日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

現代人の繋がりの薄さ / 「闖入者」 安部 公房

 僕の1番好きな作家、安部公房の短編小説「闖入者」について書こうと思う。「闖入者」は『水中都市・デンドロカカリヤ』に収録されている短編だ。世にも奇妙な物語にありそうな、薄気味悪い小説である。民主主義で広く信じられている「多数決」という制度の暴力性を表現した小説だ。

 

 

「闖入者」はこんな話だ。

ある男の部屋に見知らぬ家族が押しかけてきて、民主主義の名の下に多数決で「民主的」に男の部屋を占拠していく。「闖入者」という名の通り、ある日見知らぬ家族が自分の家に押し寄せてくるという話だ。

知らない人が家に押しかけてしかも家を占拠してしまうのだから、主人公は色んな人に訴える。しかし、大家や警察も真面目に取り合ってくれない。昔に比べると、都市部の一人暮らしなんて隣人との繋がりが殆どない。隣にどんな人が住んでいるのかわからないこともよくあることだろう。その繋がりの薄さから、隣人同士の助け合いは望めない。共同体という概念がなくなった都市での生活で、自分のテリトリーが見知らぬ他者に蝕まれていく様子が巧みな描写で描かれている。闖入者たちは「民主主義」の名の下に侵略を進めていくのだ。

 

 

この「闖入者」という作品は帝国主義時代の侵略のメタファーとして解釈することもできるのではないかと思っている。見知らぬ家族が数にものを言わせて民主主義を押し付けていく様子は、「近代化」を口実に侵略をする植民地主義時代の先進国を思わせる。帝国主義の先進国とは理不尽な要求を突きつける「闖入者」そのものだったと考えさせられた。

 

 常識的に考えて起こらないことが普段なんとも思わないような日常や常識が、いとも簡単に壊れてしまうというのは本当に怖い。日常を非日常に変えてしまう安部公房の小説はとてもスリルがある。安部公房の小説は、常識や日常がいかに脆弱であるかを教えてくれる。

 

 

「闖入者」が元になって『棒になった男』という戯曲が生まれている

友達・棒になった男 (新潮文庫)

友達・棒になった男 (新潮文庫)

 

 ちなみにこの「闖入者」が元になって安部公房の代表的な戯曲『友達』(谷崎潤一郎賞受賞作)が生まれている。『友達』は安部公房の傑作戯曲と言われている。

テーマとプロットは異なっていて、「他人とはなにか、連帯とはなにか」ということをテーマにした戯曲だ。

 

 

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