日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

人生のマジックアワー / 『明け方の若者たち』 カツセ マサヒコ

ヘミングウェイはエッセイ『移動祝祭日』で、パリで過ごした青春の日々をこう語っている。

もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ 

誰にとっても青春時代はかけがえのないもので、その後の人生についてまわる移動祝祭日のようなものだ。

そんな、振り返れば全てが美しく感じるような青春の日々を『明け方の若者たち』では「人生のマジックアワー」と読んでいる。それは誰にとっても美しいものだろう。

 

『明け方の若者たち』は、Webライター・文筆家カツセマサヒコの小説だ。カツセマサヒコは、エモーショナルなツイートで注目を集めているインフルエンサーだ。『明け方の若者たち』はカツセマサヒコのデビュー作だが、クリープハイプの尾崎世界観や小説家の村山由佳といった著名人から推薦コメントが寄せられたこともあって話題を集めた。

同時代に青春を過ごした人なら刺さる音楽などの固有名詞が散りばめられていて、エモーショナルな小説に仕上がっている。自分も読んでいて、23・24歳の頃のマジックアワーのことを思い出していた。読んだ人が自分の青春時代を思い出すような小説でもある。結末にも触れて感想を書いていきたい。

 

 

彼女という沼に落ちていく人生のマジックアワー

明大前で開かれた退屈な飲み会で、僕は彼女に出会う。それは就活が終わった後に開かれた飲み会でのことだった。そこで出会った彼女に、「僕」は一瞬で恋をし彼女という沼にはまっていく。彼女と過ごした人生のマジックアワーがエモーショナルに語られる。

下北沢の本多劇場で観た舞台、「写ルンです」で撮った江の島、IKEAで買ったセミダブルベッド、フジロックに対抗するために旅をした7月の終わり。しかし、彼女との時間は唐突に終わりを告げる。そもそも始まりからして先が見えないのがわかっていた。

彼女は出会った当初から結婚していたのだ。僕はそれを知りながら彼女と付き合っていた。終盤までこの事実は伏せられているので、ちょっとしたどんでん返しだ。「僕」がみたい現実だけを切り取ったのが前半部分なら、後半では彼女のいない現実や何者にもなれない人生というほろ苦い現実が描かれる。

 

それでも、僕はあの月明かりの下で見た彼女の横顔が酔っ払った顔が、求める顔が、おもいきり笑った顔が、怒った顔が、泣いた顔が、何よりも好きだった。どれだけ周りがやめとけと言っても、たとえ法律や常識や正解が、二人を許さなかったとしても、僕は彼女と一緒にいたかった。こんなハズじゃなかった人生を、最後まで一緒に歩んでみたいと願ってしまった唯一の人だった

ほろ苦い現実ではあるけれど、やっぱり思い出は美しい。

 

 

固有名詞×日常がエモさを演出する

『明け方の若者たち』には固有名詞が多く散りばめられている。エモさで話題を集めた本書だが、その秘密は固有名詞にあるのではないかと思う。

同じくエモさが話題になった燃え殻の『ボクたちはみんな大人になれなかった』も、固有名詞がイメージを喚起してエモーショナルな小説になっていた。日常の描写に固有名詞を使うとエモーショナルな描写ができるのだ。

『明け方の若者たち』では、BUMP OF CHICKENの「ロストマン」やthe pillows「ハイブリッドレインボウ」が作中に登場して、小説を盛り上げる。僕はここら辺の世代なので、選曲といいどハマりした。

 

23・24歳は人生のマジックアワー?

 

「でも、二十三四歳あたりって、今おもえば、人生のマジックアワーだったとおもうのよね」

 

この小説で印象的なフレーズが「人生のマジックアワー」だ。社会人になりお金の余裕もできて、少しだが時間的な余裕もある。何ものにもなれずもがく焦燥感はあると思うけれど、無駄なあがきだって美しく思える日々だ。23・24歳ぐらいが青春を謳歌するのにちょうどいいのかなと思ったりする。