日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

死は日常の延長線上にある / 『クリスチャン・ボルタンスキー展 Life time』

Life time

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 「人はいつか死ぬ」そんな当たり前のことを当たり前すぎるゆえに人は忘れる。ニュース出てくる死者のことを自分とはなんら関係ない遠い世界のことのように思う。まさか自分もこんな風に事故で死んだり、殺人事件に巻き込まれることはないと。人はいつか死ぬ、死は特別なものではなく日常の延長線上に存在するものだ。国立新美術館で開催されていた『クリスチャン・ボルタンスキー展』を観に行った。どの展示も重々しく、死について考えさせられる展覧会だった。展覧会を観て回っている時、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」という『ノルウェイの森』の言葉が想起された。

 

クリスチャン・ボルタンスキーとは?

クリスチャン・ボルタンスキーは、インスタレーションや写真を用いた作品で有名なフランス人アーティストだ。死や歴史、存在の痕跡などといったテーマで作品を作り続け、国際的な評価を得ている。自らを「空間のアーティスト」と評するように、この展覧会では広大なインスタレーションが展開されている。 

 

あの世への旅のような展覧会  

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 まず入り口で新聞紙のような物をもらう。これには、展覧会の地図と作品のタイトル、作品解説が載っていた。入り口には「DEPART」とLED電球で文字が作られている。これから「あの世」への旅にいざなわれるかのようだ。ボルタンスキーが生まれてからの時間を示す時計デジタル時計や、ボルタンスキーの心臓音など、限りある人生について考えさせられる展示が続く。『コート』という磔にされたキリストを彷彿とさせる展示が個人的に魅力的だった。後半では、写真撮影可の作品が多くあった。そのいくつかをブログに載せようと思う。

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これは「アニミタス」という映像作品。暗い館内を照らす白い画面は神々しい。
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黒いスーツで作られた山。


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 この展覧会で一番印象的だった「来世」という文字。周りには白いモニュメントが置かれている。

 

 中盤にあった死んだスイス人のシリーズで憂鬱な気分になる

クリスチャン・ボルタンスキー展はすごく良かったんだけれど、作品を観て考えているうちに憂鬱になってしまった。ここまで心を揺さぶられるとは思ってみなかった。展覧会でこんな気分になったのは初めて。憂鬱になって、気持ちが悪くなったのは中盤あたりの死者の顔写真を使った展示のところだ。新聞の死亡告知欄にあった写真を組み合わせて作られた作品だ。この作品を見ていると、死んでいった人々にはそれぞれの歴史があって、自分には知る由がないことを思い知らされた。報道で見かける死と自分を隔てるものは偶然しかない。僕が今も生き残っているのは、たまたま死ななかっただけ。何かの選択が違うだけで、自分もこの作品の人々と同じように新聞の死亡告知欄に載っていたのかもしれない。そんな人生の残酷さを突きつけられた作品群だった。ここまで、死について考えさせられて、気持ちが悪くなった展覧会は今までになかった。

 

 

 

クリスチャン・ボルタンスキーの可能な人生

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クリスチャン・ボルタンスキー―死者のモニュメント

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