日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

小人の謎を考察する / 「踊る小人」 村上 春樹

この記事では、村上春樹の不可思議な短編「踊る小人」を考察・解説していきたい。

この「踊る小人」はファンタジー色が強く、童話テイストなのだが、どこか不気味な雰囲気が漂う小説だ。踊る小人というと「白雪姫」の7人の小人が思い浮かぶのだが、その小人と違って「踊る小人」に登場する小人には邪悪なところがある。この記事では、「小人」は『羊をめぐる冒険』の「羊」のように邪悪な存在であるとして解釈してみたい。

また、この小説では「象工場」や、「革命」といった謎めいたキーワードが散りばめられている。そのキーワードについても掘り下げて考察していく。

 

 

「革命」とは何か?

小人について考察する前に、小説世界の前提にある「革命」について考えてみようと思う。

「踊る小人」の世界では、政治体制をひっくり返す「革命」が起こっている。この「革命」によって「皇帝」が追放され、帝政が滅んだ時代となっているようだ。この「革命」とはどのようなものだろうか?

結論から言うと、ロシア革命のような社会主義革命が「踊る小人」での「革命」に近いのではないかと思う。詳しく見ていこう。

政治体制をひっくり返す「革命」と言っても色んな種類がある。例を挙げてみよう。

フランス革命」のように封建主義的な体制から民主主義へ移行した革命もあるし、「ロシア革命」のように社会主義へ移行した革命もあるし、「ジャスミン革命」のような独裁政権に対する民主化運動もある。では、「踊る小人」での「革命」はどのタイプの革命だろうか?

「踊る小人」での「革命」だが、小説内での記述を見ていると、ロシア革命のような社会主義に移行したタイプの革命に一番近いのではないかと思う。ソビエト連邦を彷彿とさせるような部分を引用してみよう。

 

ただし皇帝やその他の皇族のうつった写真や、あるいは「帝政的」とみなされた写真はぜんぶ革命軍の手で焼かれてしまった。

 

「皇帝」が滅んだ後も官軍が目を光らせているというのは、スターリン時代のソビエト連邦を彷彿とさせないだろうか。

 

また、それ以外で社会主義国を彷彿とさせるのは「象工場」についての記述だ。

「象工場」では耳や鼻など、像のパーツごとに分業して象を生産している。完成された象は国に買い上げられている。「象工場」について書かれた部分を引用してみよう。

 

 水増しされた象は悪用されないようにいったん象供給公社に買い上げられ、半月間そこに留められて厳重な機能チェックを受ける。それから足の裏に公社のマークを押されてジャングルに放たれる。我々は通常週に十五頭の象を作る。クリスマス前のシーズンには機械をフルに動かして最高二十五頭まで作ることができるが、十五頭というのはまあまあ妥当な数だろうと僕も思う。

 

この文章を見る感じでは、象の生産量も象供給公社が決めているように思える。

国が工場の供給量をコントロールする方式は、社会主義の国(特にソ連)での工場のあり方に類似している。

次は謎めいた「象工場」について考察したい。

 

 

「象工場」について考察してみる

象工場」とは、名前通り「象」を分業して生産している工場である。あの動物の「象」である。村上春樹らしいシュールな工場だ。

 

 もちろん一度に象を作るわけにもいかないので、工場はいくつかの部分に分かれていて、セクションごとに色分けされていた。僕の場合はその月は耳のセクションにまわされていたから、天井と柱か黄色い建物の中で働いていた。ヘルメットとズボンも黄色だった。僕はそこでずっと象の耳を作っていた。その前の月は緑色の建物の中で、緑色のヘルメットをかぶり、緑色のズボンをはいて象の頭を作っていた。

 

「象工場」では、「耳」や「鼻」などパーツごとに分業して生産し、各パーツを組み立て「象」を完成させている。なんだかトヨタの工場みたいだ。しかも、工場はとてもカラフルになっている。

分業して作っている「象」だが、無から作っているのではない。本物の象をパーツごとに分解し、工場で生産したニセモノのパーツを組み合わせて生産している。象を水増ししているのだ。現代の工場でも起こってそうな話である。

こうでもしないと象が需要に追いつかないのだ。ファンタジーの世界なのだが、妙に現実を突きつけてくる。

 

 念のために説明しておくと、我々はなにも無から象を作りあげているわけではない。正確に言うなら、我々は象を水増ししているということになる。つまり一頭の象をつかまえてきてのこぎりで耳と鼻と頭と胴と足と尻尾に分断し、それをうまく組みあわせて五頭の象を作るわけなのだ。だから出来上がったそれぞれの象の1/5だけが本物で、あとの4/5はニセ物であるということになる。

 

こんな不思議な象工場だが、村上春樹の別作品にも登場している。『象工場のハッピーエンド』というショートショート集に収録されている「A DAY in THE LIFE」と言う作品だ。この作品の中では選挙というワードが出てくるので、民主主義的な世界における「象工場」なのかもしれない。

他にも、村上春樹の有名な短編「象の消滅」のように象が登場する小説がある。象は羊や猫と並んで村上春樹の作品によく登場する動物だ。

 

 

「僕」を操る小人

では「小人」の考察をしていこう。まず、あらすじを整理してみよう。

 

「僕」は夢の中で踊りが上手い「小人」と出会う。夢の中で「小人」は自らの生い立ちを語る。北の国からやってきたことや、革命前には皇帝の前で踊った事、そして「僕」が「小人」と踊り続けなければならなくなることを伝える。

夢の中だけの存在かと思われた「小人」だったが、「象工場」の中にも「小人」の存在を知る老人がいた。老人は、「小人」が「皇帝」に重宝されていたことや小人が宮廷でよくない力を使ったことを仄めかした。

 

小人の踊りは他の誰の踊りとも違っていた。ひとことで言えば小人の踊りは観客の心の中にある普段使われていなくて、そんなものがあることを本人さえ気づかなかったような感情を白日のもとにー まるで魚のはらわたを抜くみたいにーひっぱり出すことかできたのだ。

 

老人の語りから、「小人」の踊りには特殊な力があったことがわかる。よくない力というのも踊りに由来する力だろうと推測できる。皇帝に気に入られ、宮廷に入り込み力をえるというのはラスプーチンみたいだなと思う。

「小人」はこの後も「僕」の夢の中に現れる。「小人」は女の子を口説くのをだしにして、「僕」の体を乗っ取ろうとするのだ。

「小人」は現実世界から、「僕」の夢の中の世界に逃げ込んできたのだろう。

この夢の中に入り込み、体を乗っ取ろうとする感じは『羊をめぐる冒険』に登場する「羊」に近いものを感じる。「小人」は「羊」のような邪悪な存在として描かれている。邪悪なものに自分の自我を委ねてしまった場合にそれ相応の報いを受けるというのが「踊る小人」のテーマではないかと思う。自分の意思を他人には譲り渡してはいけないのだ。

 

この「小人」だが、「僕」の体を乗っ取ろうとして様々な策略を張り巡らす。

例えば女の子の話だ。「僕」は綺麗な女の子を口説くために「小人」に協力を仰いでしまう。だが、「僕」の女の子への欲望は本当にあったのだろうか。そもそも「僕」はそこまで女の子に興味はなかったのではないかということが本文から読み取れる。「僕」はその女の子に恋をしていた訳ではなく、ただ一夜を共にしたかっただけなのだ。

「小人」によって女の子への欲望を掻き立てられ、「僕」は「小人」が体に入り込むことを許してしまう。蜘蛛の巣に引っかかった獲物のように、「僕」は「小人」の罠に引っかかったのだ。「小人」は女の子を口説くために踊るのと引き換えに、女の子をものにするまで「僕」はしゃべってはいけないという交換条件を出す。

その後も、「小人」は「僕」の口を開かせようとして罠を仕掛ける。その罠は女の子の体が腐っていくような幻影を見せるというものだ。なんとかして乗り越えた「僕」だったが、結局「僕」が女の子を口説くために踊ったのが「小人」に似ているとして、官軍に追われる身となる。

最終的には、「僕」は邪悪な小人の策略にはまってしまったのだ。

 

 

僕は夢の中にいた?ユング的な解釈

じっと見ていると、それはまるで夢のつづきみたいに見えた。それで僕の頭は少し混乱した。もし僕がひとつの夢のために別の夢を利用しているのだとしたら、本当の僕はいったいどこにいるのだろう

ここで面白い解釈を紹介したい。引用した文章に着目して、「僕」は夢の中で「小人」にあったが、「僕」が現実世界と思っていた世界も実は夢だったという解釈だ。夢の二重構造という解釈では、藤田幸陽子氏の考察がある。

「踊る小人」の世界は「僕」 の無意識下の世界と捉える解釈だ。皇帝=親(権力)、象工場=自己、といったユング的な解釈を行い、「社会の不条理の不平・不満を受け入れ、その不平・不満と妥協する」というテーマだと結論づけている。誰かの夢であるというのは、ボルヘスの「円環の廃墟」みたいな感じだな。なかなか鋭い解釈だなと思う。

 

 

 

「踊る小人」から「TVピープル」、そして「1Q84」のリトルピープルへ

村上春樹作品の中で邪悪な「小人」が登場するのは、「踊る小人」だけではない。例を挙げてみよう。

TVピープル」では、家にTVを搬入してくるTVピープルという小人的な存在が登場する。

社会現象を巻き起こした「1Q84」では、「リトル・ピープル」という小人的な存在が登場する。「リトル・ピープル」は、背丈を自由に変えることができる不可思議な存在だ。小指ぐらいの大きさから、60センチぐらいまで様々な大きさに変化する。

これらの「小人」に共通するのは、邪悪な力を持つという点だ。「踊る小人」で描かれた邪悪な小人という存在は村上春樹作品の中で受け継がれているのだ。