日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

文学界を揺るがした「こころ論争」とは?

夏目漱石の『こころ』といえば男女の三角関係を描いた名作小説だ。高校の国語の授業で扱われるので、読んだことがある人が大半なのではないかと思う。

夏目漱石『こころ』だが、その解釈を巡って「こころ」論争と呼ばれる文学論争があったのはご存知だろうか?夏目漱石『こころ』の解釈をめぐって論争が起こったのである。1980年代の出来事である。

『こころ』論争とは、小森陽一石原千秋らのテクスト論派と、三好行雄といった作品論派の間に起きた夏目漱石『こころ』の解釈をめぐる論争である。テクスト論を活用した現代文学理論派と、作品論が中心の守旧派との対立だ。テクスト論派が、「私」は先生の死後にお嬢さんと共に生きているという解釈を提示して論争が始まった。

この記事ではこころ論争の詳細に着いて書きたい。

 

 

「こころ」論争の発端

こころ論争の発端は小森陽一『「こころ」を生成する「心臓(ハート)」』と、石原千秋『「こころ」のオイディプスー反転する語り』という2つの論文だ。この論文が夏目漱石『こころ』の解釈に一石を投じたのである。

この論文は成城大学の『成城国文学』の創刊号に掲載された。大学紀要という目立たないところに掲載された論文だったが、大岡昇平の目に留まり脚光を浴びることになった。

この2つの論文に共通しているのは、作者の意図に着目するのではなく文章そのものに着目して読解するテクスト論を読解に使用しているところだ。また、『こころ』読解においては重要視されてこなかった「私」に着目して論を展開したところにも特徴がある。石原・小森論では「余所々々しい頭文字などはとても使ふ気にならない」 とした先生こそが 親友kを余所々々しい頭文字で呼んだ点に注目している。

テクスト論的な読み方をこころに適用して、「私」は先生の死後、お嬢さんと共に生きている、という論を提唱したのである。

だが、二つの論文が示す解釈はお嬢さんと共に生きるという点では同じだが、読みの枠組みが異なるところがある。以下では二つの論文の詳細な内容についてみていきたい。また関連する読解についても紹介する。

 

 

小森陽一『「こころ」を生成する「心臓(ハート)」』の解釈

この論文で小森は高校国語教育の問題点を指摘するところから始めている。夏目漱石の 『こゝろ』 は「先生と私」 「両親と私」「先生と遺書」の3部からなっているが、高校の現代国語の教科書では、 第三部「先生と遺書」だけが掲載され、その箇所だけに注目した倫理的な読みが強要されていることを指摘した。

小森は第三部だけにフォーカスするのではなく、第一部の内容にも注目した読解を提示した。冒頭の部分で「先生」を「余所余所しい頭文字」などで示したくない、と書いているのに対して、「先生と遺書」では「先生」が、かっての友人を「K」 という頭文字で表していることを問題にした。

小森は、「先生」の、「人間的欠陥」を指摘し、熱いハートを持った「私」と「静」が「共ーにー生きる」という解釈を提示した。ここで注意してほしいのは、「私」と「静」が「共ーにー生きる」だけであって、結婚したかどうかは断定的に書かれていないことだ。
この読みの枠組みは、オイデイプスー的な、父を殺して母と結ばれるという物語である。

小森陽一「こころ」を生成する「心臓(ハート)」だが、ちくま文庫版『こころ』に解説として収録されている。ちくま文庫が1番入手しやすいと思うので是非読んでみてほしい。

 

 

石原千秋「『こゝろ』のオイディプス―反転する語り―」の解釈

石原の論も「私」は先生の死後にお嬢さんと共に生きているという解釈を提示した点では小森論と同じだ。こちらの論文ではそれに加えて、新しいお嬢さん(静)像を提示したのだ。

静と静の母は「K」と「先生」を張り合わせ、「先生」の嫉妬心を煽って、求婚へと持って行かせたという解釈だ。

 

 

秦恒平の解釈

また、作家の秦恒平も小森・石原と同様の解釈を提唱していた。秦は『こころ』の戯曲を手がけた際に、「私」が「静」に求婚するエンディングを加えて完成させている。これは「湖の本」の第一作目として『戯曲 こころ』として刊行されている。秦は定番のこころ解釈において問題となる部分を3点ほどあげている。「私」が死にかけている父親を置き去りにして上京する点「先生」が静を置き去りにして自殺してしまう身勝手さ「先生」から公表するなと言われた遺書が公表されているのはおかしいという点だ。

これに対して秦恒平は、「先生」は「私」に静を託したのであり、「私」は静を救うために東京に駆け付けたと解釈している。そして、「私」は静と結ばれてのち、「先生」の遺書を公表しているのだと結論付けている

 

三好行雄の反論

このテクスト論的な解釈に対して、作品論側の三好行雄は反論の姿勢を見せた。三好は、秦の戯曲が出たあとの『海燕』 に、 秦の解釈に対する疑問として「〈先生〉はコキュか」として書いた。三好は、 秦に反論し、 「確かに、奥さんが先生の悲劇にいたまま、夫婦として生きてきたと考えることのほうが不自然だとはいえる」が、 男だけが愛の倫理を引き受けるというのが漱石の考え方だとした。
激論がくり広げられるかと思いきや、三好行雄は急逝してしまう。これでテクスト論VS作品論の「こころ論争」は幕を閉じてしまったのだ。

 

 

参考文献

『こころ』論争の詳細については小野谷敦の『現代文学論争』を参考にした。