日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

ゲシュタルト崩壊は「文字の精霊」の仕業?/ 『文字禍』 中島 敦

小学生の頃、漢字をひたすら書き写すという宿題を経験した人は多いはずだ。宿題をやっている時、こんな経験はなかっただろうか?ずっと同じ感じを描いていると、漢字の線の一つ一つが分解して、意味をなさない図形のように見えてしまう。このような現象には名前がついていて、ゲシュタルト崩壊と呼ばれている。なんか名前がかっこいい。厨二心をくすぐってしまう。

ゲシュタルト崩壊とは、全体性を持った構造から全体性が失われてしまい、個々の構成要素にバラバラに分解して認識されてしまう現象のことだ。漢字をずっと見つめていれば、この現象を体験できるだろう。

 

このゲシュタルト崩壊を題材にした小説がある。しかも、ゲシュタルト崩壊が起きる理由を「文字の精霊」に求めた小説だ。

その小説とは、中島敦の「文字禍」である。タイトルに文字の禍とあるように、文字がもたらす災いや文字について考察された小説だ。中島敦といえば『山月記』が有名だが、『文字禍』も十分に面白い。以下に、詳細と内容の考察を書いていく。

 

 

ゲシュタルト崩壊は「文字の精霊」の仕業?

「文字禍」の主人公は、ナブ・アヘ・エリバ博士だ。博士は大王から、文字の精霊について調査するように依頼される。博士は調査のために本を読んだりしていたが、ある日ゲシュタルト崩壊を経験することになる。博士が一つの文字と終日にらめっこをしていた時に、ゲシュタルト崩壊が起こった。

 

一つの文字を長く見詰めている中に、いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯としか見えなくなって来る。単なる線の集りが、なぜ、そういう音とそういう意味とを有つことが出来るのか、どうしても解らなくなって来る。老儒ナブ・アヘ・エリバは、生れて初めてこの不思議な事実を発見して、驚いた。

 

博士はゲシュタルト崩壊の原因が「文字の精霊」にあるのではないかと仮説を立てた。一つ一つの線の塊に意味が宿るのは、線をまとめている存在(文字の精霊)のためであるという考えだ。人間で例えると、手や内臓、足が魂(心)で制御されていないものは、人間という全体性を持たないということだ。

博士はこの「文字の精霊」という仮説をもとに考察深めていく。「文字の精霊」がいるから、文字の一つ一つの線が分解せずに全体性を保つことができるのだという主張だ。

 

 

文字を得ることで失ったもの

博士は文字を覚えた人々に、「文字を知る前と比べて何か変わったことはないか」という質問を投げかけた。その結果、空の色が以前ほど青く見えなくなったなど、いろんな被害報告が上がってくる。文字はモノや存在の影であり、文字が一枚嚙むことによって、以前ほど物事を純粋に体験できていない。

これは言い換えれば、私たちは言語によって世界を解釈しているといえないだろうか。言語の認識によって、自分の認識できる世界が変わって見えるということだ。ウィトゲンシュタインも同じようなことを言っていた気がする。

また、文字で記憶できるようになったので、記憶力を鍛えなくても良くなり、頭の回転が遅くなったりといろんな被害報告が紹介される。

 

 

歴史とは何か?

作中の中で、文字と歴史について言及されている箇所がある。

 

歴史とは、昔在った事柄で、かつ粘土板に誌されたものである。

 

記録として残された文字、それが歴史を形作る。

 

冗談ではない、書かれなかった事は、無かった事じゃ。芽の出ぬ種子は、結局初めから無かったのじゃわい。歴史とはな、この粘土板のことじゃ。

 

文字によって記録されたことが、伝達され後世に語り継がれていく。その点において、書かれなかったことは存在しないと同義だし、歴史の闇に葬られるだろう。

 

 

 『文字禍』は大学入試の問題文になっている

ちなみに、中島敦の『文字禍』は、大学の2次試験の問題文になっている。リアリズム小説でもないのに出題するってすごいなって調べたら、京都大学の問題だった。しかも理系用の問題…受験勉強時に聞いた噂によると白紙回答が多かったらしい。そりゃ、理系には厳しいわ…恐るべし京大。