日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

残されたモノが突きつける存在の不在 /「トニー滝谷」 村上 春樹

 村上春樹は喪失をテーマに数多くの小説を書いてきた。有名な『ノルウェイの森』もそうだし、『羊をめぐる冒険』や『風の歌を聴け』もそうだ。様々な角度や視点から「喪失」を描いてきた村上春樹だが、「トニー滝谷」という短編は残された「遺品」が存在の不在を訴えかける話だ。残された「モノ」が、失った人の影となって苦しめるのだ。

トニー滝谷について考察や感想を書いていこうと思う。

 

 

孤独なトニー滝谷

「トニー滝谷」は『レキシントンの幽霊』という短編集に収録されている。トニー滝谷とは変わった名前だが、主人公の名前だ。トニーと名前にあるが、主人公はハーフではない。ではトニーはなんだと思うかもしれないが、父の滝谷省三郎が友人のアメリカ人少佐の名前から取ったものである。

父の滝谷省三郎はトニー滝谷が生まれた時に妻を亡くしている。それもあってかトニー滝谷は孤独に慣れた人間に育った。そんなトニー滝谷にも孤独に耐えられなくなる時が訪れる。トニー滝谷は恋に落ちたのだ。彼は恋に落ちた相手に求婚して、無事に結婚することができた。トニー滝谷の孤独はここで終わりを迎えたように思えたが、悲劇が彼を襲う。

 

 

服に異様な執着を見せる妻

トニー滝谷は恋に落ちた相手と無事に結婚することができたが、妻には1つ問題があった。それは服に異様な執着を見せるということだ。妻は服を買うことに飽きることがなく、病的なまでに服を買った。服の量は、一人じゃ到底着れない量までになっていた。

異様に服を買う妻」は、欲望が欲望を刺激する資本主義社会を象徴しているように思える。他人の欲望を見て、自分もその欲望を模倣するというものだ。例えるなら、インフルエンサーや有名人が使っているものが自分も欲しくなるというものだ。ここでは、自分が有名人の欲望を模倣して、あたかも自分の欲望と錯覚している。

話を戻そう。服の量が膨れ上がり、トニー滝谷は妻に服のことで注意する。妻は真摯に受け止めて、買った服を返品しに行った。その帰り道で妻は返品した服のことを考えている中で交通事故に遭遇する。妻は交通事故で死んでしまったのだ。またしても、トニー滝谷は孤独になってしまった。残されたのは妻が大量に買った服だった。

 

 

残されたモノが突きつける存在の不在

トニー滝谷は妻が大量に残した衣服をどうするかに迷う。トニー滝谷は、妻と同じ体型のアルバイトを雇い、残された服を着てもらうことにした。妻のいなくなった日常に体を慣らしていくために。

 

その服は彼には妻が残していった影のように見えた。サイズ7の彼女の影が折り重なるように何列にも並んで、ハンガーから下がっていた。それは人間の存在が内包していた無限の(少なくとも理論的には無限の)可能性のサンプルを幾つか集めてぶらさげたもののように見えた。

 

しかし、妻の残した服を見ていると、妻の不在を突きつけてくるようで、トニー滝谷は耐えられなくなった。結局アルバイトもなかったことにして、服も処分することにしたのだ。トニー滝谷は本当に孤独になってしまった。

妻の残した服は、妻の存在の影となってトニー滝谷を苦しめた。喪失を感じるというのは、日常の中に、失ったものが存在していた履歴を見ることによって生じるのではないかと思う。遺品を見ているとその人の生前の様子を思い浮かべるように。妻が存在していたことの履歴が、トニー滝谷にとっては服だった。妻の残した服は妻の存在の影となってトニー滝谷に「妻がもうこの世にはいない」という残酷な真実を突きつける。

数学では1ー1=0となるが、現実では違う。人がいなくなってしまった時には空白がただ残されるのではない。その人の記憶や存在の不在が残るのだ。1ー1=0ではない。妻を失うことでトニー滝谷が陥ったのは、元の孤独ではなく、妻がいなくなった分より深い孤独なのだ。

 

 

トニー滝谷は映画化もされている 

トニー滝谷

トニー滝谷

  • 発売日: 2018/11/01
  • メディア: Prime Video
 

この『トニー滝谷』だが、映画化もされている。監督の市川準、イッセー尾形は村上春樹のファンであるようだ。坂本龍一の音楽が映画に彩りを与えている。映画では原作にはないエピローグも追加されている。