日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

センター国語の思い出

今日はセンター試験

 ちょうどこの記事を書いているのが2019/1/20で、受験生たちはセンター試験の真っ只中だ。僕がセンター試験を受けたのは2013年だから、もう6年前の話になる。6年というと、小学校に入学して卒業するぐらいの時間だ。とても長い時間だ。僕は理系だったけれどセンター国語を楽しみにしていた。

 センター試験の中では国語が好きだった。僕は理系だったけれど、国語や英語の方が得意だった。もはや理系じゃないような気がするが気にしない。僕自身、理系よりも文系の方が向いているんじゃないかと思う。それでもなんやかんや理系大学院まで着てしまった。話がそれたが、僕はセンター国語が好きだった。理系の鬼門とも呼ばれるセンター国語だけど、僕は8割を落としたことがなかった。センター国語の勉強をしていると、評論や小説が「合法的」に読めると考えていた。だからセンター模試の時でも、国語は息抜きみたいな感じで受けていた。ただ。漢文と古典は嫌いだったけれど。

 センター国語の評論や小説の出典が何かというのが毎回の楽しみだった。センター国語の問題文って結構面白いものが多くて、解き終わった後に続きが読みたくなるものが結構ある。堀江敏文の「送り火」は気になって、本を買って読んだ。松村栄子の『僕はかぐや姫』も読んでみたかったけれど、それは既に絶版になっていたので読めなかった。それにしても『僕はかぐや姫』を問題文にする問題作成者のセンスが凄いなと思う。登場人物がキルケゴールの話をしたりと、中二病度Maxの小説だ。あの小説のインパクトはなかなか頭から離れない。

 

 

僕がセンター試験を受けたときは「スピンスピン」

www.aozora.gr.jp 僕がセンター試験を受けたときの、国語の小説は牧野信一の「地球儀」だ。あの「スピンスピン」で全国の受験生を絶望に突き落とした悪名高い問題というか、ネタにされている問題だ。英語の発音を無理やりカタカナに直して書いてあるところで読むスピードが落ちたのを覚えている。この小説は普通の小説ではなく、作中作の小説が挿入されているというメタフィクション的な構造になっている。だから、国語が苦手な人にとってはかなり難しかったと思う。しかも同じ年の評論は小林秀夫だった。そりゃ、平均点が下がるしかないよな(その年は国語で爆死した理系が多かったと思う)。

 僕も小林秀夫の評論に手間取って、小説に十分しか時間を回せなかった。けれど、この「地球儀」の問題は簡単に解くことが出来た。何故かというと、この小説が典型的な「子が父になるストーリー」であるからだ。詳しく説明すると、この小説は主人公の「私(純一)」は幼いころ父親に対して複雑な感情を抱いてたが、自分にも「栄一」という子どもができ父親となることで、かつての父親に対する思いを感慨深く回顧しているというものだ。タイトルにもなっている「地球儀」は父親に対する複雑な感情のメタファーとなっている。このことを読み解ければ、割と簡単に解ける。

 今もう一度解きなおしてみると、よくあの極限状態で解けたよなと、過去の自分をほめたくなる。火事場のクソ力ってやつか。