日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

吸血鬼は存在するか? / 「タクシーに乗った吸血鬼」 村上 春樹

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皆さんは吸血鬼の存在を信じるだろうか?しかも吸血鬼がタクシーの運転手だったら?

「タクシーに乗った吸血鬼」という『カンガルー日和』の短編小説は、文字通りタクシーの運転手が吸血鬼だったという話だ。いかにも村上春樹らしい言い回しが随所に散りばめられていて、読んでいて楽しい。

 

 

あらすじは、タクシー(練馬ナンバー)に乗り込んでいた「僕」は渋滞に巻き込まれ、車内にとじこめられていた。「僕」はする事がないので女の子の洋服を脱がせる順序を考えていると、運転手が話しかけてきた。「吸血鬼って本当にいると思います?」そこから禅問答のような会話が始まる。「僕」が吸血鬼の存在を信じないというと、運転手は「幽霊はどうです?信じます?」と問いかける。「僕」は幽霊は信じると回答する。そこから吸血鬼と幽霊の違いの話になるのだが、煙に巻いたような言い合いになる。吸血鬼は「肉体を軸にした価値転換」、幽霊は「肉体的存在に対するアンチ・テーゼ」だと「僕」は回答する。一見するとインテリっぽい言い方だが、要するに実態があるかないかどうかと言ったところだろう。

 

そこから議論が進んで、運転手は「信念というのはもっと崇高なもんです。山があると思えば山がある、山がないと思えば山はない」と言った観念論というか抽象論的な話をした。この話は「神は存在するのか」という話に通じる気がする。だとすると吸血鬼は神のメタファーだったりするのかな。

 

それから話が進み、運転手は吸血鬼の存在を実証できると言った。なぜなら運転手が吸血鬼だからだと。吸血鬼がなぜタクシーの運転手をしているのかという話になるのだが、吸血鬼という観念に囚われたくないからだと運転手は語る。そこから吸血鬼として血を吸うならどの女優がいいかという話になるのだが、女優のチョイスが岸本加世子と真行寺君枝が挙げられていて、時代を感じる。ちなみに血を吸いたくない女優は桃井かおりだそうだ。

 

吸血鬼が意味するのはなんだろうかと考えるが、よくわからない。神のメタファーで、神の存在証明的なことをテーマにしているのかとも思うが、この短編は村上春樹的なナンセンスを楽しむべきものだろう。 

 

皆さんも練馬ナンバーのタクシーには気をつけて下さい。吸血鬼の運転手がいるから。 

 

カンガルー日和 (講談社文庫)

カンガルー日和 (講談社文庫)

  • 作者:村上春樹
  • 発売日: 2018/08/03
  • メディア: Kindle版
 

 栞の一行

信念というのはもっと崇高なもんです。山があると思えば山がある、山がないと思えば山はない