日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

人生にゴールはあるのか? / 「ゴール」 三崎 亜記

三崎亜記の「ゴール」は人生の意味や到達点について考えさせられるショートショートだ。

日常に非日常が溶け込んだような作品で世にも奇妙な物語のテイストのような小説だ。ちょっと不思議で、三崎亜記らしい作品だと思う。

この「ゴール」だが、高校の国語の教科書にも収録されている。教科書で言うと安部公房のようなシュールリアリズム枠での採用だろうか。

これまでは単行本などに未収録だったのだが、この度『名もなき本棚』と言う短編集に収録された。

この不思議な短編について考察・解説を書きたいと思う。

 

 

「ゴール」を目指す

主人公は「ゴール」に出会う。そこには横断幕に「ゴール」と書かれている。もちろんゴールはゴールした人のための場所で、アルバイトの女の子が誰かがゴールするのを待っていた。

ただ、ずっと同じ場所で待っているわけではなくて、「ゴール」は移動するのだ。

「ゴール」が移動してしまった後に、「ゴール」を探して人がやってくる。彼はゴールが別の場所に移動してしまったことを知ると、次のゴールに向けて旅立つのであった。

これだけ書くと掴みどころのない不可思議な話だ。だが、私たちはこの登場人物と同じようにゴールを目指す終わりのない旅を続けているのではないだろうか。

人生はゴールに辿り着いたと思ったら、ゴールが消えてしまい、次のゴールを目指すという旅に近い。中学校の頃、私たちには「高校受験」と言うゴールが与えられる。無事に高校受験合格と言うゴールに辿り着いても、そこは本当のゴールではない。次は「大学受験」というゴールが与えられる。大学受験の次は就活で、その次は出世や結婚というゴールが私たちを待っている。いい大学に入ったら次はいい会社。いい会社に入ったら、次は出世するか。小説の主人公のように、決してゴールに辿りつかない旅だ。人生とはそういうものかもしれない。「ゴール」とは、人生に便宜的に与えられる目標の象徴ではないだろうか。しかもその目標は本当は「ゴール」ではなく、終わりがない。人間の存在の不条理を描いた作品だと思っている。

 

 

「ゴール」を待つということ

辿り着けない「ゴール」を目指して旅を続けることはとても不条理なことだ。「ゴール」が存在しなければ、自分たちの旅は無駄になってしまう。しかし、本当に「ゴール」に辿り着けるかわからない。この存在の不条理は、「ゴドーを待ちながら」や「タタール人の砂漠」という小説に通じるものがあると思っている。

「ゴドーを待ちながら」や「タタール人の砂漠」がどんな話かというと、やってこないものを来ると信じて待ち続けるという話だ。この存在の不条理というか不確かさがこの小説のテーマだと思っている。

 

 

実存は本質に先立つ

人生にゴールはあるのかという問いに関係するのが実存主義だ。三崎亜記の小説は不条理などの実存主義と相性がいいのではないかと思っている。

実存主義というのは、人間は生まれながらにして本質はなく、本質がないにも関わらず存在しないといけないということだ。

人間は実存的な存在だ。だから、人生のゴールは決まっておらず、生きていく中でどうにかしていくしかない。

「ゴール」は人間の実存的状況を描いた作品だと思っている。

 

 栞の一行

「スタートした以上、ゴールを目指すしかないではないですか」

 

 

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