中原昌也は、現代文学の奇才と言ってもいいくらい、尖った小説を書いている小説家だ。
アンチ・クライマックス、無意味な暴力、規則的な反復、紋切り型の表現と普通の小説とは一味違った現代文学を書いていている。今までに、三島由紀夫賞や野間新人文学賞などを受賞しており、純文学のフィールドで評価を受けている。
小説だけでなく、音楽家、映画評論家、イラストレーターなど複数の肩書きを持ち、幅広いジャンルで活躍している。
中原昌也は、紋切り型の文章・陳腐な表現を多用し、掌編ぐらいの長さで唐突に小説を終わらせる。小説の種を発芽させて開花させるのではなく、芽が出始めのところで刈り取るのは暴力的でもある。普通の小説に異議を唱えるアンチロマンの小説だ。
短編集『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』では、短編にも満たないような枚数の小説が、理不尽な暴力や唐突な展開でピリオドを打たれている。
中原昌也の小説の魅力にブラックユーモアがある。人を選ぶかもしれないが、ブラックすぎるユーモアが癖になってしまうのだ。
また、中原昌也の小説はあらすじにまとめるのが困難で、要約されるのを拒んでいるように思える。文章の流れに身を任せて読むような小説だ。物語的に小説を展開させているのではなく、イメージを連想で繋げて話を展開させていく。どんどん話題がズレていくので、脈略がないような印象を受ける。
しかし、ただ脈略がないのではなくて、暴力のイメージや構図が反復されているなど、構造を持った脈略のなさだ。イメージを連鎖させているので、気が尽きた時には全く関係ない話になっていることもしばしば。アランロブグリエの映画のタイトルから拝借すれば、その手法は漸次的横すべり的な小説とでもいうのだろうか。
規則性に基づいた反復性など、中原昌也の文学は「ヌーヴォー・ロマン」 の傍流ではないかと思う。
そんな現代文学の奇才・中原昌也のおすすめ5冊を紹介したい。
マリ&フィフィの虐殺ソングブック
「これを読んだらもう死んでもいい」(清水アリカ)——刊行後、若い世代の圧倒的支持と旧世代の困惑に、世論を二分した、超前衛—アヴァンギャルド—バッド・ドリーム文学の誕生を告げる、話題の作品集。
『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』は、掌編ぐらいの長さの小説を集めた小説集だ。初めて中原昌也を読むなら本書を特におすすめしたい。
とにかく一つ一つの話が短くて、話が展開する前に唐突に終了する。無意味な暴力や紋切り型の表現が頻出し、内容も支離滅裂だ。けれども、この本がもつブラックユーモアの魅力が原因か、何度でも読み返したくなる不思議な本だ。
カットアップのように前衛的な手法を用いているように思える。それぞれの短編は、イメージが繋がっていくことで進行する。だから、全体のあらすじから見ると支離滅裂だが、イメージが連鎖する流れを読んでいくのは楽しい。ブラックユーモアも冴え渡っていて、癖になってしまう。
小説における始まりと終わりの概念を破壊するようなアンチ・クライマックスの小説集をぜひ読んでみてほしい。
あらゆる場所に花束が…
『あらゆる場所に花束が…』は三島由紀夫賞を受賞した中原昌也の代表作だ。三島由紀夫賞の選考時では選考委員の一部に猛反発を受けたが、福田和也と島田雅彦からの強い支持を受けて受賞が決まった問題作である。暴力的に短かった『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』とは違って、中編小説だ。だが、脈略のなさや無意味で理不尽な暴力、紋切り型の表現は健在である。
一見すると脈略のない小説に見えるが、一定の規則性に従って反復を繰り返す小説になっている。共通したイメージを繰り返して展開させる手法は、斬新で面白みがある。フランスの文学運動ヌーヴォー・ロマンに通じるものがある。
名もなき孤児たちの墓
『名もなき孤児たちの墓』は、野間文芸新人賞を受賞した短編・中編集だ。この短編集には中原昌也の小説で唯一芥川賞候補作になった「点滅」が収録されている。三色のランプが付いた銀色の箱が登場する話だ。賛否両論の中原昌也文学をぜひ。
知的生き方教室
『知的生き方教室』は、中原昌也では珍しい長編小説だ。だが、長編小説だからと言ってストーリーらしいストーリーはなく、移ろいゆく文章を楽しむといった感じの小説である。いつも通りの中原節が炸裂している。
パートタイム・デスライフ
『パートタイム・デスライフ』は中原昌也の集大成的な長編?小説だ。?と書いたのは一見すると中心となるストーリーがなく、ストーリー的な各章ごとのつながりがないからだ。だが、前の章で登場したイメージや場面に関連するが登場することで、各章が繋がっている。
パートタイムで働く男の話なのだが、パートタイムの話をしていたと思ったらいつの間にかNHKのビデオテープの話になっていて、それがスクランブル交差点でのサポーターの話、馬の話と全く関係の話に移り変わっていく。
『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』に近いものを感じたが、初期の中原昌也ほどの暴力性はない。少し丸くなったのかなと感じたところだ。けれど、文章が次々に流れていく様はかなり洗練されていて、最初からは想像していなかったところに読者を運んでいく。帯に「中原昌也のマスターピース」と書かれていたが、この言葉に偽りはない。