日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

完璧な「翻訳」をめぐる冒険 / 『ドリーミング村上春樹』

 
10/19公開『ドリーミング村上春樹』公式予告編

 

完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

村上春樹読者なら大体が知っている有名な文章だろう。これは『風の歌を聞け』の冒頭の文章だ。文字通り、村上春樹はここから始まり、今では世界中で読まれている作家になっている。世界で読まれるとなると翻訳が必要となってくる。果たしてこの文章は、どのように翻訳されるのだろう?

 

ドリーミング村上春樹』は、村上春樹をデンマーク語に翻訳してきたメッテ・ホルムが、いかに『風の歌を聞け』を翻訳するのかを描いたドキュメンタリーだ。しかも、普通のドキュメンタリーではない。現実と空想の境界線を跨ぐように、ムラカミワールドが交錯する。例えば、『かえるくん、東京を救う』のかえるくんが全編に渡って登場し、『かえるくん、東京を救う』の文章がモノローグのように挿入される。他には『1Q84』の二つの月や、『アフターダーク』の真夜中のデニーズや、ピンボールなどムラカミワールドを彩ってきたアイテムがところどころ登場してくる。

 

『ドリーミング村上春樹』の軸となるのは、メッテ・ホルムが「完璧な文章などというものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」という一文をどう訳すかというところだ。この文章の翻訳をめぐり、メッテ・ホルムは日本を旅する。他の翻訳者とディスカッションをしたりと「完璧」な翻訳にたどり着こうとする。

 

「完璧な文章などというものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」とは次のようにも言えるのではないだろうか。完璧な翻訳などというものは存在しない、完璧な絶望が存在しないようにね。翻訳者が村上春樹自身にならない限り、完璧な翻訳はできないだろう。いや、本人が翻訳したとしても日本語と外国語の間には埋めきれない違いがある。原理的に完璧な翻訳というものは存在しないのだ。翻訳者にできるのは、村上春樹の世界を理解し、外国語で再構築することなんだろうかと感じた。翻訳とは、永遠に辿り着けない場所に何とかしてたどり着こうとする孤独な営みなのかもしれない。

この映画の面白いところは数々の翻訳者の声から、村上春樹が海外にどのように受容されているのかが分かるところだ。メッテ・ホルムは『ノルウェイの森』と出会って以来、20年以上村上春樹の作品をデンマーク語に訳してきた。

 

『ドリーミング村上春樹』は、『風の歌を聞け』の冒頭の一文から始まり、終わる。最後には、メッテ・ホルムがたどり着いたデンマーク語の翻訳が映し出される。横には、「完璧な文章などというものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」という日本語字幕が付けられて。メッテ・ホルムは完璧な翻訳にたどり着いたのだろうか?いや、これは幻想だろう。それでも、メッテ・ホルムは原作に限りなく近づこうとする旅の中で、彼女にとっては「完璧な」翻訳に出会ったのだろう。

 

 

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ドリーミング村上春樹

ドリーミング村上春樹

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