日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

夏目漱石『こころ』の遺書が長すぎる件について

 

夏目漱石こころ』といえば、男女の三角関係を描いた不朽の名作だ。

友情をとるか、恋愛をとるか」という普遍的なテーマを扱った『こころ』は、同じようなことを経験したことがある人なら深く心に刺さるだろう。

高校国語の定番小説なので、大抵の人は読んだことがあるはずだ。

さて、高校の授業などで『こころ』を読んだときに奇妙なことに気付かなかっただろうか?

 

「先生の遺書、長すぎない?」

 

『こころ』という小説の中心は、先生の遺書にあると考えられてきた。

なので、高校国語の教科書でも先生の遺書の一部が抜粋されているのが普通だろう。それにしても遺書部分が長すぎる。

作中には、遺書が四つ折りになって封筒に入っていたと書いてあるが、どう考えても無理がある分量だろう。

これはおそらく夏目漱石のミスだ。

この記事では、あまりにも長すぎる先生の遺書の詳細と、なぜこのようなミスが生まれたのかを解説したい。

 

 

先生の遺書が長すぎる

『こころ』の作中で最初に遺書が登場するのは、兄から先生の遺書を手渡される場面だ。

先生の遺書について、語り手の「私」はこんな風に書いている。

 

私は繊維の強い包み紙を引き掻くように裂き破った。中から出たものは、に引いた罫の中へ行儀よく書いた原稿様のものであった。そうして封じる便宜のために、四つ折に畳まれてあった。私は癖のついた西洋紙を、逆に折り返して読み易いように平たくした。

 

引用部分では、先生の遺書が四つ折に畳まれてあったと書いてある。

先生の遺書の分量だがざっくり計算すると、四百字詰め原稿用紙が三百枚近くもある。

三百枚近い原稿用紙を四つ折りにすることは可能なのだろうか?どう考えてもできるはずがない。

では、なぜこんなことが起きてしまったのだろうか?

その謎を解く鍵は『こころ』という小説の中にはない。実はこれは夏目漱石のミスであり、『こころ』の成立過程に関係がある問題なのだ。

 

 

なぜ先生の遺書が長くなってしまったのか?

『こころ』という小説だが、元々は「朝日新聞」に連載された小説だった。

遺書が長くなってしまった理由は『こころ』の制作過程にある。夏目漱石『こころ』の次に小説の連載を依頼していた志賀直哉が連載を断ってきたのだ。その為、志賀直哉の代わりが見つかるまで夏目漱石が新聞連載を長く引き伸ばさなければならなくなったのだ。その結果、先生の遺書の部分が長くなってしまった。

では、単行本にする時に四つ折りという記述を削除すれば良かったのだけれど、夏目漱石は手直しをしなかった。その結果、小説内に矛盾が残る結果となってしまったのだ。

なので、結論として先生の遺書が長くなってしまった理由は作者・夏目漱石のミスということになる。

 

 

高校の授業で『こころ』を読んでいる学生は、先生に遺書の矛盾を指摘してみるのはどうだろうか。もしかしたら、先生から「勘のいいガキは嫌いだ」と言われるかもしれない。

 

また、『こころ』の遺書が長すぎる件については石原千秋の著作の中で詳しく説明されている。おすすめの本だ。