日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

めちゃくちゃ尖っている?!日本のおすすめ前衛文学をまとめてみた

小説の面白さは、ストーリーや文章の面白さだけではなく、新しい表現技法を開拓するところにもある。特に純文学では、前衛文学や実験文学、ポストモダン文学と呼ばれる、今までになかったような表現方法で新しい小説世界を切り開く作品が多くある。

そんな小説の可能性を切り開いてきた日本の前衛文学を紹介したいと思う。日本文学の中でも、ポストモダン文学や前衛文学は数多くあるけれど、今回は主に2000年代に新人三賞を受賞したような若手作家の作品について紹介している。例を挙げると円城塔や青木淳悟、福永信あたりの作家の作品が中心だ。

 

 

 

『Self-Reference ENGINE』 / 円城 塔

現代日本文学で前衛・実験文学といえば真っ先に思いつくのは円城塔だろう。難解なSF、言語論的モチーフ、理系ネタなど色々てんこ盛りなのが円城塔だ。その作風は難解で知られていて、結構内容の意味が分からないことが多い。

Self-Reference ENGINE』は、意味不明な出来事(こめかみに銃弾が埋まってる・床下にフロイトが埋まっているなど)が次々起こる連作短編だ。文章はウィットが利いていて面白いのだけれど内容は頭のネジが取れそうなくらい難しい。意味不明さと面白さが両立しているのが円城塔作品の興味深いところだ。

 

 

『道化師の蝶』 / 円城 塔

円城塔が芥川賞を受賞したのが『道化師の蝶』だ。芥川賞を受賞した作品の中でもベスト3に入るくらい難解で、その難解さは芥川賞の選考委員が音を上げるほどだ。内容としては一種のフィクション論と言ってもいいのだろうか。

 

 

『四十日と四十夜のメルヘン』 / 青木 淳悟

小説に一風変わった試みを導入しているのが青木淳悟だ。青木淳悟のデビュー作である『四十日と四十夜のメルヘン』は、保坂和志から「ピンチョンだ」と激賞されている。あの難解な作品で知られるトマス・ピンチョンである。

『四十日と四十夜のメルヘン』には、「四十日と四十夜のメルヘン」と「クレーターのほとりで」の2作が収録されている。「四十日と四十夜のメルヘン」は時間が円環構造になった小説だ。「クレーターのほとりで」は、人類の歴史や星座の神話、天文学がごちゃ混ぜになった感じで、唯一無二の小説だ。

 

 

『私のいない高校』 / 青木 淳悟

青木淳悟は実験的な試みに挑戦する作家だが、『私のいない高校』はその中でも異色作だ。小説であれば、なんらかしらの主人公が存在する。しかし、青木淳悟の『私のいない高校』はタイトル通り、主人公がいないのだ。小説の概念をぶち壊す問題作を是非読んでみて欲しい。

 

 

『三姉妹とその友達』 / 福永 信

小説の既成概念を壊すようなラジカルな小説を発表しているのが福永信だ。福永信の小説は企みで満ちていて、現代アートっぽいコンセプチュアル的な面白さがある。前衛性だけではなくて、ユーモアにあふれているところも魅力だ。

三姉妹とその友達』は、四兄弟の独白からなる戯曲風の「三姉妹」と、そのノベライズ版の「そのノベライズ」という不思議な構成から成り立った小説だ。そもそも、四兄弟なのに「三姉妹」というのも不思議だが。

 

 

『終の住処』 / 磯崎 憲一郎

磯崎憲一郎の小説は時間や場所をアクロバティックに飛び越えていく。芥川賞を受賞した『終の住処』は、時間の流れをそのまま小説にしたような不思議な小説だ。大晦日になった時に、「今年もあっという間に過ぎ去ったな」って思う現象が人生レベルで起きるような話だ。結婚、子育て、人生のイベントをこなしていくうちに人生はあっという間に過ぎ去ってしまう。不可逆的な時間の残酷性を感じるような小説だ。

 

 

『赤の他人の瓜二つ』 / 磯崎 憲一郎

赤の他人の瓜二つ』は、時間と場所を飛び越えて話が展開していく壮大な小説だ。チョコレート工場で働く男の家族の物語が、いつの間にか時空を超えてチョコレートの世界史の話にすり替わっている。是非その驚くべき技法を体験してみてほしい。

 

 

『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』 / 中原 昌也

中原昌也の小説はとても暴力的だ。『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』は、掌編ぐらいの長さの小説を集めた小説集だ。初めて中原昌也を読むなら本書を特におすすめしたい。

とにかく一つ一つの話が短くて、話が展開する前に唐突に終了する。無意味な暴力や紋切り型の表現が頻出し、内容も支離滅裂だ。けれども、この本がもつブラックユーモアの魅力が原因か、何度でも読み返したくなる不思議な本だ。

カットアップのように前衛的な手法を用いているように思える。それぞれの短編は、イメージが繋がっていくことで進行する。だから、全体のあらすじから見ると支離滅裂だが、イメージが連鎖する流れを読んでいくのは楽しい。ブラックユーモアも冴え渡っていて、癖になってしまう。小説における始まりと終わりの概念を破壊するようなアンチ・クライマックスの小説集をぜひ読んでみてほしい。

 

 

『あらゆる場所に花束が...』 / 中原 昌也

あらゆる場所に花束が…』は三島由紀夫賞を受賞した中原昌也の代表作だ。三島由紀夫賞の選考時では選考委員の一部に猛反発を受けたが、福田和也と島田雅彦からの強い支持を受けて受賞が決まった問題作である。暴力的に短かった『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』とは違って、中編小説だ。だが、脈略のなさや無意味で理不尽な暴力、紋切り型の表現は健在である。

一見すると脈略のない小説に見えるが、一定の規則性に従って反復を繰り返す小説になっている。共通したイメージを繰り返して展開させる手法は、斬新で面白みがある。フランスの文学運動ヌーヴォー・ロマンに通じるものがある。

 

 

『六〇〇〇度の愛』 / 鹿島田 真希

難解な前衛文学の女王であったのが鹿島田真希だ。テーマにはキリスト教が題材になることが多い。

『六○○○度の愛』は長崎を舞台にした、抽象的な恋愛小説だ。アラン・レネ監督の『二十四時間の情事』のオマージュのように感じられる。過去と現在、生と死、混沌としたイメージが8/9の長崎に重なる。また、一人称と三人称が繰り返され、読者も混沌の中に投げ込まれる。死を求めて女は長崎に辿り着き、一人の青年と出会う。死への渇望、六○○○度の長崎、渇いたイメージがつらなる。たが、生の渇望という決定的な点が二人を分かつ。

 

 

『一人の哀しみは世界の終わりに匹敵する』 / 鹿島田 真希

鹿島田真希作品の中でもこの小説がずば抜けて難解だと思う。

 

 

『阿修羅ガール』 / 舞城 王太郎

舞城王太郎はメフィスト賞からデビューし、ミステリや純文学など様々な分野で活躍している作家だ。『阿修羅ガール』は三島由紀夫賞を受賞した作品だ。

 

 

『九十九十九』 / 舞城 王太郎

舞城王太郎といえば、メタフィクションに定評がある。『九十九十九』は複雑な構造を持ったメタフィクションだ。

 

 

『ディスコ探偵水曜日』 / 舞城 王太郎

純文学のフィールドでも活躍している舞城王太郎の問題作が『ディスコ探偵水曜日』だ。この小説も現代版日本三大奇書を選ぶなら間違いなくランクインするだろう。その内容はとにかく破天荒の一言に尽きる。後半にいくにつれて既存の物理法則が破壊され、壮大なスケールの話になっていく。ゼロ年代を代表するメタフィクションの傑作。

 

 

『1000の小説とバックベアード』 / 佐藤 友哉

佐藤友哉もメフィスト賞でデビューし、純文学のフィールドに移行してきた作家だ。『1000の小説とバックベアード』は佐藤友哉の三島由紀夫賞受賞作である。ラノベと純文学のハイブリッドみたいな作品だ。「小説とは何か?」、「何のために小説を書くのか?」ということテーマにしたファンタジーでもある。随所に佐藤友哉らしい言い回しがあり、はまる人にははまる。1000の小説や、バックベアード、片説、図書館などの設定にも心惹かれる。また、最後の場面は、ミイラと化した「日本文学」に対する佐藤友哉の所信表明のように思えた。

 

 

『わたしたちに許された特別な時間の終わり』 / 岡田 利規

岡田利規は『三月の5日間』で知られる劇作家だ。『三月の5日間』は、アメリカ軍がイラク空爆を開始した3月21日を間に挟んだ5日間の若者たちの行動を語る戯曲。この『三月の5日間』は小説化されており、『わたしの場所の複数』という小説とともに『わたしたちに許された特別な時間の終わり』という小説集に収録されている。この小説集は人称と視点の表現に一石を投じた傑作だ。移人称小説の先駆けとなる小説である。ぜひ読んでみてほしい。

 

 

『緑のさる』 / 山下 澄人

緑のさる

山下澄人は劇団「FICTION」を主宰し、『緑のさる』で小説家デビュー。デビュー作の『緑のさる』で野間新人文学賞を受賞し、華々しいデビューを飾った。山下澄人の小説の特徴といえば、実験的な人称・視点の表現だ。2010年代は移人称小説というタイプの小説が流行した。移人称小説とは、三人称多元視点でなくては見えないことを一人称一視点のまま語ったりと、視点と人称に仕掛けがある小説のことだ。山下澄人は、移人称小説を書いている中心的作家だ。その特徴が表れているのが、『緑のさる』だ。