日々の栞

本、映画、ファッションについて気ままに書く。理系の元書店員。

フィクションは人生に必要か? / 『カイロと紫のバラ』 ウディ・アレン

 

人はなぜ映画を観るのだろう?人生における映画(フィクション)の役割とは何か?そんな問いに答えるのがウディ・アレンの隠れた名作『カイロの紫のバラ』だ。映画から登場人物が出てくるというウディ・アレン十八番のメタフィクションになっている。主人公のセシリアは惨めな生活と愛のない夫婦生活から逃れるようにして、映画に夢中になっている。セシリアが夢中になっていたのは「カイロと紫のバラ」という映画。ある時、「カイロと紫のバラ」から主人公・トムが第四の壁を破り、現実世界に出てきてしまう。映画の中も大騒ぎになり、セシリアはトムと逃避行することになるのだが...

 

ウディ・アレンの映画には「人生は不条理にまみれていて辛いものだ」という諦めや諦念が強くにじみ出ている。そんな辛い人生を乗り切るためにはどうすればいいのか?ウディがこの映画で提示する答えは「映画」だ。辛い人生には逃げるための虚構(フィクション)が必要だ。映画はその避難地になってくれる。ラストシーンのセシリアの表情は、人生に映画が不可欠であることを実感させてくれる。この映画にはウディ・アレンの映画愛に満ちている。