日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

アバンギャルドなユーモア入門 / 『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』 中原 昌也

中原昌也は、日本現代文学の作家の中でも異端の作家だと思っている。

紋切り型の文章・表現の多用、ストーリーではなく規則性に従って小説を進行させる技法など同じような作風を持つ作家は日本にいないのではないかなと思う。近い作風だとヌーヴォー・ロマンの代表的な作家アラン・ロブ=グリエだろうか。

 

中原昌也の特徴が際立っている小説の一つが『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』だと思う。初めて『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』を読んだときは衝撃を受けた。理不尽なまでの短さ、ブラックすぎるユーモア、イメージをつなげて小説を進行させる技法、どれもが新しく感じられて、凄いもの読んだという気分になった。

 

短編集『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』では、短編にも満たないような枚数の小説が、理不尽な暴力や唐突な展開でピリオドを打たれている。その短さは暴力的であるとも言える。小説の種を発芽させて開花させるのではなく、芽が出始めのところで刈り取るのだ。とにかく一つ一つが短くて、無意味な暴力や紋切り型の表現が頻出し、内容も支離滅裂で結末も教訓もない。小説におけるクライマックスの意味を剥奪したようなアンチクライマックスの小説だ。

 

初めて『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』を読んだときは衝撃を受けた。理不尽なまでの短さ、ブラックすぎるユーモア、イメージをつなげて小説を進行させる技法。

 

 中原昌也の小説の魅力にブラックユーモアがある。人を選ぶかもしれないが、ブラックすぎるユーモアが癖になってしまうのだ。『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』は、中原昌也作品の中でもユーモアがよく効いていると思う。内容も支離滅裂だが、この本がもつブラックユーモアの魅力が原因か、何度でも読み返したくなる不思議な本だ。中原昌也を読んだことがない人に中原作品をオススメするなら『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』を勧めたい。

 

以下で詳しい内容や小説技法について書いていきたい。

 

 

唐突に終了する掌編小説

12編の小説が収録されている『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』だが、いずれの短編も暴力的に短い。小説のタイトルは不思議なものが多く、「物語終了ののち、全員病死」というタイトルは思わず吹いてしまった。

どの短編も理不尽な暴力が登場し、唐突に終了している。試しに「血で描かれた野獣の自画像」という短編を見てみよう。

あらすじはあるようでないようなものだが、ざっと書いておく。ベテラン女優の山本のぶ子と幼馴染の吉田陽子の会話シーンから始まっている。二人の関係はちょっと複雑だ。

 

べテラン女優の山本のぶ子は、幼なじみの吉田陽子が珍しく自分のことを褒め称えるので、これにはきっと裏があると思い、素直には喜べなかった。彼女と知り合って五十年近くたつが、そんなことはかつて一度もなく、むしろ互いに陰でののしり合い、相手の不幸を祝ったりするような仲だった。しかし、今度ばかりは陽子にも共にこの成功を祝ってもらいたい、とのぶ子は考えていたのである。

 

ここからのぶ子と陽子の和解のストーリーが始まると思いきや、場面はのぶ子のTV収録に話が移る。TV収録には不快な生き物が登場するのだが、その生き物が物語を唐突に終了させる。

 

そこには彼女の舞台を録画したものが映っており、まさにこの芝居の見せ場と呼ぶべき名場面が放映されている最中だった。自分の熱演ぶりに、のぶ子の目はモニターに釘づけになった。が、それもつかの間、突然大きな物音がしてスタジオ中の人々の動きを止めた。例の不快な生き物がのぶ子の顔の写真パネルに自ら衝突し、血の海の中で生き絶えていたのだ。彼女の笑顔に血で手形のように刻印された、謎の生き物が存在した唯一の証し。それが本当に顔に付いてしまったような気がして、帰宅後に一生懸命顔を洗った。

 

突然不快な生き物が暴れ出し、その場面で小説が終了するのだ。なんて唐突な。のぶ子と陽子の和解などは1mmも描かれないまま終了するのだ。ストーリーのタネをまいておきながら、実がなる前に刈り取ってしまうものだ。

このように『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』では、すべての小説が理不尽な暴力や展開によって唐突に終了するのだ。

 

 

イメージが繋がって話が進行していく

中原昌也の小説は、物語的に小説を展開させているのではなく、イメージを連想で繋げて話を展開させていくことが多いように思う。どんどん話題がズレていくので、脈略がないような印象を受ける。しかし、ただ脈略がないのではなくて、暴力のイメージや構図が反復されているなど、構造を持った脈略のなさだ。イメージを連鎖させているので、気が尽きた時には全く関係ない話になっていることもしばしばだ。和製ウイリアム・バロウズの『裸のランチ』とでもいうのだろうか。

 

 

『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』というタイトルについて考察してみる

最後に『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』というタイトルについて考察したい。

まずマリが何者なのかというと、フリーライター志願の中年女性だ。そのペットがフィフィだ。

普段であれば髪のことが気になって仕方がないフリーライター志願の中年女性マリは、お好みの外国産タバコのおかげで、まったくイライラせずに仕事に専念できる。この三日間、飲まず食わず、着替えもせず風呂にも入らず、というひどい状況でワープロのキーを打っているのだ。その他に居心地の悪過ぎる環境から彼女を守っているのは忠思実なペット、プードルのフィフィ。マリ&フィフィーそれがこのフリーライター。チームの名前だ。

 

マリ&フィフィはある一冊の本を書き上げる。

 

こうして凸凹コンビが廃壊の中、十七日間で「ユーモア入門」を書き上げた。

マリ&フィフィが書き上げた本が「ユーモア入門」だ。作中の言葉を借りれば、「未だ人に知られていない、気の利いたユーモラスな話」が「ユーモア入門」だ。このマリ&フィフィが書き上げた「ユーモア入門」こそが『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』のことではないだろうか。

深読みのし過ぎかもしれないが、『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』が「未だ人に知られていない、気の利いたユーモラスな話」であることは間違いないだろう。

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未だ人に知られていない、気の利いたユーモラスな話。人々は無意識のうちに、そういった物を求めているはずだ。