ほろ苦いビターエンディングの恋愛映画はいかが?
恋愛映画とかよく見るのだけれど、恋愛を拗らせている僕はハッピーエンドの恋愛映画は好きじゃない。どちらかと言うと叶わぬ恋やすれ違いといったビターエンドの恋愛映画が好きだ。僕は恋愛映画はあまりみなかったのだけれど、大学時代の失恋がきっかけで恋愛小説を読むようになり、ビターエンドの恋愛映画を観るようになった。失恋は人を変える。そしていつの間にか、ハッピーエンドの恋愛映画を観れない体になっていた。恋愛こじらせ男子の誕生である。自分が感傷的な性格なのもあるかもしれないが、ビターエンドの映画はハッピーエンドの映画よりも心に響くと言うか、エモいというか。単に僕が幸せになっていないのに、フィクションの中の主人公が幸せになるのは解せないと言う心理もあるのかも知れない。ああ、こじらせている。恋愛を拗らせるかも知れないあなたに、僕が大学時代に観ていたビターエンドの恋愛映画を紹介しようと思う。
- ほろ苦いビターエンディングの恋愛映画はいかが?
- エターナル・サンシャイン
- アニー・ホール
- (500)日のサマー
- ルビー・スパークス
- ブルーバレンタイン
- ワン・デイ 23年のラブストーリー
- 秒速5センチメートル
エターナル・サンシャイン
恋人同士だったジョエルとクレメンタインは、バレンタインの直前に別れてしまう。そんなある日、ジョエルのもとに不思議な手紙が届く。「クレメンタインはあなたの記憶をすべて消し去りました。今後、彼女の過去について絶対触れないように-」。自分は仲直りしようと思っていたのに、さっさと記憶を消去してしまった彼女にショックを受けるジョエル。彼はその手紙を送り付けてきた、ラクーナ医院の門を叩く・・・
「失恋した時に観たくなる映画ランキング」の個人的1位が『エターナル・サンシャイン』だ。僕がビターエンドの映画を観るきっかけになった映画であり、少なく見積もっても5回ぐらいは観ている。失恋した時、幸せだったときの記憶を思い出しただけで胸が締め付けられるほど辛くなって、記憶を消せたらいいのにと思ったことのある人は割といるんじゃないだろうか。この『エターナル・サンシャイン』はSF的な恋愛映画で、実際に失恋の記憶を消してしまったらどうなるのか?ということを描いた映画だ。一種の思考実験的な恋愛映画だ。恋人同士だったジョエルとクレメンタインはバレンタインの直前に別れてしまう。失恋のショックからか、クレメンタインの方は忘却装置で失恋の記憶を消去してしまう。そのことを知ったジョエルも記憶を消すことを決意するのだが...。
劇中でも引用されているが、ニーチェの言葉にこんなものがある「忘却はよりよき前身を生む」。しかし、本当にそうなのだろうかと『エターナル・サンシャイン』は問いかける。どんなに辛い恋愛だって素晴らしい瞬間や心から愛おしいと思える瞬間があったはずだ。身を引き裂くような辛い経験や、二人で笑いあった日々のどちらもが今の自分を支えている。忘却するのではなく、失恋に向き合うことで前を向くことができる。エンディングをハッピーエンドと捉えるか、バットエンドと捉えるかに個人の恋愛観が表れる と思っている。
アニー・ホール
NYで優雅な独身生活を送っていたナイトクラブの芸人アルビーは歌手志望のアニーと出逢い、“自由な交際"という約束で彼女と付き合い始める。なんとなくうまくいっていた二人だが、人気歌手トニーからハリウッド行きを勧められたアニーは、引きとめるアルビーも虚しく、旅立つ決意を固める……。
『アニー・ホール』はウディ・アレン監督の代表作だ。ウディ・アレンといえばコメディ映画を思い浮かべる人も多いと思うが、『アニー・ホール』はビターな恋愛映画だ。数々の恋愛映画の名作を残してきたウディ・アレンだが、その原点は『アニー・ホール』にあると思っている。この映画は最初から最後まで実験的だ。観客に突然話しかけてきたりするし、アニメーションが入ったり、時系列シャッフルと、様々な技巧が使われている。個性的な演出で描かれているのは男女の出会い、うつろいゆく思い、そして別れだ。ユーモアでシニカルな会話の中にも、恋愛の本質を突いた台詞が散りばめられている。「恋愛はサメと同じだ。前進し続けないと死んでしまう」。最初に観た時よりも、歳を重ねたり、2回3回と観ることで解釈が深まってくる。『アニー・ホール』はほろ苦い恋愛を描いた大人の恋愛映画だ。
(500)日のサマー
運命の恋を夢見る男の子と、真実の愛なんて信じない女の子の、ビタースウィートな500日ストーリーサマーに恋をした、最低で最高の500日。建築家を夢見つつ、グリーティングカード会社で働くトムは、秘書として入社したサマーに一目惚れしてしまう。意気投合し、いいムードになった二人。トムがサマーに「彼氏はいるの?」と聞くと、サマーの答えはノー。恋愛と友情の間に果てしなく広がるグレーゾーン。人を好きになるって、どうしてこんなに楽しくて切ないんだろう。誰もがまた恋したくなる、二人の(500)日がはじまる!
(500)日のサマーは、彼女にフラれて恋愛を拗らせた男子が、元カノへの怨みを込めて勢いで作った感じの恋愛映画だ。勢いで作ったって書いたけれど、作りが雑とかそう言うことではないよ。映画を観て貰えば僕の言いたいことが分かってもらえると思う。失恋した直後に鑑賞することを強く推奨する(特に男子)。小悪魔的な魅力をもつサマーに振り回される主人公に自分を重ねること間違いなし。主人公は運命の恋を信じているが、サマーの方は運命の恋を信じていない。男の方が案外、純粋で運命の恋とか信じちゃうのかも知れない。そして、純粋な男子ほど、最初の恋愛で失敗すると拗らせてしまうような気がする(この話は映画には関係ない)。映画の話に戻ろう。(500)日のサマーでは時系列シャッフルやダンスシーンなどの斬新な演出が使われており、『アニー・ホール』に通じるところがある。この映画のメッセージは、「くよくよしても仕方ないから、次の恋に向けて前向きに頑張ろう」だ。そのメッセージを落語的なオチで教えてくれる。落語的なオチはぜひ映画をみて確かめてほしい。
ルビー・スパークス
天才作家として華々しくデビューしながら、その後、極度のスランプに陥っていたカルヴィン。低迷期を抜けるため、理想の女の子“ルビー・スパークス"を主人公にした小説を書き始めた彼の前に、ふいにあらわれたのは現実のルビーだった! タイプライターを叩いて、思い通りの女の子を作り上げるカルヴィンと、彼の手でますます魅力的になっていくルビー。これ以上無いくらい幸せな日々を過ごす二人だったが、ある日ルビーに異変が起こり――。
失恋系の恋愛映画のいいところの一つは、別れた理由について考えるきっかけになることだ。恋愛映画がシミュレーションのような役割となって、自分の身を振り返ることができる。『ルビー・スパークス』は身勝手すぎるが故に振られた男の話だ。小説家のカルヴィンが小説に書いたルビーが現実に現れることで話が始まる。カルヴィンは、理想の女の子をルビーに投影していく。幸せな日々を過ごす二人だったが…。カルヴィンはどんどんエスカレートしてしまった。男なら、カルヴィンと同じような行動を取ってしまう人が多いんじゃないかな。
ブルーバレンタイン
ディーンとシンディ夫婦は娘との3人暮らし。長年の努力の末に資格を取り、忙しく病院で働く妻シンディ。一方、夫ディーンの仕事は芳しくなく、お互い相手に対して不満を抱えるように…。過去と現在が交錯し、愛の終わりと誕生が重なり合うラブストーリー。
この『ブルーバレンタイン』という映画は非常に殺傷能力が高い映画だ。生半可な気持ちで観ると確実にやられる。失恋直後じゃなくても、心にくるものがある。結婚について考えさせられる映画だ。この映画の殺傷能力が高い点は、付き合い始めの幸せな頃と、関係が冷え切り離婚寸前の現在を交互に描写している点だ。昔は魅力的に感じた性格が、今では別れる原因になっているのが本当に切ない。
ワン・デイ 23年のラブストーリー
真面目でしっかり者のエマと、自由奔放で恋多き男デクスター。はじめて会話を交わした時から魅かれあうものを感じながら、恋人ではなく友達の関係を選んだ2人。エマは心の奥にデクスターへの想いを秘めて、親友として毎年“7月15日”を過ごしていく。それぞれの人生を歩み、すれ違いを繰り返しながらもデクスターを想い続けるエマ。そんなある年の“7月15日”、エマはデクスターから違う相手との結婚を告げられる。そしてさらに積み重なる“7月15日”。運命の日が2人に近づいていた・・・。
『秒速5センチメートル』並みに男女がすれ違う恋愛映画。この映画が面白いところは毎年の7月15日だけを描いているところだ。互いに相手を思いやっているが、すれ違い、二人の関係性は変わっていく。二人はすれ違ってばかりでなかなかくっつかない。互いに別のパートナーを見つけるも、心には満たされない何かがあった。すれ違い続ける二人に待つ結末とは。
秒速5センチメートル
小学校の卒業と同時に離ればなれになった遠野貴樹と篠原明里。二人だけの間に存在していた特別な想いをよそに、時だけが過ぎていった。 そんなある日、大雪の降るなか、ついに貴樹は明里に会いに行く……。 貴樹と明里の再会の日を描いた「桜花抄」、その後の貴樹を別の人物の視点から描いた「コスモナウト」、そして彼らの魂の彷徨を切り取った表題作「秒速5センチメートル」。叙情的に綴られる三本の連作短編アニメーション作品。
僕のバイブル的な恋愛映画『秒速5センチメートル』。もう15回以上観ているかもしれない。『君の名は。』、『天気の子』の新海誠監督が注目を集めるきっかけとなった作品だ。過去の恋愛を引きずり、自己陶酔する主人公を、叙情的な映像と村上春樹的なモノローグで極限まで美しく描いている。