日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

ドラマでも変わらないウディ・アレン / 『ウディ・アレンの6つの危ない話』 ウディ・アレン

Crisis in Six Scenes - Official Trailer | Prime Video - YouTube 

ウディ・アレンのドラマがPrime Videoに公開されているので観てみた。タイトルは『Crisis in Six Scenes』、日本語だと『ウディ・アレンの6つの危ない話』 だ。

ウディ・アレンの映画といえば、上映時間が大体90分前後に収まる。このドラマは6つのストーリーで成り立っているので、トータル時間で二時間を超える。ドラマになるとどんな感じになるのかなと観てみたら、いつも通りのウディ・アレンであった。

 

ドラマの舞台は、ベトナム戦争への反対運動が盛んに行われ、革命の嵐が吹き荒れた1960年代のアメリカ。ウディ・アレン演じるシドニーはカウンセラーをしている妻のケイと郊外の住宅地で2人暮らしをしている。そんな夫婦の元にある晩、革命家レニー・デイルが転がり込んできて平凡な生活に波が立ち始める。レニーはテロを企てたとして追われており、匿って欲しいと夫婦に頼み込む。ケイとは家族同然の家の娘で、レニーを匿うことにする。シドニーは反対するが、シドニーの友人の息子のアランやケイがレニーの過激思想に感化されていく。そして過激思想はケイが主催する読書会にも伝播していき、アランはレニーに入れ込み婚約を破棄すると言い出すのだが…

 

ベトナム戦争への反対運動や革命などの要素が出てくるので、政治色が強いドラマなのかと思ったが全然そんなことはなく、会話の掛け合いが面白いいつも通りのコメディだった。最後もドタバタ劇で大きな変化に繋がるのかと思いきや、観覧車のように結局は元の生活に戻るというのがウディ・アレンらしいなと感じた。

 

ウディ・アレンの映画のテーマで人生におけるフィクションの役割というものがあると思っている。特にこのテーマが『カイロと紫のバラ』で、日常生活は悲惨なものだけれどもフィクションは希望が与えてくれるということが描かれている。この作品でも、映画というフィクションにどっぷり浸かれるけれど、現実に再び戻らなければならないという観覧車みたいな構造になっている。こんな風にウディ・アレンは「現実逃避のためのフィクション」というものを描き続けてきたと思っている。『カイロと紫のバラ』では映画、『ミッドナイトインパリ』ではジャズエイジへのノスタルジー、『マジックインムーンライト』ではマジックが題材になっていた。

この『ウディ・アレンの6つの危ない話』 ではどうだろう?「革命」というのがここで描かれているフィクションではないかと思う。レニーが来るまでは、シドニーとケイは刺激のない平凡な生活を送っていた。平和であるがつまらない日常だ。ところがレニーがきて「革命」というフィクションがケニーの生活を刺激する。ちょうど、カウンセリングでケニーが妻を買うようにアドバイスしたように刺激を与えたのであった。

人生はあまりにも長く退屈だ。だからフィクションが必要だ。こういった共産主義運動は、真剣な人もいただろうが、サークル活動みたいな感じで取り組んでいた人もいるのではないだろうか。『僕って何』などの小説で描かれていたように。

 

 ストーリーというよりかは、ウディ・アレン映画特徴の会話の掛け合いが面白いドラマだった。ストーリー展開は特に起伏がないので、ウディの会話の掛け合いやジョークが楽しめないと面白く感じないかも。