日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

第166回芥川龍之介賞の受賞作を予想する

芥川賞の受賞作がもうすぐ決まるということで、僕も芥川賞の候補作を全て読んで、予想してみた。季節になりました。候補作が発表されたので、簡単にまとめてみようと思う。

今回の候補作では、ジェンダーや非正規雇用、ジェネレーションZなどが題材になっていた。文学的な技巧の面では、語り方の工夫、作中作の導入、などがあった。

石田さんと九段さん、島口さんは2021年に新人賞を受賞し、今回初めて芥川賞候補に選ばれた。新人賞を受賞してから1年以内でありフレッシュな顔ぶれだ。

一方、砂川さんと乗代さんは2人とも3回目の芥川賞候補だ。特に乗代さんは今までに野間新人文学賞、三島由紀夫賞という文学賞を受賞しており、芥川賞を受賞すれば男性初の新人文学賞「三冠」を達成することになる。

ちなみに、これまでに「三冠」を達成した作家は、笙野頼子、鹿島田真希、本谷有希子、村田沙耶香、今村夏子の5人であり、女性作家だけだ。

一番驚いたのは、前評判でも人気があった永井ミミ「ミシンと金魚」が候補作にならずに、すばる文学賞佳作の石田夏帆「我が友、スミス」が候補になったことだ。すばる文学賞佳作が、受賞作を抑えて候補になったのはとても珍しい。

では、それぞれの作家と作品を簡単に紹介していき、最後に自分の予想を書きたいと思う。ネタバレを含むので未読の人は注意!

 

 

 

石田夏穂「我が友、スミス」(すばる11月号)

石田夏穂は2021年「我が友、スミス」で第45回すばる文学賞佳作を受賞しデビュー。デビュー作で芥川賞にノミネートされた。すばる文学賞佳作から候補に選ばれたのは驚いた。もし、芥川賞を受賞すれば、初の快挙じゃないだろうか。

「我が友、スミス」は、ボディ・ビルの大会を目指し筋トレに励む女性・U野の姿を描き、ジェンダーの問題を描いた小説だ。筋トレを題材をした純文学という時点で珍しいのに、女性のボディ・ビルの大会を題材にしている小説はこれが初じゃないだろうか。恥ずかしながら、この小説を読むまで女性にもボディ・ビルの大会があることを知らなかった。そもそも僕は筋トレに1mmどころか1μmも興味がないのだが、この「我が友、スミス」はとてもリーダビリティがあり文章にユーモアがあって、筋トレに興味がない人でも引き込む魅力がある。運動嫌いな僕も一気に読み通してしまい、何なら読了後に女性ボディ・ビルの動画をYouTubeで漁って観てしまった。恐るべき、「我が友、スミス」。今回の芥川賞候補作で一番リーダビリティがあったのは「我が友、スミス」だったと思う。

タイトルのスミスというのは、筋トレに使う「スミスマシン」のことだ。画像は各自ググってください。ベンチプレスに近いようなマシンで、バーがレールを沿うように動くようになっていて、1人でもトレーニングがしやすい設計になっている。作中の言葉を借りると、「スミスは一匹狼の卜レーニーのために存在するマシン」だ。このタイトルが象徴するように、U野は群れるのではなく孤高にトレーニングに取り組み、筋トレを通じて成長する成長譚にもなっている。

主人公・U野は、「別の生き物になりたい」という思いを抱き、世の中で一般的とされるキラキラした女性性に背を向けて、ストイックに筋トレに邁進する。一般的な女性性に背を背けてボディ・ビル大会に向けてトレーニングするU野だが、ボディ・ビル大会ではハイヒールを履き脱毛美肌のサロンに通わなければならないなど、フェミニンであることを強要されるところは皮肉が効いている。こういったジェンダー的なテーマと筋トレを組み合わせたのは新鮮だ。

文体は、とてもユーモアが効いててセンスを感じた。本当に何回もクスッとさせられた。次回作ではどんな作品を描くのか気になってしまう文体だ。

気になった点だと、「別の生き物になりたい」という筋トレの動機が弱いかなと感じた。「別の生き物になりたい」というよりかは、筋トレそのものが好きでのめり込んでいるような印象が強かった。あとは、一般的な女性性を重んじるボディ・ビルに反抗するラストのオチが普通すぎたかなというのもある。

 

 

九段理江「Schoolgirl」(文学界12月号)

Schoolgirl

Schoolgirl

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九段理江は文學界新人賞を「悪い音楽」で受賞しデビュー。候補に上がった「School girl」は、太宰治の「女生徒」を下敷きにし、世代間ギャップのある母と娘の邂逅を描いた意欲作だ。

内容としては、環境問題に関心を持ちYouTubeで発信を行う娘と文学少女気質のある母の関係性を描いた小説だ。文學界にはジェネレーションZ 文学と書かれていたけど、どちらかと言うと時代が変わっても変わらない母娘の普遍性がテーマかなと感じた。娘はジェネレーションZ 的な考え方だけれども、母と娘の関係性は時代を経ても大きくは変わらない。太宰治「女生徒」を取り込むことで、母娘の関係性の普遍性を表現したのは鮮やかだったなと感じた。

 

 

島口大樹「オン・ザ・プラネット」(群像12月号)

島口大樹は「鳥がぼくらは祈り、」で第64回群像新人文学賞を受賞しデビュー。デビュー作の「鳥がぼくらは祈り、」は一人称内多元視点で描かれた意欲作で、第43回野間文芸新人賞候補となっている。

今回候補になった「オン・ザ・プラネット」は、主人公たちが映画を撮るために鳥取砂丘を目指すロード&ムービー・ノベルだ。タイトルは作中でも引用されているジム・ジャームッシュ監督の『ナイト・オン・ザ・プラネット』に由来する。

「オン・ザ・プラネット」は今回の芥川賞候補の中でも、文学的な挑戦を一番していた野心作だと思う。小説の中に映画を組み込んだ作中作の構造、そして作中でも言及されていた隠れた視点人物の存在。実は島口が小説を書いていたというオチだ。その仕掛けは作中で言及されていたがトリュフォーの『アメリカの夜』のようだ。

過去の記憶とは、世界とは、といった思索的・哲学的な会話が主人公の間で繰り広げられるのも特徴だ。この会話が魅力的と感じられるか、退屈と捉えられるかは、評者によって別れそう。

 

 

砂川文次「ブラックボックス」(群像8月号)

砂川文次は「市街戦」で第121回文學界新人賞を受賞しデビュー。今までに、「戦場のレビヤタン」、「小隊」で2度芥川賞候補にノミネートされている。元自衛官とあってか、戦争や兵隊をモチーフにした小説が多い。「小隊」という小説は北海道に上陸したロシア軍が自衛隊と衝突する様を圧倒的なリアリティで描いた作品だ。また、組織の不条理を描くなど、カフカ的な作風も特徴だ。最近では、新型感染症をモチーフにした「臆病な都市」がコロナ禍を予見しているとして話題を集めていた。新型感染症にパニックを起こす人々を描き、役所という官僚的な組織の不条理を描いた力作だ。

今回候補になった「ブラックボックス」は、自転車便メッセンジャーが主人公の小説だ。小説の前半と後半で大きく雰囲気が変わるのが特徴になっている。

前半部分では、主人公サクマが自転車で街を駆ける様子が躍動感を持って描かれている。非正規雇用という立場の不安定さを悩み焦燥感を抱くサクマだが、日々の業務をこなす中では今後の未来を思い描く余裕がない。だから、非正規雇用から抜け出せずにいる。この、日々の業務に忙殺されて負のスパイラルから抜け出せないのは、自己責任論に対する一つの答えじゃないかなと個人的には思っている。みんながみんな考えられる環境にいる訳ではなく、貧困から思考の幅が狭まってしまうこともある。前半部分は、自転車で自由に世界を駆け回れるのに思考や視野が狭まっているところが丁寧に描かれていた。また、配達先のホワイトカラーの職場がブラックボックスだと感じ、繋がりを感じられずにいる。

後半部分は前半部分と打って変わって、サクマが刑務所の中にいるところから始まる。税務署の職員をひょんなことから殴ってしまうのだ。サクマにとって「ブラックボックス」であった刑務所の中に入ることによって、自分と向き合うことができ、思考が深まっていく展開は面白かった。ラストも希望が持てるようなシーンになっており、好感が持てる。

 

 

乗代雄介「皆のあらばしり」(新潮10月号)

乗代雄介は「十七八より」で第58回群像新人文学賞を受賞しデビュー。『本物の読書家』で第40回野間文芸新人賞を受賞し、「旅する練習」で三島由紀夫賞を受賞している。以前には「最高の任務」、「旅する練習」で2回芥川賞候補に挙がっている。今回の「皆のあらばしり」で3回目の芥川賞候補だ。乗代雄介の作風としては、テクストの引用が多用されるのが特徴だ。

候補となった「皆のあらばしり」は、高校生と胡散臭いけれど博識なおじさんが幻の書物を追い求めるという内容の小説だ。その幻の書物というのがタイトルにもなっている「皆のあらばしり」である。純文学作品では珍しいかもしれないが、ラストでどんでん返し的な要素があり楽しめる。

 

 

芥川賞の予想

僕個人の予想としては、九段 理江 「Schoolgirl」砂川 文次 「ブラックボックス」 のダブル受賞と予想。

九段理江と砂川文次、乗代雄介の3人でかなり迷った。けれど、今回の候補作はどれも面白くて、どれが受賞してもおかしくないかなと感じる。

 

芥川賞の選考会は1月19日に行われ、受賞者が決まる。果たして栄冠は誰の手に。