日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

売れない劇作家の不器用な恋 / 『劇場』 又吉 直樹

売れない劇作家の青春と焦燥と挫折

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高校卒業後、大阪から上京し劇団を旗揚げした永田と、大学生の沙希。それぞれ夢を抱いてやってきた東京で出会った。公演は酷評の嵐で劇団員にも見放され、ままならない日々を送る永田にとって、自分の才能を一心に信じてくれる、沙希の笑顔だけが救いだった──。理想と現実の狭間でもがきながら、かけがえのない誰かを思う、不器用な恋の物語。芥川賞『火花』より先に着手した著者の小説的原点。

 歴代の芥川賞受賞作の中でも、『火花』は一番話題性があったと思う。その当時僕は書店で働いていて、又吉フィーバーを実感していた。売れないことで有名な文芸誌でさえ、「火花」が載った文學界の在庫は無くなっていた。芥川賞を受賞した直後、書店から『火花』の在庫は消え、どこも品切れ状態だったのが印象に残っている。書店でバイトしていた中で、ここまで一つの本で社会現象になることはあまりない。村上春樹ぐらいだろうか。

お笑い芸人が書いたとあって、『火花』の芥川賞受賞は出来レースじゃないかと言っている人も周りにいたが、そんなことはないと思う。『火花』はまぎれもない傑作だ。夢を追いかける芸人の野心と挫折、自意識が生々しく描かれていた。最近、芸能人が小説を書くということが増えているが、又吉直樹は別格だ。

そんな又吉直樹の第二作を心待ちにしていた。心待ちにしていたが、文庫化されるまでは読まなかった。どっちやねん。

デビュー作よりも二作目の方が真価を問われるというが、『劇場』は、又吉直樹の実力を証明したんじゃないかなと思う。

 『火花』で描かれていたのは、芸人として成功することを夢見た若者の青春とその挫折だ。一方、『劇場』で描かれているのは、売れない劇作家の恋愛と青春とその挫折だ。『劇場』は、「芸術や表現に人生をかけた若者の青春とその挫折」がテーマになっている。第1作目の『火花』も同様の主題となっていて、『劇場』はそのテーマの変奏と言える。又吉直樹は夢を追いかける若者の自意識と焦燥感を生々しく描くのが上手い。自分には特別な才能があるんだと思い込んでいる夢追い人の自意識のこじれや、圧倒的な才能に出会って自分が特別な存在でないことを知ってしまうことの恐れなど、心理描写を残酷までに描写しきってい、引き込まれてしまう。作中で繰り広げられる作品論も鋭くて、なるほどと思わされる。

 主人公は売れない劇作家の永田だ。永田は、大阪から上京し劇団を旗揚げしたが、思うように評価されずくすぶっている。そして、もう一人の主人公が大学生の沙希だ。沙希は演劇への夢を抱いて東京にやってきた。『劇場』は永田の演劇への情熱を描いた物語であると同時に、不器用な男の恋の話でもある。

 

 

永田と沙希

 永田はかなりクセが強い。その上にクズだ。これは読む人にとってかなり好き嫌いが分かれそうに思う。永田が沙希と出会うシーンがあるのだが、これがかなり独特だ。画廊で永田と沙希は出会うのだが、永田はこんな風に話しかける。

「靴、同じやな」

その人は僕の汚れたコンバースのオールスターを見た。

そして、「違いますよ」と言った。

「同じやで」

同じであって欲しかった。

これはかなり怪しい人だ。違う靴なのに同じ靴だと言い張るのだから。しかし、沙希はいかにも怪しい永田を避けることはなく、永田と一緒にカフェに行った 。そこから二人の交際が始まる。優しい沙希は永田の才能を一心に信じていた。永田が書いた劇の主演として沙希が出演することになり、その劇はまずまずの成功を収めた。

 永田はお金がないので、沙希の家に転がり込むのだが、家賃は一銭も払わないし、お金があれば服や小説など自分のために使ってしまう。真剣に演劇に向き合うと思いきや、昼まで寝ていたりテレビゲームをしていたりする。正真正銘のクズだ。それでも沙希は永田を支え、劇作家としての才能を信じていた。

 永田と沙希の関係性はどんどん変化していく。ヒモ同然の永田は、夜通し働き自分を支えてくれる沙希に負い目を感じるようになる。二人の関係の核心に迫るような会話を避けて、ふざけて取り繕うとする。

 そんな永田に転機が訪れる。『まだ死んでないよ』という劇団に出会い、永田は自分の才能について考えさせられる。『まだ死んでないよ』を率いる小峰の才能に圧倒された永田は、気づいていたけれど気づかないふりをしていた自分の才能について考えさせられる。この自分が特別な存在でないことを知ってしまうことの辛さが、すごく生々しく描かれている。

 沙希は永田との関係に疲れ、ついには体調を壊してしまう。沙希は東京を去ることを決意する。

 

 

技巧的なエンディング

 沙希が東京の荷物を引き上げる時、永田と沙希はかつて二人が演じた演劇の脚本を見つけ、読み合わせを行う。読み合わせの中で、永田は脚本に書かれていないセリフで自分の心情を吐露する。この二人がその後どうなったのかは書き込まれていない。読者に結末を委ねるオープンエンディングというやつだ。ただオープンエンディングのように思えても、この二人には別れる結末しか用意されていないように思える。オープンエンディングのように思えるが、開かれてはいないエンディング。このエンディングの感じは川端康成の『雪国』を彷彿とさせる。綺麗なエンディングに素直に感動してしまった。

 

恋愛の終わりと挫折

 何者かになろうとして、自分が特別な存在でないことに気づく過程は残酷だ。そんな挫折の物語を、成功した又吉が書くということで自意識の歪みの均衡が取れているような気がする。この『劇場』は映画化されるようだ。果たしてどのような作品に仕上がるのだろう。

 

 

 

栞の一行

一番会いたい人に会いに行く。こんな当たり前のことが、なんでできへんかったんやろうな。         p231~232