鈴木涼美の「ギフテッド」はキャバクラや風俗など「夜の街」に生きる女性たちを圧倒的なリアリティで描き、母と娘の関係性をテーマにした王道の純文学作品だ。第167回芥川賞の候補作品にもノミネートされている。
鈴木涼美は、『「AV女優」の社会学』、『体を売ったらサヨウナラ』などの著作で知られている。読んだことがある人も多いんじゃないだろうか。「ギフテッド」は鈴木涼美の小説デビュー作である。デビュー作品とは思えないぐらい完成度が高い。文体は装飾がなく、荒涼とした主人公の内面を描写するのにぴったりだと思う。
「ギフテッド」のあらすじを簡単に説明すると、歓楽街のビルに暮らすホステスの「私」が、死に場所を求めてやってきた母を看病し始めるという話だ。母はシングルマザーとして「私」を産み育てるかたわら数冊の詩集を出していたが、詩人として大成することはなかった。「私」には子どもの頃に母から受けた火傷の傷があった。「私」は入院中の母に向き合う中で、母の秘密を知るようになる。
この記事では、「なぜ母は娘に火傷のアザをつけたのか?」、「タイトルの「ギフテッド」とは何を意味しているのか?」という点に焦点を置いて考察・解説していきたい。内容に触れて考察しているので未読の人はネタバレ注意。
母と娘の微妙な関係性
歓楽街に暮らす「私」の元に、死に場所を求めて母が転がり込んでくる。母は妻子がいる演出家と恋に落ち、「私」を身籠った。母はシングルマザーとして「私」を産み育てるかたわら数冊の詩集を出していたが、詩人として大成することはなかった。
母と娘の間には微妙な距離感があった。その原因の1つが「私」の腕にある火傷の痕だ。
「私」は、子どもの頃に母からタバコを腕に押し当てられ、腕に火傷のアザが残っていた。「私」はそのアザを隠すようにタトゥーを彫っている。
「私」はなぜ母がタバコを腕に押し当てたのか理解できずにいた。母は「私」を殴ることもなかったし、虐待することもほとんどなかった。タバコだけが例外だったのだ。
この小説は、夜の街に生きる人々を描きながら「なぜ母は娘に火傷のアザをつけたのか?」という謎を中心に進んでいく。
「夜の街」と身体の商品性
「ギフテッド」の舞台は歓楽街といった「夜の街」だ。おそらく歌舞伎町あたりだろう。
「ギフテッド」の登場人物たちは「夜の街」に生きている。例えば、「私」はキャバクラで働いており、友人はソープやデリヘルで働いている。「私」は17歳の時に家を出て、夜の街で働くようになった。ある友人は体を売り続け、最後には自殺してしまった。友人を失った喪失感や諦念がこの小説では漂っている。
「夜の街」では、女性の身体に値札がつけられる。自分の身体の商品性に対して登場人物たちはそれぞれの道を選ぶ。商品性を活かしソープで働く友達、デリヘル・SMと死ぬまで体を売り続けた友人とその選択肢は様々だ。
「身体の商品性」というのがこの作品を読み解く上での1つのキーワードだと思う。
「私」の母は自らの商品性を拒むことができなかった。これが火傷のアザに繋がっていくのだ。
なぜ母は娘に火傷のアザをつけたのか?
「私」の母は自分の商品性を拒むことができなかった。その事実は、母が入院してる病院を訪れた男性によって明かされた。
母は昔キャバレーのようなところで際どい格好をして歌を歌う仕事をしていた。母は美しく、男が好むような体つきだった。しかし、母は自分に誇りを持っていて、体を売るようなことはしなかったのだ。
だが、シングルマザーでの生活を支えるためにはお金が必要だった。母はキャバレーでのファンの男にパトロンになってもらうことで生活費を稼いでいたのだ。金銭の授受による男女の関係があったのだろう。母は自分の体が持つ商品性を拒むことができなかった。
この事実が明かされることにより、「私」は母がなぜ娘に火傷の跡を残したのか理解したのだ。
パトロンだった男は昔の母についてこう語っている。
「カウンターで飲んだ時に、もう一人の歌い手のことを、店の偉い人の愛人だ、と悪態をついていたんですよ。だから舞台に立たせてもらえるんだ、と。そしてその子が自分よりずっと上品な格好で歌っているのは、歌の実力なんかではなく、実は背中に醜いアザがあるからなんだ、と力を込めて言っていたよ。男に賞賛される方が損をする。男は綺麗な女を見せびらかして、醜い女をこっそり愛するんだ。って、これはお母さん独自の見解でしたけど」
母はおそらく体の商品性を拒絶できなかった自分のようになってほしくなくて、娘にあざを残したのだろう。虐待ではなく、娘の体の商品性を下げるために。醜い体の方がある意味では生きやすくなるからだ。
実際、「私」はアザが原因か、体を売るような仕事にはついていない。
タイトルの「ギフテッド(gifted)」とは何を意味しているのか?
ここまで説明すれば、タイトルの「ギフテッド」の意味もわかるだろう。
ギフテッドを英語で書くとgiftedとなる。形容詞としてのgiftedは「才能がある」という意味だが、この小説ではgiftの過去分詞と捉えた方が良いだろう。与えられたという意味だ。
この小説における「ギフテッド(gifted)」とは、「私」の火傷の痕のことだろう。母から娘へのギフト、それが火傷の意味だった。娘には体の商品性を拒絶してほしくて母は火傷の痕を残したのだろう。
「ギフテッド」は、母が娘に贈った火傷の意味が娘に伝わる物語だったのだ。
ドアの音とラストシーンのカタルシス
「ギフテッド」ではドアの音が印象付けられて描写されている。ドアの音が何かを暗示するかのように冒頭から強調されているのだ。冒頭を引用してみよう。
階段を登り切ると再び廊下に続く重たい扉があり、そこに体重をかけて一定以上の幅まで開いたときに鳴る金属の軋むような音を必ず鳴らして、ゆっくり閉まりきる前に今度は自分の部屋のドアの錠に鍵を差し込み左側に回して鍵の開く音を聞く。夜ごと、この二つの音を聞いて帰ってくる。その、扉の蝶番が軋んで鳴る音と、古いピンシリンダーキーの回転の途中で鳴る音の間隔が、長すぎても短すぎても安心感がない。
『ギフテッド』では、「扉の蝶番が軋んで鳴る音」と、「古いピンシリンダーキーの回転の途中で鳴る音」が何度も描写される。この音に何かあるんじゃないかなと思った方も多いだろう。
この音だが、ラストシーンで綺麗に回収される。
「私」は母が書き残していたノートを開き、「ドア」と題された詩を見つける。
私が病院に送っていた日付が近づき、タイトルのついたページがあった。題名らしき文字は片仮名でドアとある。
ーもうすぐ夜がやってきますーいいですか?
空白の数行が空き、残り三行が続いていた。私は読みながら、二の腕の後ろを何度も何度も撫でていた。あれだけ気になっていた凹凸が、今度は急速に指の腹で見当たらず、もうそこには腫れも窪みもないように思えた。皮膚にあたり、わずかな音を立てる火のイメージを膨らませても、以前のような疼きは起こらない。ードアがバタリとしまりますよードアがしまるとき、かいせつは いりません
ーできれば、しずかにしまるといい。
「ギフテッド」のラストシーンはカタルシスに満ちて印象的だ。
栞の一行
男に賞賛される方が損をする。男は綺麗な女を見せびらかして、醜い女をこっそり愛するんだ。