日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

かけがえのない他人を求めて / 「N/A」 年森 瑛

年森瑛「N/A」は、安易なカテゴライズを嫌い、何ものにも該当しない純粋な関係性を希求した小説だ。「彼氏」ではなく「かけがえのない他人」を求めていた。

「N/A」は文學界新人賞を受賞したデビュー作で、選考委員が満場一致で受賞を決定したという話題作でもある。もちろん芥川賞候補にもなった。あんまり単行本化しないことで有名な文學界新人賞だが、「N/A」は芥川賞候補作が発表される前に単行本化が決定している。これからも文藝春秋の力の入れようが分かるだろう。

タイトルにもなっている「N/A」とは、該当なしを意味する “Not Applicable”、または、無効を意味する “Not Available” を意味する略号のことだ。

主人公の松井まどかは、「N/A(該当なし)」というタイトルのように、安易にカテゴライズされることを拒んでいる。まどかは既存の分類や気遣いの定型句に苛立ちを隠さない。まどかは「彼氏」ではなく「かけがえのない他人」を求めていた。

人は何でもかんでも分類したがると歌ったのはSEKAI NO OWARIの「Habit」だが、「N/A」で描かれているのは安易なカテゴライズへの違和感だ。

この記事では、「N/A」について考察・解説していきたい。

 

 

 

「拒食症」・「レズビアン」、松井まどかに貼られるレッテル

主人公の松井まどかは、女子校に通う高校生だ。松井まどかは女子校ではその風貌から王子様としてもてはやされている。それもあってか友達からは「松井様」と呼ばれたりする。

まどかは低体重だと生理が止まると聞き、ご飯をあまり食べない生活を送っていた。それもあってまどかの生理は止まっている。

これだけ聞くとまどかは「拒食症」のように思えるがそうではない。だが、まどかの母はまどかのことを「拒食症」だと思っていて、「拒食症」の人に対して「適切」だと思われる対応を取っている。まどかはこのようなテンプレートの気遣いに違和感を覚えていた。

まどかには、「うみちゃん」という女性の「彼氏」がいる。教育実習生としてまどかの高校にやってきた「うみちゃん」がまどかに交際を迫ったのだ。

それでは、まどかはレズビアンなのかというとそうではない。少なくともまどか自身はそう思っていない。まどかは「レズビアン」ではなく、何にもカテゴライズされない、純粋な関係性を求めていた。まどかの言葉を借りると「かけがえのない他人」だ。その部分を引用してみよう。

 

かけがえのない他人、は、まどかにとって特別な意味を持つ言葉だ。
ホットケーキを食べたりおてがみを送ったりするような普遍的なことをしていても世界がきらめいて見えるような、他の人では代替不可能な関係のことを、かけがえのない他人同士と名付けていた。くりとぐら、がまくんとかえるくんのような二人組に憧れていた。子どもじみた言い方をすると『最強の友だち』だったが、それは友だちの延長線上にあるようで、ないような気もした。

 

まどかは「かけがえの他人」を「ぐりとぐら」や「がまくんとかえるくん」のような存在だと述べている。まどかは「拒食症」や「女性」、「レズビアン」、「LGBT」といった安易なレッテルを貼られることを嫌っていた。全てのカテゴライズから自由になりたかったのだ。

だがひょんなことから、まどかが女性と付き合っていることがバレてしまい、まどかは「レズビアン」というカテゴライズをされてしまう。友人たちは揃いも揃って、「LGBT」の人に対して「適切」とされる気遣いを見せる。まどかはカテゴライズから逃れることができなかったのだ。

だが、まどかもカテゴライズに基づいた定型句を話す側に立ってしまう。

 

 

「新型コロナ感染者」、衝撃のラストへ

友人の祖父が新型コロナにかかってしまった時には、まどかは当たり障りのない言葉をGoogle で検索し、自分の言葉で友人に語りかけることができずにいた。結局、まどか自身も新型コロナ感染者に対して「適切」な気遣いをする。まどかもレッテルを貼って気遣いをする側に立ってしまう。

ラストでは、自分が振った「うみちゃん」に家具店で遭遇する。まどかは「うみちゃん」に自分の幼さを指摘されるところで終わっている。

「N/A」は、安易なマイノリティ表現への違和感の表明でもあり、カテゴライズを超えた純粋な関係性を求めるという点でまさに現代で求められている文学なのではないかと思う。

女子高生同士の軽い会話がとても現代的で文体も新鮮だなと思う。これは芥川賞を取るのでは。

 

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栞の一行

かけがえのない他人、は、まどかにとって特別な意味を持つ言葉だ。
ホットケーキを食べたりおてがみを送ったりするような普遍的なことをしていても世界がきらめいて見えるような、他の人では代替不可能な関係のことを、かけがえのない他人同士と名付けていた。