日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

兄妹の関係性の変化 / 「ファミリー・アフェア」 村上 春樹

ファミリー・アフェア」は村上春樹の短編小説の中でも個人的に大好きな小説だ。僕が「ファミリー・アフェア」が好きな理由は、文章のウィットにある。この小説では、主人公が冗談好きというのもあって、とにかく気の利いた表現が多くて面白い。また主人公が偏狭なこともあってか、捻くれたジョークが多いのも特徴だ。

 

村上春樹の短編の中でも人気が高い「ファミリーアフェア」だが、村上春樹の中でも珍しいタイプの短編小説だなと思っている。その理由を2点書いてみよう。

 

 

まず、兄と妹の関係性を描いたという点で村上春樹作品では珍しい。村上春樹の小説で家族がテーマになっているものは非常に少ないように思う。「蜂蜜パイ」ぐらいだろうか。タイトルの「ファミリーアフェア」は英語で書くとfamily affair だ。family affair は和訳すると家族の問題といった意味になる。タイトル通りこの小説は兄と結婚する妹の関係性の変化を描いている。

 

2点目の珍しいところは、主人公が偏狭で毒々しいところだ。村上春樹作品の主人公像といえば、「波風を立てない事なかれ主義」というイメージが強い。誰かを強く批判するということもないし、毒づくということも少ないような印象がある。

だが「ファミリー・アフェア」の主人公は偏狭な人物として描かれていて、不味いものは不味いとオブラートに包まずに言ってしまう人物だ。我が強いと言えばいいのだろうか。このタイプの主人公は村上春樹作品としては珍しいと思う。「やれやれ」というフレーズは登場しているので、そこは村上春樹だなと思った。

 

以下では内容について解釈していこうと思う。

 

 

結婚を機に変化する兄と妹の関係性

簡単に話を要約すると、妹に婚約者ができたことで仲の良かった兄妹の関係性が変化するという話だ。

妹は結婚を機に、女と酒にだらしない兄の生活を批判するようになる。一方、兄からすると、妹の婚約者・渡辺昇が優等生タイプの男子で気に入らない。

 

ちなみに渡辺昇という名前だが、「象の消滅」にも登場している。同一人物ではないと思うが、村上春樹作品でよく出てくる名前だ。この名前が『ねじまき鳥クロニクル』の綿谷ノボルに繋がっているのだろうか。ちなみに村上春樹と親交が深かったイラストレーター安西水丸の本名が渡辺昇だ。ここから名前がきているんだろうなと思う。

 

話を戻そう。兄と妹の婚約者・渡辺昇は対比して描かれている。酒と女にだらしなくて自堕落な生活を送っている兄と、堅実な婚約者。小説前半では兄と妹の仲たがいが描かれ、後半では兄と妹の和解が描かれる。

 

前半の仲たがいのシーンでは、兄が味が不味いという理由でスパゲティを残したことから兄妹喧嘩が始まっている。そこからどんどん火に油が注がれて、兄の性格批判にまで発展する。

 

「あなたはものごとの欠点ばかりみつけて批判して、良いところを見ようとしないのよ。何かが自分の規準にあわないとなるといっきい手も触れようとしないのよ。そんなのってそばで見てるとすごく神経にきわるのよ」 p80

 

妹は婚約してから、兄を批判するようになった。妹の婚約者はしっかりした好青年であることから、妹も婚約者に見合うように地に足をつけた生き方を模索している。それもあって27歳にもなってガールフレンドを取っ替え引っ替えしている自堕落な兄の生活を批判するようになったのだ。そのことを兄は受け入れがたく思っている。

 

どうして彼女が僕に対してそんな考え方をするようになったのか、僕にはよくわからなかった。ほんの一年ばかり前まで彼女は僕の僕なりに確固としたいい加減な生き方を一緒になって楽しんでいたし、僕にー僕の感じ方さえ間違っていなければーある意味では憧れてもいたのだ。彼女が僕を少しずつ批難するようになったのは、その婚約者とつきあいだしてからだった。

 

兄は、自分とはタイプが異なる婚約者を毛嫌いしており 、顔を合わせようとしない。そもそも妹の関係性においても、同じ屋根の下で暮らしながらも互いに干渉しない独立した生活を送っていた。

 

 

家族でも距離を置こうとする兄

主人公の「僕」は、妹でもあっても一定の距離を置いている。スパゲティについての諍いの時にも

 

「でもそれは僕の人生であって、君の人生じゃない」と僕は言った

 

と発言しているくらいだ。互いに干渉しない生活は楽でもある。家族であっても一定の距離感を置くという「僕」の価値観は現代に通じるものではないかなと思う。

だが、一定の距離感を置く関係性では本当の繋がりはできるのだろうか?という問いがこの小説にはあると感じる。

 

小説中にこんな一節がある。妹はこの点について疑問を持ち、兄にこう言っている。

 

でも本当の生活というのはそういうものじゃないわ。本当の大人の生活というのはね。本当の生活というのは人と人とがもっと正直にぶつかりあうものよ。そりゃたしかにあなたとの五年間の生活はそれなりに楽しかったわ。自由で、気楽でね。でも最近になって、こういうのは本当の生活じゃないと思うようになったの。なんていうか、生活の実体というものが感じられないのね。あなたはまるで自分のことしか考えてないし、真面目な話をしようとしても茶化すばかりだし

 

兄のようなインディビジュアルな生き方には限界がある。そう指摘する妹の言葉だ。兄妹の関係を象徴するアイテムが登場する。それはステレオ・セットだ。 

 

 

ステレオ・セットと兄妹の関係

 「ファミリー・アフェア」に登場するステレオ・セットは、兄妹の微妙な関係性の変遷に重ねられている。二人の関係性とステレオセットについて見てみよう。

 

そしてビールを飲みながらスピーカーから音が出てくるのを待った。しかしいつまで待っても音は出てこなかった。そのときになってやっと僕はステレオ・セットが三日前から故障していたことに気がついた。電源は入るのだが、音が出てこないのだ。

 

妹とスパゲティについて口喧嘩した日にはステレオ・セットは故障していた。関係がギクシャクしだした日から音が出なくなったのだ。ここでステレオ・セットの故障は兄妹の不和を象徴している。ではステレオ・セットはどのようにして修理されたのだろう?

ステレオ・セットを修理したのはなんと妹の婚約者だった。妹の婚約者が自宅に来る機会があり、その時に手先が器用な婚約者がステレオ・セットを修理したのだ。当初は婚約者に会うことを頑なに拒んでいた兄だったが、渋々婚約者に会うことを決めたのである。

ステレオ・セットが故障した原因は、妹が掃除をした際に動かしたことだった。妹は結婚が決まってからこまめに掃除するようになったので、結婚が間接的な原因になっている。結婚を機に変化した兄妹の関係性と同じだ。

婚約者と面会した日から、兄は妹の婚約者のことを部分的にであれ認めるようになる。ステレオ・セットが復活したように、兄妹の関係性も修復されたのだ。

妹の方もきつく当たりすぎたことを反省する。結婚が原因でナーバスになっていたことを兄に打ち明けて和解するのだ。

そんな妹に対して兄がかけた言葉が印象的だ。

 

「良い面だけを見て、良いことだけを考えるようにするんだ。そうすれば何も怖くない思いことが起きたら、その時点で考えるようにすればいいんだ」

 

偏狭的な考え方をする兄らしいといえば兄らしい励ましの言葉だ。この兄妹の関係性を見ていると心がほっこりする。 

 

 

ウィットに富んだ表現が魅力的な「ファミリー・アフェア」

冒頭に書いたようにこの小説の魅力は気の利いた言い回しにもある。個人的に好きな表現を本文から引用してみる。

 

「あなたのお家はどうなの?遊びに行けない?」

「駄目だな。妹と住んでるからね。とりきめがしてあるんだ。僕は女を入れない。妹は男を入れない」

「本当に妹さんなの?」

「本当さ。この次、住民票の写しを持ってくるよ」と僕は言った。

 

「結婚式はやはり秋がいいな」と僕は言った。「まだリスも熊も呼べるし」

 

 

 栞の一行

「本当に妹さんなの?」

「本当さ。この次、住民票の写しを持ってくるよ」と僕は言った。