日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

物語は暗闇を照らす光 / 「夜中の汽笛について、あるいは物語の効用について」 村上 春樹

夜中の汽笛について、あるいは物語の効用について」は『夜のくもざる』に収録された村上春樹の超短編小説だ。いや、長さ的にはショートショートと言った方がいいのかもしれない。

夜のくもざる』は、村上春樹とイラストレーターの安西水丸がコラボレーションした本だ。村上春樹のショートショートと安西水丸のイラストが絶妙に絡み合っている。

話は逸れるけど、村上春樹と他の人がコラボした本だと、安西水丸とのコラボ『夜のくもざる』、糸井重里とのコラボ『夢で会いましょう』が特にオススメだ。

最近では国語の教科書にも採用されているらしい。

今回なぜ「夜中の汽笛について、あるいは物語の効用について」取り上げたかというと、このショートショートには村上春樹の物語観が説明されていると思ったからだ。この物語観は『1Q84』といった長編小説にも通じると考えている。

この記事では、村上春樹の他作品(『1Q84』)やインタビューなども参考にして、「夜中の汽笛について、あるいは物語の効用について」の考察をしたいと思う。

 

 

夜中の汽笛とは?

まずはストーリーを確認しよう。

どんな話か簡単に要約すると、少女が「私のことどれくらい好き」と少年に質問し、少年が解答するというものだ。

男子が女子に聞かれて困る質問第1位は「私のことどれくらい好き」だと個人的に思っている。ちなみに第2位は「私と仕事どっちが大事なの」だ。

ちなみに、「私のことどれくらい好き」問題は他の村上春樹作品にも登場する。その作品は『ノルウェイの森』だ。『ノルウェイの森』では、主人公は「春の熊ぐらい好きだよ」と解答している。その後に、追加説明でちょっとした物語を語っているので、「夜中の汽笛について、あるいは物語の効用について」 と近い雰囲気かもしれない。皆さん参考にしてみてください。

話を元に戻そう。少女に「私のことどれくらい好き」と聞かれた少年はこう答える。

 

女の子が男の子に質問する。 「あなたはどれくらい私のことを好き?」

少年はしばらく考えてから、静かな声で、「夜中の汽笛くらい」と答える。

少女は黙って話の続きを待つ。そこにはきっと何かお話があるに違いない。

 

少年は「夜中の汽笛」ぐらい好きと答えるのだ。なんとも小洒落た回答である。

ここでいう「夜中の汽笛」とは何のメタファーなのか?

この「夜中の汽笛」こそが物語の効用を表現しているのだと個人的に思っている。少年は、「夜中の汽笛」によって「鉄の箱」に閉じ込められた人間を救うことができると語る。

ここで登場する「鉄の箱」というのは、人間が陥ってしまう絶対的な孤独のことだ。それは魂が抱える闇と言い換えてもいいかもしれない。

 

そして僕は突然、自分が知っている誰からも、自分が知っているどこの場所からも、信じられないくらい遠く隔てられ、引き離されているんだと感じる。自分が、この広い世界の中で誰からも愛されず、誰からも声をかけられず、誰にも思い出してももらえない存在になってしまっていることがわかる。たとえ僕がそのまま消えてしまったとしても誰も気づかないだろう。それはまるで厚い鉄の箱に詰められて、 深い海の底に沈められたような気持なんだよ。

 

誰からも愛されず、世界から引き剥がされた状態。そんな状態に人間が陥ってしまった時に救い出してくれるのが「夜中の汽笛」、そう物語だ。物語は暗闇を照らす光なのだ。

少年の解答は、少女を孤独や闇から救い出すという愛のある解答だなと感じる。

 

 

「鉄の箱」と「月の裏側」

物語の効用について語ったショートショートだが、この物語論は村上春樹の作品で意識されていることだと思う。特に『1Q84』が思いつく。

村上春樹が『1Q84』について語ったインタビューで登場する「月の裏側」という言葉は、ここでいう「鉄の箱」に近いと感じる。この作品ではカルト宗教が引き起こした事件が題材になっている。

 

ごく普通の、犯罪者性人格でもない人間がいろんな流れのままに重い罪を犯し、気がついたときにはいつ命が奪われるかわからない死刑囚になっていた――そんな月の裏側に一人残されていたような恐怖を自分のことのように想像しながら、その状況の意味を何年も考え続けた。それがこの物語の出発点になった。 

出典:読売新聞 (2009年6月16日)

 

「夜中の汽笛について、あるいは物語の効用について」を読んで、真っ先に思いついたのが、このインタビューだ。孤独や心の闇といった「鉄の箱」に閉じ込められた人間が、いつの間にか原理主義的なものや精神的な囲い込みに取り込まれて犯罪を犯してしまう。例えたらカルト宗教だろうか。そうならないように対抗できるものが物語だと村上春樹は説いている。

 

作家の役割とは、原理主義やある種の神話性に対抗する物語を立ち上げていくことだと考えている。「物語」は残る。それがよい物語であり、しかるべき心の中に落ち着けば。

出典:読売新聞 (2009年6月16日)

 

「夜中の汽笛について、あるいは物語の効用について」になぞらえると、「原理主義やある種の神話性に対抗する物語」が、人々を「鉄の箱」から救い出す「夜中の汽笛」だろう。

やっぱり小説や物語は、人々を原理主義的なものや孤独から救い出すために必要不可欠なものじゃないかなと思う。人って何かに頼らないと生きていけない。心が弱っているときに、支えとして物語が必要なんだと思う。カルト宗教などの原理主義や精神的な囲い込みに対抗するために。

 

 

物語は暗闇のかがり火

www.nikkei.com

また、村上春樹はラッテス・グリンツァーネ文学賞受賞の記念公演で「物語の効用」について語っている。詳しい内容については上の記事を参照してみて欲しい。少し引用してみよう。

 

(魂の)暗闇を照らす物語という、ささやかなかがり火が必要とされている。それは恐らく小説にしか提供できない種類の明かりです

出典:日本経済新聞 (2019年10月12日)

 

物語は、魂の暗闇を照らすかがり火だ。村上春樹の物語に対する姿勢はショートショートから長編小説まで一貫しているんだなと感じる。

 

栞の一行

そしてもう一度、その汽笛を耳にする。それから僕の心臓は痛むことをやめる。時計の針は動き始める。鉄の箱は海面へ向けてゆっくり浮かび上がっていく。