めちゃくちゃ文学好きな人以外は気にしないかもしれないが、小説の人称のメインは一人称と三人称だ。ざっくり言ってしまうと、一人称はある登場人物の目線で話が進行し、三人称では神の視点から小説が語られる。本当にざっくりだが。
だがしかし、小説の人称というのは一人称と三人称だけではない。二人称小説というのも存在するのだ。小説の可能性を追求する中で生まれた二人称小説はとても実験的な小説で、数も多くない。普通の小説じゃ物足りなくなってしまった「あなた」におすすめしたい。
世にも珍しい二人称小説を紹介していく。
- 心変わり / ミシェル・ビュートル
- 冬の夜ひとりの旅人が / イタロ・カルヴィーノ
- パルタイ / 倉橋 由美子
- 暗い旅 / 倉橋 由美子
- あなたの人生の物語 / テッド・チャン
- 容疑者の夜行列車 / 多和田 葉子
- 爪と目 / 藤野 可織
- 淵の王 / 舞城 王太郎
- この世の喜びよ / 井戸川 射子
心変わり / ミシェル・ビュートル
「きみ」は早朝の列車に乗り込む。ローマに住む愛人と離婚してパリで同棲しようと申し出るために。2人で探索したローマの遺跡群をはじめ、さまざまな楽しい期待や思い出が車中の「きみ」に浮ぶ。だが、旅の疲労とともに決意は暗く変わり… 1950年代フランス文壇に二人称の語りで颯爽と登場したルノードー賞受賞作。
まず、紹介したいのがミシェル・ビュートルの『心変わり』だ。二人称小説の先駆けとなったフランス小説である。
まず、この二人称小説が生まれた背景(ヌーヴォー・ロマン)を紹介したい。
ヌーヴォー・ロマンとは、1950年代のフランスで盛り上がった、前衛・実験文学の潮流だ。戦後のフランスでは、これまでの小説の根幹を覆すような小説が次々と発表されていた。その小説群は前衛的で実験的な内容から「ヌーヴォー・ロマン(新しい小説)」と呼ばれていた。
ヌーヴォー・ロマンを代表する作家の1人がミシェル・ビュートルだ。ビュートルが人称の実験を試みたのが、『心変わり』という作品になる。
冬の夜ひとりの旅人が / イタロ・カルヴィーノ
あなたはイタロ・カルヴィーノの新作『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている。しかしその本は30頁ほど進んだところで同じ文章を繰り返し始める。乱丁本だ。あなたは本屋へ行き交換を求めるが、そこで意外な事実を知らされる。あなたが読んでいたのは『冬の夜ひとりの旅人が』ではなく、まったく別の小説だったのだ。書き出しだけで中断されてしまう小説の続きを追って、あなた=〈男性読者〉と〈女性読者〉の探索行が始まる。大学の研究室や出版社を訪ね歩くうちに、この混乱の背後に偽作本を作り続ける翻訳者の存在が浮上するのだが……。
イタロ・カルヴィーノの『冬の夜ひとりの旅人が』はとても奇妙な二人称小説だ。『あなたはイタロ・カルヴィーノの新しい小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている』という奇妙な文章から始まるのだ。メタフィクションの技法を活用して描かれた二人称小説の傑作だ。
パルタイ / 倉橋 由美子
〈革命党〉に所属している〈あなた〉から入党をすすめられ、手続きのための〈経歴書〉を作成し、それが受理されると同時にパルタイから出るための手続きを、またはじめようと決心するまでの経過を、女子学生の目を通して描いた表題作。
二人称小説は海外だけではなく、日本国内でも書かれている。
日本における二人称小説の代表作が倉橋由美子の『パルタイ』だろう。倉橋由美子は二人称小説を他にも書いている。
暗い旅 / 倉橋 由美子
恋人であり婚約者である“かれ”の突然の謎の失踪。“あなた”は失われた愛を求めて、過去への暗い旅に出る――壮大なる恋愛叙事詩として文学史に残る、倉橋由美子の初長編。
倉橋由美子の『暗い旅』も二人称小説として有名だ。ビュートルの『心変わり』を意識した作品とも言われている。
あなたの人生の物語 / テッド・チャン
容疑者の夜行列車 / 多和田 葉子
爪と目 / 藤野 可織
あるとき、母が死んだ。そして父は、あなたに再婚を申し出た。あなたはコンタクトレンズで目に傷をつくり訪れた眼科で父と出会ったのだ。わたしはあなたの目をこじあけて――三歳児の「わたし」が、父、喪った母、父の再婚相手をとりまく不穏な関係を語る。母はなぜ死に、継母はどういった運命を辿るのか……。独自の視点へのアプローチで、読み手を戦慄させる恐怖作(ホラー)。
ここ最近で有名な二人称小説といえば、藤野可織の『爪と目』だろう。この作品で藤野可織は芥川賞を受賞した。
三歳児の「わたし」が、父、喪った母、父の再婚相手をとりまく不穏な関係を語る。三歳児が感じる不穏な雰囲気を読者が二人称で追体験するというある種のホラー作品だ。
二人称という技巧が有効に機能した作品で、冒頭の二人称を活用した文章は少し難解かもしれない。読んでもらった方が難解さを感じてもらえるので、冒頭の文章を下に引用してみる。
はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った。あなたは驚いて「はあ」と返した。
どうだろうか。「あなた?きみ?どういうこと」と頭にハテナが10個ほど浮かんでいるのではないだろうか。このような感じで、不穏さを感じさせる文章が続くのである。登場人物と「あなた」の関係性がどうなっているのか、語り手は誰なのかというモヤモヤを抱えながら読むことになるのだ。しばらく読み進めると、二人称の語りの仕掛けが明かされるのだが、それまでは宙吊り感を味わうことになる。
淵の王 / 舞城 王太郎
この世の喜びよ / 井戸川 射子
幼い娘たちとよく一緒に過ごしたショッピングセンター。喪服売り場で働く「あなた」は、フードコートの常連の少女と知り合う。言葉にならない感情を呼び覚ましていく表題作「この世の喜びよ」をはじめとした作品集。
井戸川射子(いこ)の「この世の喜びよ」は、喪服売り場で働く「あなた」の視点で生きることの機微をつづった作品だ。この小説では、主人公・穂賀が「あなた」という二人称で呼びかけられているところだ。ある種の二人称小説の体裁を取っているのだ。
このあなた(穂賀)の視点から、穂賀とフードコートの常連の少女やゲームセンターに入り浸るおじいさん、ゲームセンターで働く多田さんとの交流が描かれる。主人公は目の前の出来事に、自分の過去の記憶を重ねていく。娘が小さかった頃の記憶、自分が子供だった時の記憶、そういった過去の記憶が目の前の出来事に引き出されていく。最近の映画で例えたら『ちょっと思い出しただけ』のような感じだ。
現在に過去の記憶を重ねること、それにどれだけ生きる喜びがあるのかを実感させてくれる名作だ。
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