虹を待つということ
すっかりライブの定番曲として定着した「虹を待つ人」。「虹を待つ人」はアルバム『RAY』に収録されている楽曲で、バンドサウンドにシンセサイザーを合わせた今のBUMPを象徴する楽曲だ。そんな「虹を待つ人」の歌詞を文学作品と関連させて解釈していこうと思う。
不条理を取り扱っているように思える『RAY』
『RAY』に収録されている曲は不条理を扱っているものが多いような気がしている。「firefly」はカミュの『シーシュポスの神話』を彷彿とさせる。頑張っても報われないことを受け止め、諦めることを肯定し、後押ししてくれる曲だ。カミュが言った不条理を受け入れ生きていくことに内容が近いのではないかと思う。「虹を待つ人」は『ゴドーを待ちながら』や『タタール人の砂漠』、『シルトの岸辺』、『夷狄を待ちながら』といった待つことの不条理を取り扱った文学作品を彷彿とさせる(俗称:待ちぼうけ小説)。
不条理ってなに
不条理って何と思う人も多いはず。不条理とは
フランスの作家カミュの評論『シーシュポスの神話』 (1942) によって有名になった哲学,文学上の概念で,この世の無意味,非合理と,この世を明晰に理解しようとする人間のやむなき欲求との対立関係から生れるとされる。
ということで、人が人生の無意味さに気づいてしまうことに近い。BUMP的に言うと
頑張ってどうにかしようとして 頑張りの関係ない事態で ふと呼吸鼓動の 意味を考えた
引用元:「firefly」 BUMP OF CHICKEN
という感じかな。
待つことの不条理
本当に来るか分からないものを待つことは、とても不条理な事だ。待っていても結局来ず、徒労になることもあるし、希望を抱いていても、実際にはその希望の光が差し込まないときもある。希望に裏切られてしまうことを分かりながらも、人は希望を信じられずにいられない。パンドラの箱の話のように。「虹を待つ人」は、あるのかないのか分からない希望を待つ、宙ぶらりんな不安定な状態に寄り添ってくれる曲だ。そして、自分を縛るものなんてないんだよ、自由なんだよということを教えてくれる。辛い暗闇の中でも、希望を捨てずに雨上がりの虹を待つことを鼓舞してくれる曲だ。誰しも不安や悲しみを抱えながら、虹を待っている。