短編の中でも印象に残る小説だ。「七番目の男」は、別の「鏡」という短編と同じスタイルを踏襲している。そのスタイルというのは、来客たちが自分の体験した怖い話を語り合うというものだ。その怪談を語り合う場で、主人公が七番目に話すから「七番目の男」。「七番目の男」が語りだすのはある台風の日に起こった奇妙な出来事と、その出来事が「七番目の男」の人生に引き起こした波紋。
「七番目の男」が語った内容はこんなものだ。
「七番目の男」は子どもの頃、海辺の町に住んでいた。彼にはKという仲の良い友人がいて、兄弟同然の仲だった。Kには障害があったが、絵の才能に溢れていて、コンクールで入賞することもたびたびあった。
彼らの住む町に台風が訪れたのは、ある年の九月のことだった。当然学校は休みで、各々家に閉じこもり、台風が過ぎ去るのを待っていた。突然雨も風も止み、空には青空が広がっていた。台風の目の中に入ったのだ。「七番目の男」は海に向かった。それを見かけたKが外に出てきてついてきた。台風がつくり出した非日常に夢中になる2人だったが、魔の手が忍び寄っていた。津波だ。
男はKに逃げるように叫んだが、Kは一向に気が付かない。男はKを助けようと思うが、それに反して体は逃げていた。Kを置き去りにして。
Kは波にさらわれてしまう。再び男の前に津波が姿を現した時、波の中にはKがいた。耳まで口を裂いて、笑っているKが。男は気を失い、それから一週間ほど寝込んでしまう。結局、Kの遺体は見つかることがなかった。
誰も男のことを責めなかったが、男の心には深い傷が残った。その心の傷の疼きに苦しみ、男は故郷を離れて暮らすようになる。あるときKが残した絵がきっかけとなり、男は過去のトラウマに向き合うことになる。そして、過去に向き合い男は救われたように見える。
人生には何が起こるか分からない。順風満帆な人生であっても、ちょっとした偶然で歯車が狂ってしまうと、簡単に損なわれてしまう。井戸のような深い穴にはまり込んでしまって、人生が台無しになってしまうこともある。
この『七番目の男』を読んでいると、人生の残酷さや頼りなさが思い浮かんできた。波に関連するけれど、東日本大震災では津波によって多くの命が失われた。壮絶な過去は人を蝕むものだ。この『七番目の男』は過去の苦しみに向き合い、苦しみから自分を解放する物語として読める。時間が過ぎ去っていくことで、どんな壮絶な出来事も「過去」になっていく。男は恐怖から目をそらすことをせずに向き合い乗り越えることが出来た。トラウマから逃げずに向き合い、トラウマを受け止めるということがこの『七番目の男』の主題のように思えた。
しかし僕は少し違和感を覚えた。最後の方では、男はKは自分の事を恨んでいなかったと解釈するようになった。
しかしそうだろうか?実際、Kは男のことを恨んでいたかもしれない。この話は男の独白で進行していくので、男は自分にとって都合のいいように過去を解釈しているというふうにも思える。Kからの呪縛から逃れるために、解釈を変えたのか。多かれ少なかれ人は、自己弁護しなければ過去の重みに耐えれないのではないかと考えさせられた。