日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

中原昌也のマスターピース / 『パートタイム・デスライフ』 中原 昌也

 『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』や『あらゆる場所に花束が…』に衝撃を受けてから、中原昌也をよく読むようになった。『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』の支離滅裂ながらもイメージを繋いでいく手法はバロウズの『裸のランチようだったし、『あらゆる場所に花束が…』で見せたイメージを反復する手法はヌーヴォー・ロマンのアラン=ロブ・グリエを彷彿とさせた。日本の現代文学にはあまりいないようなタイプの作家ではないだろうか。独特な前衛的手法の虜になってしまった。『パートタイム・デスライフ』も、過去作に劣らず、あるいは最高傑作と言ってもいいくらいの小説だ。

『パートタイム・デスライフ』は中原昌也の集大成的な長編?小説だ。?と書いたのは一見すると中心となるストーリーがなく、ストーリー的には各章ごとのつながりがないからだ。だが、前の章で登場したイメージや場面に関連するイメージが登場することで、各章ごとの連続性を支えている。

 

 

パートタイムの話かと思いきや…

最初はパートタイムで働く男の話から始まる。まあこのパートタイムの話も荒唐無稽な話なのだが、章を進むにつれてパートタイムの話をしていたと思ったらいつの間にかNHKのビデオテープの話になっているのだ。さらには、スクランブル交差点でのサポーターの話、馬の話と全く関係の話に移り変わっていく。まるで夢を見ているような感覚だ。

中原昌也の文章は、文章をそのまんまコピーペーストしたのも混じるが、時折キャッチーなフレーズが出てきて読者を引きつける。小説の内容はほとんどないようなものだが、文章に引き込まれてページをめくってしまう。イメージの切り替えが上手くて、いつの間にか脈略もない場面になっていたりする。思いもよらない場所に読者をつれて行くのが、中原昌也の小説の魅力かなと思ってみたりする。

 

 

各章のタイトルの意味

『パートタイム・デスライフ』は連作長編のような小説だが、各章には意味深なタイトルが付けられている。読んだ人ならわかると思うが、各章のタイトルは各章の終わりの文章から来ている

例えば、最初の章のタイトルは「教訓は古びない」というものだ。このタイトル自体が教訓めいている。この章の最後の文章を見てみよう。

どんな時代に於いても、教訓は古びることはない……それは逃れられない宿命のようなものだった。

「教訓は古びることはない」中原昌也にありがちな紋切り型の文章だ。これがそのままタイトルになっているのだ。他の章も同じようなスタイルでタイトルが決められている。

 

 

中原昌也のマスターピース

『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』に近いものを感じたが、初期の中原昌也ほどの暴力性はない。少し丸くなったのかなと感じたところだ。けれど、文章が次々に流れていく様はかなり洗練されていて、最初からは想像できない場所に読者を運んでいくのだ。帯に「中原昌也のマスターピース」と書かれていたが、その言葉に間違いはないと思う。