日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

出版業界の闇に切り込んだ問題作 / 『超・殺人事件』 東野 圭吾

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東野圭吾は、今では大衆的な人気を誇る実力作家である。『ラプラスの悪魔』など多くの著作が映画化されており、大人気のエンタメ作家でもある。

僕は最近の作品よりも、昔の本格ミステリ指向の小説や、『名探偵の掟』のような本格ミステリのパロディというか皮肉った作品群が好きだ。この『超・殺人事件』は、出版業界やミステリ小説の裏側に切り込んだ、ブラックユーモア溢れるミステリ小説だ。あの大人気作家がここまでするのかと思うぐらいに業界の闇に切り込んでいて、ブラックユーモアの毒は水酸化ナトリウム並みだ。ここでの水酸化ナトリウムというのは毒が強いという比喩です。

話を元に戻そう。小説で経費を計上し税金対策をする、大作長編にするために文章を水増しする、書評を本を読まずに機械に任せるなどそれぞれブラックユーモアたっぷりの短編小説が収録されている。元は新潮社から文庫本が出ていたこともあり、週刊新潮ならぬ週刊金潮や金潮社が舞台として出てくる。それぞれの短編をネタバレしない程度に見ていこう。

 

 

税金対策殺人事件

推理小説家として成功した主人公だったが、税金のことを忘れており、どうにかして節税できないか途方に暮れていた。そこに、会計事務所に勤める友人の浜崎五郎が現れ、彼のアドヴァイスを元に購入した品物を何とか経費として処理しようと試みる。経費を計上するために、小説のストーリーがどんどん歪んでいくのだが、主人公の節税は成功するのか?世にも奇妙な物語とかで映像化したら面白いなって思っていたら、もう既に『世にも奇妙な物語』で映像化されていたらしい。そっちも見てみたいものだ。北海道が舞台だったのに、ハワイの旅費を計上する為に、舞台が急にハワイになるのは笑ってしまった。こういった小説家の経費ってどこまで計上できるのだろうかって単純に疑問に思った。

 

 

超理系殺人事件

理科教師の主人公は、書店で見かけた『超理系殺人事件』という本を読み始める。その本の内容は、専門用語やその解説に溢れており難解であった。何とか読み進める主人公だったが、内容は更にエスカレートしていき...。円城塔みたいに難解な理系用語が飛び交う短編小説。皮肉られているのは一体誰であろうか。

 

超犯人当て小説殺人事件(問題篇・解決篇)

別の会社に勤める四人の編集者は、担当している小説家の家に呼び出される。小説家は四人に犯人当て小説を渡し、犯人を最初に当てた編集者に自身の新作の原稿を渡すと言う。この犯人当て小説に込められた意味とは...これは作家に込められた毒が強い短編。実際にこんなことはあるのだろうか。

 

超高齢化社会殺人事件

編集者は、担当している小説家から連載中の原稿を受け取る。しかしその小説家は今年で九十歳になっており呆けが始まっているようで、小説の内容は酷いものだった。連載中のミステリの結末はいかに...本を読む若者は減っており、小説を読む読者層の高齢化について考えさせられる短編。若者を本に呼び込むことができなければ、読書という文化は衰退してしまうな。どうすればよいのやら。

 

超予告小説殺人事件

無名の推理作家が連作中のミステリを実際に模倣し殺人を行う人間が現れた。事件のあった日から、作家のもとには毎日のようにマスコミが詰め掛け、著作も飛ぶように売れ始める。しかし事件の犯人から、電話がかかってきて事態は思わぬ方向に...なかなか面白いオチだった。

 

超長編小説殺人事件

とにかく長い小説が流行るようになって、主人公の推理作家も担当に小説をどうにかして水増しする様に言われる。原稿用紙三千枚に及ぶ超長編小説を書くために文章の水増しを始める主人公だったが…これも強烈な皮肉が込められた小説。ストーリーがあんまりないのに、うんちくや表現をくどくしている作家って誰だろうと考える。東野圭吾は該当する作家を思い浮かべながらこの小説を書いたのだろうか?一人思い当たる作家がいるのだが、僕はまだ消されたくないので、ここには記さないことにする。

 

魔風館殺人事件(超最終回・ラスト五枚)

初連載『魔風館殺人事件』の最終回を書いている推理小説家。しかし行き当たりばったりで書き進めてきた小説家は、オチが思い浮かばず途方に暮れる...なるほどというオチに唸った。

 

超読書機械殺人事件

この短編が一番過激だった。書評のために大量の本を読まなければならない書評家は、『ショヒョックス』という機械を訪問販売で買う。その機械を使えば、どんな小説でも内容の要約・感想、更に書評まで出来るというのだ…しかし、多くの書評家や作家がこの『ショヒョックス』を使い始めることで事態が思わぬ方向に...書評というのは大抵は拡販のために描かれるものなので(文芸時評とか別だが)、どんな駄作であってもある程度は褒めないといけない。これは書評を書く側の苦悩を描いてもいる。どんな駄作だって色々視点や表現を変えれば褒めることになる。書評について考えさせられた。この短編の矛先は読者にも向けられている。読んだこともない本をあたかも読んだ風に知ったかすることとかが槍玉に挙げられている。

 

 

この小説を読みながら、「これは誰のことを揶揄しているのだろう」と思い浮かべるところが結構あった。詮索してみようかと思ったけれど、考え直して辞めた。世界の闇は深い。触れると元の世界に戻れない類の闇がこの世界にはある。

僕はまだ消されたくないので、そこら辺のことについては記載しないようにする。 知らない方が幸せなこともあるという当たり前な事実を再確認して、この本を閉じた。

 

 

 

 

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