日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

名前をつけて保存?忘れられない恋愛を描いた恋愛小説まとめ

男女間での恋愛に対するスタンスの違いを示す表現として、男性は『名前を付けて保存』、女性は『上書き保存』という言葉がある。

一般論として、女性よりも男性の方が過去の恋愛を引きずりがちなのではないだろうか。

男性にとって忘れられない過去の女性というのは重要な存在で、中には過去の記憶に絡め取られて動けなくなってしまう人もいる。切実な問題なのだ。

あるいは、女性でも忘れられない男性がいるという人もいるかもしれない。

この記事では、恋愛を名前をつけて保存する系男子あるいは女子(少数派かもしれないが)に向けて、忘れられない恋愛を描いた恋愛小説を紹介していく。

 

 

 

秒速5センチメートル / 新海 誠

「桜の花びらの落ちるスピードだよ。秒速5センチメートル」。いつも大切なことを教えてくれた明里、彼女を守ろうとした貴樹。二人の恋心の彷徨を描く劇場アニメーション『秒速5センチメートル』を監督自ら小説化。

忘れられない恋愛を描いた恋愛小説を思い浮かべた時、真っ先に思い浮かんだのが『秒速5センチメートル』だ。忘れられない初恋の呪縛に囚われてしまった男の話だ。

知っている人も多いかと思うが、『秒速5センチメートル』は新海誠のアニメ作品である。新海誠監督は自らノベライズを手掛けており、小説版の『秒速5センチメートル』では、主人公の心理描写が繊細に描かれている。新海誠作品のノベライズの中では、一番おすすめしたい作品だ。

タイトルの「秒速5センチメートル」とは、桜の花びらが落ちるスピードのことを意味している。小学生の貴樹と明里は交流する中で徐々に惹かれ会っていき、恋に落ちる。永遠に続くように思えた初恋だったが、物理的な距離が二人を引き裂いていく。親が転勤族であった二人は、徐々に物理的な距離が開いていった。なんてことのない初恋だったが、貴樹は失われた初恋の呪縛から逃れることが出来きなかった…

時間と距離に引き離されていく貴樹と明里を、リリカルな文章で描いている。どうしても忘れられない初恋がある人が読めばきっと心に染みるはずだ。

 

 

国境の南、太陽の西 / 村上 春樹

今の僕という存在に何らかの意味を見いだそうとするなら、僕は力の及ぶかぎりその作業を続けていかなくてはならないだろう――たぶん。「ジャズを流す上品なバー」を経営する、絵に描いたように幸せな僕の前にかつて好きだった女性が現われて――。

同窓会でかつて好きだった人と再会して再び恋に落ちる。ベタな展開ではあるが、結婚した男女にとって、これほど心が揺らいでしまうことはないかもしれない。

忘れられない恋人と再会し、不倫という道を踏み外した恋に走ってしまう男女を描いたのが村上春樹の『国境の南、太陽の西』だ。村上春樹の中では知名度が低い作品かもしれないが、隠れた名作でもある。

 

 

パイロットフィッシュ / 大崎 善生

かつての恋人から19年ぶりにかかってきた一本の電話。アダルト雑誌の編集長を務める山崎がこれまでに出会い、印象的な言葉を残して去っていった人々を追想しながら、優しさの限りない力を描いた青春小説。

19年前に別れた恋人から突然かかって来た電話から物語が始まるのが、大崎善生『パイロットフィッシュ』だ。

現在と過去を交錯させながら、人生の切なさや恋愛の喪失感を透明感あふれる文体で描いている。

パイロットフィッシュは、かつての恋人や友人との思い出を辿っていく小説でもあり、誰もが持っているであろう忘れられない恋愛を描いた恋愛小説でもある。

タイトルにもなっているパイロットフィッシュとは、熱帯魚を飼う前にバクテリアを増やし適した環境にするために飼う魚のことだ。パイロットフィッシュは、環境を整えるという役割が終われば捨てられてしまうという悲しい運命を背負っている。このタイトルは内容を暗示していて、パイロットフィッシュとなる役割を担った人物が登場する。

この小説にはパイロットフィッシュ以外にも印象的なものが多く登場する。例を挙げると、世界一の透明度を誇るバイカル湖アジアンタムブルーなどだ。印象的な事象と村上春樹のような叙情的な文体が作中のメロウな雰囲気を醸し出している。

作中に印象的な一節がある。「人は、一度巡り合った人と二度と別れることはできない

巡り合った人は自分の心の中に居場所を見つけて存在し続ける。だから忘れられない恋があるのは当然なんだと思わされる小説だ。

 

 

女について / 佐藤 正午

彼女はぼくと同じ18歳だった。初めての女性だった。好きかと尋ねられて頷いた―家族以外の女性についた初めての嘘。嘘を重ねるために他の女性を拾い、途切れ途切れに続いた彼女との関係も、ぼくが街を出ることで終止符が打たれた―。そして長い時を経て、ぼくは再び彼女と出逢った。(「糸切歯」)青春のやるせなさ、ほろ苦さを瑞々しい感性で描く秀作集。

面白さと一般的な知名度が相関していない作家といえば佐藤正午だと思う。実際、かなりの小説好きなら佐藤正午の作品の素晴らしさを知っている人が多いが、ライトな小説読者層には知名度がないように思う。

『女について』は、タイトル通り「女について」の短編集だ。佐藤正午の作品の魅力の一つである会話の洒脱さが満ち溢れている。また、男女の機敏を描くのが非常に上手く、過去の忘れられない恋を描くのが上手い。

この短編集の中でも印象に残っているのは「糸切歯」と「イヤリング」だ。どちらも過去の淡い恋愛を引きずる感傷的な恋愛小説だ。男は恋愛を名前を付けて保存するというけれど、そんな未練たらしい男が主人公になっている。持っていて恥ずかしい未練を小説に変えてしまうのが佐藤正午だ。僕は自分の感傷と折り合いをつけるために、佐藤正午の小説を読んでいるのかもしれない。

佐藤正午の別の小説にはなるが、初恋について印象的な文章がある。「初恋とは、少年が少年時代に経験する恋ではなくて、大人が少年だった頃に経験した恋のことである。」大人が少年だった頃に経験した恋を描くのが上手いのが佐藤正午なのだ。

 

 

真夜中の五分前 / 本多 孝好

少し遅れた時計を好んで使った恋人が、六年前に死んだ。いま、小さな広告代理店に勤める僕の時間は、あの日からずっと五分ズレたままだ。そんな僕の前に突然現れた、一卵性双生児のかすみ。彼女が秘密の恋を打ち明けたとき、現実は思いもよらぬ世界へ僕を押しやった。洒落た語りも魅力的な、side-Aから始まる新感覚の恋愛小説。偶然の出会いが運命の環を廻し、愛の奇蹟を奏で出す。

本多孝好の『真夜中の五分前』は恋人を失った主人公の喪失と再生をミステリー的な要素も絡めて描いた新感覚の小説だ。

恋人を交通事故で失った「僕」は一卵双生児のかすみに出会う。この出会いがきっかけで「僕」は新しい一歩を踏み出すことになるのだが、運命は「僕」を奇妙な世界に運び込んで行く。最後には驚愕のエンディングが待ち受けている。真夜中の5分前というタイトルが非常にオシャレだ。

 

 

ラヴレター / 岩井 俊二

雪山で死んだフィアンセ・樹の三回忌に博子は、彼が中学時代に住んでいた小樽に手紙を出す。天国の彼から? 今は国道になっているはずのその住所から返事がきたことから、奇妙な文通がはじまった。

日本を代表する映画監督・岩井俊二の名作『ラヴレター』を監督本人が小説化。奇妙な文通から始まる、心揺さぶる恋物語だ。

 

 

四月になれば彼女は / 川村 元気 

4月、精神科医の藤代のもとに、初めての恋人・ハルから手紙が届いた。“天空の鏡”ウユニ塩湖からの手紙には、瑞々しい恋の記憶が書かれていた。だが藤代は1年後に結婚を決めていた。愛しているのかわからない恋人・弥生と。失った恋に翻弄される12か月がはじまる

若い時に経験した恋は特別で印象に残っていることが多いと思う。恋愛に対する抗体が出来上がっていない状態だからか、恋愛の熱に心が激しくほだされてしまう。ただ、恋愛に対する抗体が出来てしまうと、昔のように激しい恋はできない。恋愛に対する抗体が出来ていない時の恋が忘れられない恋愛になるのではないかと思う。その恋と比較してしまうと、物足りなさを感じてしまうのではないか。

前置きが長くなったが、川村元気の『四月になれば彼女は』は、失った過去の恋と冷え切った現在の恋との間で葛藤する主人公を描いた恋愛小説だ。なぜ、恋も愛も過ぎ去ってしまうのか。「人を愛するということはどういうことなのか」といった愛に関する哲学について描かれている。

内容的には村上春樹の恋愛小説に近いかもしれない。恋愛をお洒落に描いた恋愛小説だ。

 

 

ボクたちはみんな大人になれなかった / 燃え殻

それは人生でたった一人、ボクが自分より好きになったひとの名前だ。気が付けば親指は友達リクエストを送信していて、90年代の渋谷でふたりぼっち、世界の終わりへのカウントダウンを聴いた日々が甦る。彼女だけがボクのことを認めてくれた。本当に大好きだった。過去と現在をSNSがつなぐ、切なさ新時代の大人泣きラブ・ストーリー。

SNS発信でエモすぎると話題になった恋愛小説が燃え殻の『ボクたちはみんな大人になれなかった』だ。SNSの時代のラブストーリーとあって、元カノにFacebookで友達申請したところから小説は始まる。忘れられない恋を時代性を反映した固有名詞を彩ってエモーショナルに描いた小説だ。

エモさを引き立てているのは、作中に散りばめられた固有名詞だ。日常の描写に固有名詞を使うとエモーショナルな描写ができる。例えば、「ラフォーレ原宿」、「小沢健二」など、その当時の生活を鮮明に想像させる工夫がなされている。

主人公は元カノにFacebookで友達申請しかことがきっかけで、90年代の特別な恋愛を反芻していく。

 

 

明け方の若者たち / カツセ マサヒコ

「私と飲んだ方が、楽しいかもよ笑?」その16文字から始まった、沼のような5年間。
明大前で開かれた退屈な飲み会。そこで出会った彼女に、一瞬で恋をした。世界が彼女で満たされる一方で、社会人になった僕は、“こんなハズじゃなかった人生"に打ちのめされていく。深夜の高円寺の公園と親友だけが、救いだったあの頃。それでも、振り返れば全てが、美しい。人生のマジックアワーを描いた、20代の青春譚。

明け方の若者たち』は、Webライター・文筆家カツセマサヒコの小説だ。こちらも内容がエモーショナルだということでSNSで注目を集めた。

『明け方の若者たち』はカツセマサヒコのデビュー作だが、クリープハイプの尾崎世界観や小説家の村山由佳といった著名人から推薦コメントが寄せられたこともあって話題を集めた。カツセマサヒコは、エモーショナルなツイートで注目を集めているインフルエンサーだ。

同時代に青春を過ごした人なら刺さる音楽などの固有名詞が散りばめられていて、エモーショナルな小説に仕上がっている。自分も読んでいて、23・24歳の頃のマジックアワーのことを思い出していた。読んだ人が自分の青春時代を思い出すような小説でもある。

『明け方の若者たち』では、BUMP OF CHICKENの「ロストマン」やthe pillows「ハイブリッドレインボウ」が作中に登場して、小説を盛り上げる。僕はここら辺の世代なので、選曲といいどハマりした。

この小説では、23・24歳を人生のマジックアワーだと表現している。人生のマジックアワーに起こった恋愛をエモーショナルに描いている。

 

 

1ミリの後悔もない、はずがない / 一木 ケイ

「俺いま、すごくやましい気持」。ふとした瞬間にフラッシュバックしたのは、あの頃の恋。できたての喉仏が美しい桐原との時間は、わたしにとって生きる実感そのものだった。逃げだせない家庭、理不尽な学校、非力な子どもの自分。誰にも言えない絶望を乗り越えられたのは、あの日々があったから。桐原、今、あなたはどうしてる? ――忘れられない恋が閃光のように突き抜ける、究極の恋愛小説。

『1ミリの後悔もない、はずがない』もエモーショナルな恋愛小説として注目を集めた小説だ。

 

 

劇場 / 又吉 直樹 

高校卒業後、大阪から上京し劇団を旗揚げした永田と、大学生の沙希。それぞれ夢を抱いてやってきた東京で出会った。公演は酷評の嵐で劇団員にも見放され、ままならない日々を送る永田にとって、自分の才能を一心に信じてくれる、沙希の笑顔だけが救いだった──。理想と現実の狭間でもがきながら、かけがえのない誰かを思う、不器用な恋の物語。

又吉直樹の『劇場』は、「芸術や表現に人生をかけた若者の青春とその挫折」がテーマになった恋愛小説だ。

又吉直樹は夢を追いかける若者の自意識と焦燥感を生々しく描くのが上手い。自分には特別な才能があるんだと思い込んでいる夢追い人の自意識のこじれや、圧倒的な才能に出会って自分が特別な存在でないことを知ってしまうことの恐れなど、心理描写を残酷までに描写しきってい、引き込まれてしまう。作中で繰り広げられる作品論も鋭くて、なるほどと思わされる。

主人公は売れない劇作家の永田だ。永田は、大阪から上京し劇団を旗揚げしたが、思うように評価されずくすぶっている。そして、もう一人の主人公が大学生の沙希だ。沙希は演劇への夢を抱いて東京にやってきた。『劇場』は永田の演劇への情熱を描いた物語であると同時に、不器用な男の恋の話でもある。

 

 

花束みたいな恋をした / 坂元 裕二

はじまりは、終電だった――東京・明大前駅で終電を逃し偶然に出会った山音 麦と八谷 絹。人生最高の恋をした、奇跡のような5年間を描く、不滅のラブストーリー。

 麦と絹の「花束みたいな恋」の始まりと終わりを描いたのが『花束みたいな恋をした』だ。

この作品は元々映画で、脚本は坂本裕二が書いた。カルチャーをこよなく愛する麦と絹が互いの共通点に惹かれ合い、恋に発展していく様は文化系の人なら一度は憧れたことがあるシチュエーションだろう。

二人の恋を語る上で欠かせないのが、時代を彩ったカルチャーだ。きのこ帝国の「クロノスシタス」や、今村夏子の「ピクニック」など二人の感性を象徴するカルチャーやサブカル要素が散りばめられている。同時代に青春を過ごした人なら、触れたものもあり、懐かしさが込み上げてきただろう。

『花束みたいな恋』は紛れもなく忘れられない恋だろう。

 

 

ちょっと思い出しただけ / 松井 大悟

ひとりぼっちでも、ふたりで抱き合っていても、世界中がパンデミックに直面していても、変わらずやってくる“あの日"――1年前は何をしていたっけ、2年前はどこにいたっけ、3年前は誰と一緒にいたっけ……。ダンサーの照生とタクシードライバーの葉、ふたりが過ごした6年間。永遠を願い輝いていた時を、その後の時間を、切なくもやさしく描きだす。

過去の恋愛をふと思い出す瞬間はないだろうか?元カノ・カレといった場所に行ったら懐かしい思い出が頭をよぎるかもしれない。

そんな過去の恋愛に思いを馳せることを表現したのが『ちょっと思い出しただけ』だ。

 

以上、エモーショナルな恋愛小説のまとめでした。是非是非気になる作品は読んでみて!

 

 

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